倫敦巴里

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help リーダーに追加 RSS 三位一体とは・・・?

<<   作成日時 : 2008/10/15 21:11   >>

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政治の世界では、比喩的に宗教用語が使われる場合があり、その何れもが間違って使われる。
誰か注意してあげれば?「それ違ってます」って。
「だいいち政教分離だというなら使うな!」という点は、キチンとしておいた方が良いのではないだろうか?

「中道」なんてものそう。まったくいい加減に使ってもらっちゃぁ困る。
最近では「三位一体」。

確か小泉元首相が行政改革を行なう際に言ったのだったか・・?
(1)国庫支出金を減らす。
(2)税源を地方に移譲する。
(3)地方交付税を見直す。
     ・・・・・これをいっぺんにやって、地方分権をすすめる。
 これぞ「三位一体の改革」ということだったか。

これじゃ「三つを合わせてひとつにするね」という位の意味しかない。
まったく無知をひけらかしているようだ。
マスコミも、馬鹿みたいにそのまま使わず。キチンと指摘してもらいたい。

「それはこういう意味の宗教語で、使い方が間違ってます。第一政教分離の前提において相応しくない」というような指摘があって然るべきだと思う。

こういうのは、法事の際の法話(自分で言うのは恥ずかしい・・)のネタになるのでありがたいが。

元々は、キリスト教からきた。
「父と子と聖霊の御名において・・・アーメン」という祈りの文句につきものの言葉だったように思うが、この、父、即ち神、子=神の子イエス・キリスト、それに聖霊。これが三位。

「天に坐す我らが父よ、の神」と「神の子であるキリスト」それと「聖霊」が、その尊さということでは等しいという意味なのだと思うのだが・・

キリスト教では概ね通る教義のようだけれど、反する派もある。

そもそも何でこの「三位一体」という漢字が訳語になったのか?
ここが重要だと思うのだが、これがよく分からない。

読みも「さんみ」というより「さんい」あるいは音便で「さんに」の方が正しいと思うのだが・・

三位一体の理論の展開も色々あるようで、どうもキリスト教の概念が今ひとつ理解できないので、理論の展開もわからない。

この「三位一体」を密教で言うなら・・という大胆な例えが、本日の智山伝法院・副院長の講義にあった。
父=バックボーンとしての普遍的理念、即ち曼荼羅の「仏部」。大日如来とその周辺の仏様。
子=具体的に実践するもの、即ち「蓮花部」。如来様の周辺の菩薩様。
聖霊=「金剛部」教え・功徳を広めるためのもの。兵隊の如くに沢山の仏・曼荼羅の周辺にある数多の仏・菩薩・明王。

・・・なるほど。

実は未だに曼荼羅が理解できていない、情けない真言ボーズだったりするわけね、私。
一般の人に説明するには、ホントに理解できてないと、例えもできないわけだ。
曼荼羅のことを聞かれたらどうしようかと思ってる。

今、簡単に「仏部・蓮花部・金剛部」なんて言ったけれど、これだって実はよく判ってない。
金剛界・胎蔵界で違ってくるし・・・
ホントに難しい・・

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コメント(4件)

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通りすがりといいつつ、たびたび書き込ませていただいております。

ところで
父=法身、子=色身、聖霊=報身
と、どなたかがおっしゃっていました。

本当に宗教用語の誤用は困りものです。「他力本願」なんて誤用された上に、「自力本願」というありえない言葉まで作られてしまっています。
通りすがりX
2008/10/15 23:57
法身、報身、応身、と私らは習ったような・・これも説明しようとすると難しい。まだ理解しきれません。

阿弥陀如来様が、菩薩だったときに「全人類を救済する」という誓願をたてられた。
その阿弥陀様が存在しているということは、全ての人は救われているといえる。
我々は既に救われているのだ。
浄土宗には、まだ阿弥陀様にすがる気持ちがあるが、真宗では、それすらもなく「お願いします」ではなくて「ありがとう」なのだ。
・・というのが、真宗の(親鸞さんの)考え。
仏教の、最終の姿と言えましょうか?
私らでいう「菩提心」すら必要ないという究極の考えが「他力本願」・・で良いのですかね?
かつての先徳たちは、本当に色々考えてきて、それ故に、膨大な書物が残され、仏教は「哲学」となったと言えるでしょう。
最澄さんの思い、道元さんの思い、法然さん、親鸞さん、みなさん本当に色々考えて最良の道というものを探られたのだと思います。

ただ、そういう理論とは別に、一般の皆さんの仏教に対するお気持ちは同じであるように思います。
三日ボーズ
2008/10/16 01:00
おっしゃるとおり「法身、報身、応身」で、「色身」は二身説の場合でした。誤用は困りものといいながら、私が間違ってしまいました。トホホ…

弥陀の本願を因として往生するのが「他力本願」、自分の善行を因として往生するのが「自力作善」、凡夫には後者は不可能で結局は他力しかないということだと思います。ちなみに真宗では往生即成仏です。
凡夫は自力で純粋な菩提心をおこすことができないので、菩提心も他力によるということになり、ですから菩提心を全否定しているわけではなく、浄土系でよく用いられる回向句にも「願以此功徳、平等施一切、同発菩提心、往生安楽国」とあります。

専門的に仏教を学んだことのない門徒ですので、間違っていたらすみません…
通りすがりX
2008/10/17 00:21
いやいや大変お勉強されているようで、菩提寺のボーサンはやりにくい・・?
真言宗は天台宗と同じ時期に起こったもので、その時代のまま止まっていると言えます。
ですから、その後の禅宗や浄土宗、真宗などの仏教的展開・仏教観は想定されておりません。
同じ僧侶といえども、自分の宗派で一杯一杯という感じで、他宗派のことがわかりません。仏教会の集まりで色々各宗派のボーサンと話しますが、いまだに「へぇ、そうなんだぁ」ということが多々あります。
日本では、初期の南都仏教から浄土真宗まで、共存しているのですから、これは不思議なものです。同じ仏教とは思えないくらい違いますからね。
三日ボーズ
2008/10/17 10:02

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