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zoom RSS 街の断片(31)托鉢

<<   作成日時 : 2009/10/26 20:55   >>

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禅宗のボーサンには付き物の托鉢。

元々は、僧侶は働かないのが原則で、生きてゆくために必要な物はお布施していただく。

お釈迦様の頃からそれは変わらない。

その代わりに僧は法を説く。

仏教の、僧侶の「原点」であるわけだ。

警察や公務員が「公僕」であって、一般人から仕事を任されているのと同様に、

我々は、学び、修行をし、法を見つけ、それを説く役目を任されているのであって、

別に偉い訳ではない。

公務員や警官が、偉そうにしているように、我々も本文を忘れて偉そうにしてないか・・・?

自分で言いながら、実に耳の痛い話しである。

この托鉢は、その基本に則ったものだが、困ったことに、ニセモノが蔓延っている。

托鉢はこのように立ち止まってするものではないそうだ。

どこかの資金源になるのだろうか?

・・とすると地味な稼ぎであるが・・・

しかし、これをすることは、ともすれば我々が忘れがちな僧侶の本分であって、

それをしていることは偉いことである。

布施をする方の気持もありがたい心である。

困ったことに、偽の托鉢も、お金の行き場が不明なだけで、布施する心はホンモノ。

だから許せないと、怒るべきかも知れないが、何だか怒れない。

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内 容 ニックネーム/日時
実は托鉢には免許状(本山からの)が必要で
托鉢する際には必ず寺の山号若しくは山号を記した頭陀袋を下げており、手甲・脚絆をつけてます。
ただ単に鉄鉢を持って立っているのではなく
行脚して一軒一軒の前で布施行を受けさせていただきますし、
受けた後には経文を唱えます。

世の中には袈裟のかけ方の違っている「托鉢僧もどき」が居ますね!
私です!
2009/10/27 18:50
托鉢の免許状というのは以前聞いたことがありましたが、それは、禅宗系全部にいえることでしょうか?
それなら、一軒一軒回ってる「托鉢僧もどき」対策になりますね。

やっぱり、この「立ってるだけ」の托鉢というのは無いわけですよね。

でも、これに「お布施」する方のお気持ちは有り難いものだと思うので・・

・・やっぱり、怒るべきですかね?
有り難いお布施の心を裏切るな!と。

そういえば、宇都宮駅の通路にいた「托鉢僧」は如法衣を逆に着けてました。
どうやって逆に着るんだろう?と思ってました。
三日ボーズ
2009/10/27 19:21
こんばんは。
失礼いたします。
4年ほど前、たまたま1人で家に居たとき、玄関の呼び鈴が「ピンポーン」となったので出てみれば、托鉢の僧侶がお経を唱え立っておいでで
初めてのことで困りましてねぇ、よくある布教活動ならハッキリお断りするのですが、気持ちはあっても、どーすればよいかわからないのです。
県庁所在地の人通りの多いところではよく見かけますが、お布施をしたことはありませんでした。
近隣の寺に禅宗は多いけれど、ほとんど見かけませんし
時代劇で見た程度の知識で接するのは、失礼にあたると思い
思い切って、「あのぉー、どのようにすればよいのですか?」と尋ねてみました。
すると、その僧侶は、お経をとめて、丁寧に教えてくださいました。
寺の名前、本山からの身分証明のようなもの、布施でいただいた米などもフトコロから出して見せてくださいました。
もちろん、本来修行なので顔を見せたり話をしてはならないということで、被り物からチラッとお顔を拝見し、話も静かに手短ではありましたが、ありがたかったです。
たぶん、修行としてはイレギュラーだったかも知れませんが
イマドキ、その習慣がない地域で一軒一軒歩くこと自体、無理があるようにも感じます。
苦行が修行なのかもしれませんが、人間相手ですから、ある程度の説明は必要かもしれません。
私の態度に困惑されてらしたようですが、後日、あらためてお立ち寄りくださり、『家内繁栄諸縁吉祥』という御札を置いていかれました。
玄関に大切に掛けてあります。
そのときは何かの縁があったのでしょうが、今後のことはわかりません。
街のなかで、人前で合掌したり、お布施をすることは、特別な勇気と想いが必要だと感じます。
カラス
2009/10/27 21:06
それは「本物」だったのですね。
禅宗系の僧侶でも、本山の周りでやるとかいうのは、里の方はお馴染みなので、托鉢するほうも、お布施する方も、分かってやってるので問題ないわけですが、馴染みがないと、お互い大変ですね。
その托鉢の方も、ホントの修行をされていたのでしょう。
本物の方でしたら、お互いに良いご縁を結ばれたんだと思います。

それにしても『家内繁栄諸縁吉祥』・・・禅宗系でも祈願ごとをするんですね。
三日ボーズ
2009/10/27 22:10
大きな修行道場のあるところでは昔から托鉢していますから
そこに住んでいる方々も慣れておられますが、
托鉢の習慣の無い土地では、反対に驚かれますね。

禅宗でも祈願ごと。。。。。。
大般若転読法要もするところがありますからね
私です!
2009/10/28 07:52
「大般若転読法要」は、国家(朝廷)からのお達しがあって始めたんでしょうかね?
それを切っ掛けにして、祈願を始めたとも言えるでしょうか?
三日ボーズ
2009/10/28 08:46

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