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zoom RSS 「東大寺 お水取り」について、気になる記事があった

<<   作成日時 : 2010/03/19 23:43   >>

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今年もまた「お水取り」には行けなかったか・・・・と思いつつ、HPなど見ていたら・・・・
「奈良倶楽部通信」というブログに「東大寺 お水取り」に関して、とっても気になる記事があった。
http://naraclub.blogspot.com/

以下に、勝手ながら、無断で引用させていただく。

・・・・・・

13日は、夜遅くから二月堂へ。
昨年、一昨年と「達陀(だったん)」に感動した記憶が忘れられずに
今年は一度、「達陀」の所作がよく見える西の局に詰めてみようと出かけたのでした。

お水取りの行は見るものではなく、聴くもの。・・・とどこかで聞いたことがあります。
本当に。そう思いました。
昨年も一昨年も南の局からの聴聞でした。
よく見えないながらも、心のどこかで感じ取ることができ
有り難いことと感動したのですが・・・。

西の局は、行法の所作がよく見えるということで
撮影許可書をぶら下げたカメラマンの方々が最前列、端から端までを独占状態でした。
ざっと十数名はいらしたでしょうか。

あまり苦言を書きたくはないのですが。
この方達のマナーが悪すぎて何とも後味の悪い聴聞となってしまいました。

シャッターの絶え間ないカシャカシャという連写音。
ビデオとカメラを両手広げて撮影している人。
後ろに座っている人が見えなくても気にせず、中腰になって夢中で撮影している人。
録音機を礼堂の中に落としてしまって、行法の最中にも関わらず中の人に取ってと言う人。
達陀の妙法が終わった途端に、まだ法会中だというのに立ち上がって片付けだす人。
注意をされていた人もいましたが「撮影許可をもらってますから!」と逆に開き直ってる人。

いつの間にこんな風になってしまったのでしょう・・・。
それに、撮影許可されたカメラマンがこれほど多いとは・・・。
許可証があるというだけで特別な人間になったつもりなんでしょうか。
傍若無人な行いを見て、この中では撮影してもいいのだと勘違いして(いや確信犯的に?)
カメラ撮影する人もいて、この祈りを捧げる場で何も集中できずにイライラが募るだけでした。

二月堂局に集う善男善女の多くは、修二会の行法を見学にきているのではなく
練行衆が捧げる祈りに静かに心を寄せたいと思ってお参りに来られているのです。

カメラマンの方々は、撮影が始まると臨戦態勢に入って多分周りが目に入らないのでしょうね。
でもここは自分だけが良ければいいという場所ではないはず。
それにプロのカメラマンなら何度もシャッターを押さないで一回で決めるべき。
よくわからずに不勉強で撮っているから、無駄な所でシャッター押しているしね。

このような状況が続けば、いつかは、全く撮影許可がおりなくなるかもしれませんね。

・・・・・・・・

ということだ。
これは酷い。
東大寺の「お水取り」も「大変なこと」になっているようだ。

1年前の高野山・常楽会にカメラマンが集まってしまって、撮影会になってる、と書いたが、今年はそう言う連中はいなかった。
まさか、お寺の行事を撮り歩くサークルorグループが移動しているという訳でもあるまいが・・・

今やっている真言声明の研究がまとまったら、天台宗と奈良仏教の声明を楽しみたいと思っている。
奈良の声明は、今は将来に向け「とってある」という気持ち。

でも、この「奈良倶楽部通信」に書かれているような状況だとすると、これは大変によろしくないことである。

お水取りは、例の「お松明」が有名で、とにかく大変な人出。
立ち止まることすらできないようだと聞く。
勿論「特別に」許可をいただかないと、三脚を立てての撮影はできないという。

かつて、入江泰吉さんだったか、お水取りのお松明の写真を撮ろうとして、一般カメラマンのフラッシュに閉口したとか。
スローシャッター、あるいは、シャッターを開けっ放しにして露出して、松明の炎の踊る様、その光跡を撮ろうとしたときに、フラッシュが点くと台無しになる。

奈良への思いが強く、奈良を撮り続け、また、実力と実績もある、誰もが認める氏が、精魂込めて撮ろうとしても、その制作意図を邪魔されてしまう。
もう、氏のような写真は撮れないのかも知れない。
それは、晩年には氏自身が実感されていたのかも知れない。

今のように、デジカメで誰もが写真を撮れるようになると、失礼ながら、それが邪魔をして「狙った写真」が撮れないという状況にある。

誰も彼もがカメラを持てるようになって、何でもかんでも自分で撮りたい、あるいは自分の写真を撮りたい、自分のケータイの中に自分が所有する写真にしたい!・・・と思う人がほとんど、と言って良いかも知れない。
およそ、大多数の人が「ケータイ」という、誠にお手軽なカメラを常時持っているのだから、カメラはいつでもどこでも差し伸べられる。

あらゆる場所で、あらゆるものにケータイやデジカメが向けられる。

これが「邪魔!」と感じることが多い。

そういうお前は何様だ?!と言われるかも知れない。
勿論、自分だけが特別とは思わない。

勿論、皆平等であり、偉い人、実績のある人しか撮るチャンスが無い、というのはよろしくないともいえるが・・・・・

ケータイで撮る気持と一緒にして欲しくない。
オレが真剣に撮りたいと思っているものを、ケータイで撮るような安易な気持で邪魔してほしくない、と思うのは、思い上がりだろうか?

もはや、超有名な行事を撮るには、撮れる写真のイメージは限られてしまう。
おそらく「許可」を得て撮ったとしても、安易に差し出されるカメラが邪魔、という状況は逃れられないケースが多くなると思う。
その中で、自分が撮りたいものを探せばいいということであるが・・・

ならば、撮るのを諦めよう、と思うのも「手」である。

撮れない所だってある。
また、撮ったとしても、自分で撮っても、それが中途半端な写真になると分かったら、自分で撮ろうとせずに、ちゃんと撮ってる人の写真集を買えば良いのだ。

私に入江泰吉先生のような写真が撮れるわけがない!

そう思って「お水取り」は写真集を買った。
先ほども、入江泰吉先生の写真集の古書の注文をしたところだ。

この「奈良倶楽部通信」記事では、お堂の中の写真を「許可を受ければ」撮れる、ということにも驚いた。
どういう「許可」なのか分からないが、許可を得たカメラマンが沢山いるようにうかがえる。
奈良仏教には、もっと厳格であってほしいと思うのだが、そうでも無いってことか。

こうなっては、折角の「不退の行法」の有り難さも、威儀も、意義も、薄れてしまう。

こりゃ、期待を抱いて参拝しても、思ったほどの威厳は感じられないかも知れない。

いずれ、うかがえる日を楽しみにしているのだけれど。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
プロのカメラマンではなく一般人に関して言うなら
その場所で全身全霊を傾けて見聞きしようとするよりも、
画像として持ち帰って何時でも楽しもうとする気持ちが優先しているようですね。

それと、何処に行こうが何をしようがケータイ画面を見ている人は少なくなく、
「それじゃ家に居たって同じでしょ?」
と思うのですが。

こう言った人種に真の感動はないのだろうな・・と思います。
絶対に友達にはなれません(笑

それにしても、お水取りを台無しにするカメラマンを批判した文章は素晴らしいですね。
勉強になりました。
つる
2010/03/20 13:15
何でも記録症候群とでも言いたくなるようなもので、とにかく何でもケータイで撮る、撮らなければと思う、というもので、おそらく、そんなに見返すこともなかったりするようにも思えます。

ずっと奈良にいて、信心を持って通っているような方には、他所からきて、勝手な振る舞いをする輩は、許し難いものでしょうね。
三日ボーズ
2010/03/20 21:07
奈良倶楽部さんもちょっと勉強不足かな。
局の入場規制の関係で13日だけは昼間から場所取りできるので一番カメラが多いのです、この日に遅い時間に達陀を見に行って文句を言ってもね〜という感じです。

来年から撮影の規制が変わるらしいです。
ハミ
2010/03/21 00:16
ハミさん・・・・
「奈良倶楽部」さんのご意見は、正しいと思います。
たまたまその場にいたというだけの単純な文句ではないでしょう。
事実は事実でしょう。
良くない状況であることは確かでしょう。
法会・法要を被写体としか見ないカメラマンの存在は、やはり「邪魔」なもので、その意識、その状況は改める必要のあるものです。
違う日に見に行けばいいだろう、という単純な問題ではありません。

>来年から撮影の規制が変わるらしいです。

大変良いことと思います。
三日ボーズ
2010/03/21 01:08
達陀の日はカメラを持っていくてもほとんどの人が見物目的なので、法会・法要という意識の人は少ないと思います。
ハミ
2010/03/21 01:59
ハミさん、それはあなたの見方、というだけですよね。

参拝する人の気持ちがどうあれ、その法会は法会として粛々と厳修されるものです。
安易にカメラを向けるという気持になった時、その人の心は法会から遠のくものと思います。
私自身にそういう時があります。私自身カメラを持って取材する時にはジレンマを感じています。
そういうときに、参拝している人の言葉を聞くと、一般の方の信心を感じることができます。
信心あっての法会と思います。
見物気分でも、その場の空気を感じられれば、それはそれで良いと思います。

同じ見物気分でも、国立劇場とかの「声明公演」は、あれは完全な「見せ物」で、あれはやってはいけないものと思います。見る者に信心はない、と言い切れそうな雰囲気ですし「演じる方」も、見せ物気分になってしまうでしょう。
三日ボーズ
2010/03/21 07:41
三日ボーズさん、それもあなたの見方、というだけですよね。

まあとりあえず一度ご自分で体験してみてください。
ハミ
2010/03/21 22:03
違います。
法会を修する者の気持ちです。
法会のあるべき形です。
法会とは、例え参拝者が全くなくても粛々と勤めるものだということを知っておいてください。
三日ボーズ
2010/03/21 23:21

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