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zoom RSS 「価格.com」でのカメラの語られ方を考える

<<   作成日時 : 2010/10/21 13:04   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 5 / トラックバック 0 / コメント 2

最近、一番無駄な時間だなと思ったのが「価格.com」でカメラに関するものを読んでしまうこと。

元々この「価格.com」というのは、周知の通り、一般のユーザーが、商品を買って使った感想を書き込むことで、その商品の購入を考える人が参考にする、というようなもの。
結構役に立つかな?と思っていたが、カメラに関するものは全然ダメ。
近年、カメラ関係の記事が、何だかもう「グダグダ・・」な感じになってしまっていて、どうしようもない。

・・・というか、元々、カメラに関しては、そんなに情報があるはずなかった・・のである。

月刊のカメラ雑誌にあるような情報で充分だったのである。
「ニューフェース診断」とかいうものと、プロの試用記事があれば、大体分かった、というようなものだった。

カメラ雑誌と言ったって「アサヒカメラ」と「日本カメラ」くらいしかなかった。
そこでの評価を見れば大体分かった。

主に気になるのはレンズの性能。
収差がどれ程で、解像度がどれ程で、撮ってみてどうか、というようなもの。
あとは、カメラの機能。
機械的にちゃんとしているか? ピント面はちゃんと合っているか? ファインダー像は撮影画面に合致しているか? 視野率など、メーカーの公称値は合っているか?

それでも、フィルムを使うカメラはアバウトだった。
そんな測定値なんて「参考」にしかならない。

結局「使ってみてどんなか?」というである。

・・・・こんなものだった。

実際に触ってみての操作感覚で決めれば良い。
カメラは、大体用途によって分かれていたし、メーカーの得意分野というものも自ずとあったようだし。

実際にプロが使うニコンとキヤノン。プロと同じ物が使える、というヨロコビもあった。
そこまでゴツイ物はいいから、アマチュアだし、小型軽量がいい、という人のペンタックス。
ミノルタを選ぶ人の気持ちは良く分からない。
超小型の拘りがあり、さすが医療器具と顕微鏡は伊達じゃないぞ、というレンズとシステムのオリンパス。
何となく、メーカー色というものもあった。
そんな感じの選び方もあった。

そして、肝心なのは「何をどう撮りたいか?!」

・・・・ということだけだった。

カメラは「撮るための道具」に他ならなかった。
そこに見栄・憧れを含めた多少の趣味性が加わる。

・・・・そんなものだった。

カメラを決め、撮りたいものを撮るためのレンズを買う。
撮りたい物を撮るために相応しい(効果的な)フィルムを入れる。

そして、撮りたい物をどう撮るかを考える。

・・・・これで良かった。


カメラを持つ、という意識が、今とは明らかに違っていた。

「カメラを持つ」「写真を撮る」ということのハードルが、今よりもちょっと高かった、といえるだろうか?

必要な時に必要な写真が撮れればいいというような、とりあえずコンパクトカメラでいいや、と思う人がいて・・・・
一眼レフを使いたいと思う人、高級ブランドを持ちたい人がいる。
写真で自分を表現したいと思う人もいる。
SLや、天体や、その他諸々の、物・事象・イベントなど、好きな物を記録する、あるいは作品にする、というような人もいる。

カメラを持つにはそれなりの理由と、そんな領域があったように思う。
ピラミッド構造というとちょっと違うかもしれないが、一見すると、レベル毎の階層が自然にできていて、案外それらは、お互い不可侵な関係でもあったように思う。

カメラという機械も、電子機器となって、パソコンと同列になってしまった。
写真を撮ると言う行為も、カメラが当たり前のようにケータイに着いていて「万人が撮る」というレベルで写真が一般化した。

今や、どこへ行ってもケータイで写真を撮る人が沢山いる。
コンパクトデジカメを別に持つ、というハードルさえ無くなってしまった。
ポケットにいつでもカメラがある。
すべての人が写真を撮る、という驚くべき時代になってしまった。

概ねレンズとフィルムが決定していた「画質」というものが(画質なんてそれだけのものだった)、デジタルになって非常にヤヤコシイことになっている。

レンズとカメラとフィルムというものだけの物理的な性能だけで決まっていた画質というものも、多岐にわたる要素で成り立つようになってしまい、それを理解するための知識も、単純なものでなくなっている。

それはセンサーだったり、同じセンサーでも画像を形成するメーカー毎のソフトで違ったり・・と、それはもうカメラ毎に違う、という状態ですらある。

そして、これは日進月歩である。

センサーは(その構造もそうだが)パソコンのCPUみたいな物になってしまった。
それが性能を左右し、また時間が経てば「過去の物」にしてしまう。

写真というものの捉え方も変化し、誰でも撮れるものになって、底辺が極めて拡大し、
カメラを使う人も、パソコンを使う人とかなり合致し・・・カメラという物が「作品を作る」あるいは「何かを撮るための道具」としてでなく語られる部分が増えてしまった。
「価格.com」においては、ほとんどがそんなのばかりである。

カメラという物の存在理由も随分と変わってしまったようだ。

カメラは、1年ごとには確実に旧型になるような物になってしまって、消耗品になっている。

レンズはそのままで「カメラを替える」という状況は、カメラ中心に存在した昔と、使う者の意識が根本的に違ってしまった。

カメラは高級品でなく、消耗品。
大切に愛するものでなくなってしまった。
かつての愛好家にあったような愛着というものが存在し得ない物になってしまった。

大嫌いな言葉がある。
「価格.com」などによく出てくる・・・「カメラが吐き出す画像」という言い方が、それこそ、吐き気がするほど嫌である。
「吐き出す」というような意識でカメラを見るな!と、40年はカメラを持ち続けてきた者としては寂しく思う。

1年でモデルチェンジ。
2年か、長くても3年で買い換える。
カメラとは、そんな物になってしまったわけだ。

「価格.com」でも会話のグダグダさに較べれば「2ch」の方がまだ良い情報がある、という感じになってしまっている。

作例、などと言って出す写真も「作例」という言葉の意味すら理解していないもの。
作例というテーマの写真はどう撮ればいいか、ということすら分からないレベルのお話がグダグダ・・・である。

誰でも、ネットに公開できるから、「作品」として人目に曝すのも勝手で、その基準たるレベルというかハードルも無い。
作品としていかがなのものか?という逡巡もないものは、作品とは言えないと思う。

「価格.com」で偉そうな書き込みをする者の作品を見ると、とてもじゃないが「よく公開して、かつ偉そうなこと言えるよな?」という物がほとんどだったりする。
中には、頭を下げたくなるようなものを撮っている人もいるが、概ね「ただ撮った」というものばかり。

大体、雑誌のコンテストに応募したりしているような人は、その作品をネットに公開するなんてことは考えないだろうし、平たく言えば「安売りはしない」というようなものだと思う。

目的を持って作品を撮ろうとする人は「価格.com」のような与太話しは、全く無縁と言ってよい。

撮る物・テーマが決まっている人は、カメラで悩んだりしない!・・ということだ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
正に「グダグダ」ですね、、、
ハッキリ、明確、適正、でない内容は意味無し!的部分も見受けられます。
007
2010/10/22 12:29
記事に、少々加筆しました。

・・そういうわけで、脱「価格.com」です。
時間がもったいないので。
三日ボーズ
2010/10/22 16:36

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