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zoom RSS 新・街の断片(13)上野 ─その4─

<<   作成日時 : 2013/03/21 00:00   >>

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お酒を飲まなくなってしまったので、こういう所を飲み歩くというのがワカランのですが・・・

「呑みニケーション」とか言ってね、上司と部下が飲み歩く・・・嗚呼、サラリーマン稼業!
偉そうに能書きやら、ポリシーやらをグダグダ語るヤツ、ってのも、相変わらずなんでショウな?
変な優越感と「おべんちゃら」が入り乱れる社会・・・嗚呼・・・

ところで、小僧の高校の野球部の部長さんが、みんなから影で「ホッピー」と呼ばれていたので、この安物のホッピーの「のぼり」や看板をみると、どうしても部長先生を思い出しちゃう♡

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日本中あちこちが多国籍な街になっているように思う。水面下で国際化が進んでいるという感じ。
普段はあまり感じないが、そういう空気が流れているところがある。
こういう看板にもそれが表れている。水面下でどうなっているのかワカラナイところがコワイ。

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新橋もそうなんだけれど、上野も、歩いていると、突然こういう空間に出くわす。
ちなみにここは・・・
「徳大寺」東京都台東区上野アメ横内にある日蓮宗の寺院。日本三大摩利支天。

もひとつ、ちなみに・・・「大摩利支天」とは・・・(Wikiより〜)

摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したものである。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
護身、蓄財などの神として、日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。山本勘助や前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。

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上野と言えば「アメ横」。「アメヤ横町」。何となく「アメ」は「アメリカ」かな?とかいう感じで「アメ横」は「アメリカ横町」みたいな・・・と、勝手に思っていましたが「飴屋」なのね・・・
戦後、闇市となり様々な物品が売られており、特に飴を売り捌く店が当時200軒以上あった事から「アメヤ横丁」と呼ばれた・・・んだそうな。
どっちにしても「戦後」が続いている街であるということ。

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昔から、演歌のレコードやテープを売っていたお店は、まだ、その存在感強く健在であった!スバラシイ!

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通り過ぎる人が圧倒的に多い街に「昔から住んでんだよオレは。ここは俺の街なんだよ」という感じで「普段感」滲ませております。
良く見ると、バッグはプラダ・・・




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