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zoom RSS そうだ、仁和寺、行こう。

<<   作成日時 : 2013/03/24 00:00   >>

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妙心寺から仁和寺も近いんだ、ということが分かって・・・
妙心寺駅から、歩いてどれくらいだったでしょうか? 北上して、仁和寺へ。

ここも桜が有名なのですが・・・「御室桜」っちゅうて、ね。
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駄目じゃん! 全然駄目ジャン!!
説明書きを見たら「遅咲きの桜」なんですと。

以下、仁和寺HPより・・・

毎年春、仁和寺は満開の桜で飾られます。金堂前の染井吉野、鐘楼前のしだれ桜などが競って咲き誇ります。その中でも中門内の西側一帯に「御室桜」と呼ばれる遅咲きで有名な桜の林があります。古くは江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠われております。
 また、花見の盛んな様子は江戸時代の儒学者・貝原益軒が書いた『京城勝覧』(けいじょうしょうらん)という京都の名所を巡覧できる案内書にも次の様に紹介されています。
「春はこの境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす、吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛されております。
 そして近代大正13年に国の名勝に指定されました。

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結構粘って「人がいない瞬間」ゲット!・・・と思ったら、端に下半身だけ入っちゃった(-_-)

以下、またまた仁和寺HPより・・・

仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となってから、皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。

・・・・とさ。

以来、門跡寺院として、朝廷(皇室)と関わりが深かったわけです。

というように、明治になるまでは、お寺と皇室とは、深い関係があったということを、歴史では習っているはずが、実感としては忘れてしまっている日本人・・・という感じがします。



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コメント(4件)

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そうですねん!
門跡寺院がなんたれか なんで 京都人さ絵しりません!

悲しい限りです。

まやまや
2013/03/24 16:27
大原三千院と、勝林院との間だったと思うんですが、後鳥羽天皇の大原陵があって、そこだけ宮内庁の管轄だったような・・・
泉涌寺には、25人だったか、天皇の墓があるとか・・・
三日ボーズ
2013/03/24 19:42
仁和寺前は京都マラソンコースになっていて、大勢の仁和寺僧侶が門前で応援してくれるのですよね。

・・・と、ついコッチの話になってしまってスンマソン(汗
つる
2013/03/26 12:40
錫杖でも振って、太鼓叩いて、心経で応援してくれたら、思わぬ力が出るやも知れませんねぇ。
三日ボーズ
2013/03/27 14:26

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