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zoom RSS 古賀絵里子 写真展「一山」

<<   作成日時 : 2013/04/12 00:00   >>

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以前、写真雑誌で見て、とても気になっていた写真を見るためにギャラリーに足を運んだ。
はるばる東京のギャラリーに足を運んで見たい、と思うのは滅多に無いことであるのだけれど・・・

浅草の老夫婦の居住まいを撮った「浅草善哉」。

写真雑誌に掲載された写真を見て、それがネガプリントによるものとわかって、そのプリントを見てみたくなって足を運んだのだった。

そこに高野山の写真があったのだ。
「浅草善哉」は思った通りの味わいだった・・・のだけれど、ここで高野山の写真に出会ったのは、衝撃であり、まさに「縁」かな?とも思えることだった。

それは、正方形のプリント。
これもネガプリント?という感じだった。

キッチリ写っているけれど、柔らかい・・・何とも言えぬ優しい色・・・

そこにいた、たおやかな女性が声をかけてくれて・・・それが作者・古賀絵里子さんだった。

高野山の写真もネガプリントであるとのこと。
思いがけず、とても素晴らしいプリントを見せていただいた。

私も、モノクロのプリントは散々やってきたけれど(と言っても、かなりいい加減なものだった)カラープリントは大変で、それを自分でする、という気にはなれなかった。

それを、このうら若き女性がやっているという。

今や、明らかにデジタルの時代であって、おそらく古賀さんが写真家を志そうと思われた時、写真はデジタルに傾いていたであろうに・・・

そこで、高野山へは、何度も通って撮っていると伺った。

・・・やがて、それは、アパートの一室を借りて、毎月一週間程度滞在して撮影を続ける、という、傍から見れば写真家としての「行」とも思えるようなことにも見えたかも知れない。

制作「途中」の作品は、主に高野山の「パーツ」だった。
高野山のホンの小さな一部分を、真四角のフレームで切り取ったものが主だった。

穿った見方をすれば、それは「高野山でなくてもよいのではないか?」と感じるものかも知れない。
そこには、一般に知られた霊場・聖域としての高野山が写っているわけではないからだ。

しかし、それが「高野山」であることに違いはない。
いや、紛うことなき、それは高野山であった。

例えば、石橋睦美さんの写真。
例えば、永坂嘉光さんの写真。

いずれも、聖地・高野山を撮ろうとした写真である。

そして、確かに努力が報われ、聖地・高野山が写ってると思う。

しかし、それは高野山の自然であったり、行事であったり、その「仏教の聖地」としての、信仰の対象としての面と、それを包む自然を撮ったものだった。

古賀さんも、同じように初めは「外側」を撮っていたのだと思う。
おそらくは、建物を撮り、歴史を刻んできた大木などの自然を撮り・・・

おそらくは、長く高野山に行き来するうちに、自然は、何でも無いような、おそらくは「高野山を撮ろう!」と意気込んだ人は目を向けないような、草木に目を向けるようになって・・・

最終的には「人」にカメラを向けていたんだと思う。

以前見た高野山の写真に、今回、多く加えられていたのが「人」の写真だった。

石橋睦美さんや、永坂嘉光さんの写真には、それが無い。
高野山を客観視したのものだ。
面と向かって人を写した写真は無い。
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結局「古賀さんの高野山」は、その原点「浅草善哉」に戻っていたのだと思う。

何気ない人の居住まいがカメラに収められている。

ギャラリーに入ると、まず、大きく引き伸ばされた妊婦のお腹の写真の生々しさが目を引く。

聖域・高野山からはほど遠いような写真で、性域 (^^) という感じ。

聖地・高野山のイメージを期待した人は驚くに違いない。
私も驚いた。
初め、強い違和感を感じた。「?」だった。

おそらく、高野山に通ううちに親しくなった女性が妊娠し、出産したのだろう。

初めは高野山の聖地としての空気に見せられ、その気迫を捉えようとしたのかもしれないが、足繁く通ううちに見えてきたのは、「この町」に暮らす人たちの「普通の人普通の暮らし」というのものが見えてきたのだろうと思う。

そう、高野山は「普通の町」なのだ。そういう面もある町なのだ。

その昔は、空海さんのお母さんですら登れなかった、人里離れた女人禁制の厳しき修行の地も、今や、そこが人里。
ひとつの町になっている。

コンビニもあり(古賀さんに聞いた)学校もあり、警察も消防署もある。
ボーサンだけが住んでいるわけでなく、普通の人が普通の暮らしをしている町になっていたのだ。

やがて、古賀さんの視点は、そこに暮らす普通の人の普通の暮らし、という方に向けられていった・・・と勝手に想像する。

およそ「高野山」とは関係無いだろうと思われる人のアップの写真が何枚もある。

優しい目をしたボーサンのアップがある。
厳しい目をしているのではない。何かを優しく見ている目だ。

ソファーに横になり、安らかな顔でうたた寝するボーサンがいる。
日夜修行をしているわけではない、緊張感だけではない、暮らすボーサンが、そこにいる。

ただ一枚、おそらく「論議」が行なわれるお堂に、これから入ろうとしている若いボーサンの後ろ姿を撮った写真が一枚だけあった。

この一枚だけで十分。

しかし、高野山には、気持ちを引き締められるような厳しい自然もある。
美しい自然も、優しい自然もある。

そして、信仰を受け止める凛とした空気がある。

・・・そんな、普通の町としての高野山と、神聖なる信仰の地としての高野山が、ここに捉えられている。

これまでの「聖地・高野山」的な写真へのアンチテーゼ、というものではなく、これが女性の視点だったのだろう。

しかし、そこには、これまで誰も捉えていなかった高野山の顔がある。

聖と俗、僧侶と一般の人、修行と生活、そんな聖地と普通の町とをひっくるめて「一山(いっさん)」ということなんだと思う。


・・・・

古賀絵里子 写真展『一山』

4月5日〜4月30日

EMON PHOTO GALLERY(東京 広尾)/ 無料
(東京都港区南麻布5-11-12 togoビルB1)
http://www.emoninc.com/

11:00 〜19:00 土曜18:00まで 日曜休館 29日(祝)は開館






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