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zoom RSS 篠山紀信・写真集『ATOKATA─あとかた─』

<<   作成日時 : 2014/04/30 00:00   >>

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気になっていた写真集をやっと購入した。・・・篠山紀信の『ATOKATA─あとかた─』。
篠山紀信が撮った、東日本大震災の写真。

(以下、Amazonより引用します)

写真家の篠山紀信氏による東日本大震災の写真集。東日本大震災とは何だったのかを氏独自の視点で切り撮っている。
判型は292mm×362mmの大判で、被災地の写真約100点、肖像写真約20点を収録。
篠山氏は未曽有の災害を目の当たりにして、人間が生きるということがなんと不条理であるかと感じた。
そして、自然の力に畏怖し、畏敬を持って凝視する姿勢で被災地と向き合った。
静けさの漂う写真からは、悲しみの深さや無常感がにじみ出ている。
(「BOOK」データベースより)
篠山紀信が全身全霊で向き合った東日本大震災。3・11を境に表現の在り方が変わった。


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書店でこの写真集を手にしたとき、この大きさに驚いた。
その時の印象は「さすが・・かな?・・・篠山紀信」という感じ。
何とも評価しにくい感じがあった。

震災の現場には、プロのカメラマンも多く足を運び、それぞれの視点で震災というものを捉えようと試みている。
それは、時々、写真雑誌にも掲載され、目にすることができる。
多くのカメラマンにとって「撮りたい」と思わせる被写体であるということは分かる。

私だって行きたいと思った。
でも、行けなかった。
結局、日々の予定に追われ、まとまった時間を取ることができなかったのだけれど・・・

そんなのは、言い訳かも知れない。

何でも良い、ボランティアで手伝いに行くことはできたはずだ。

それもしなかったのは、やはり、写真を撮りたくなってしまうだろう、という気持ちもあった。
安易にカメラを向けて良いのか?という自問自答もある。

かつて、阪神淡路大震災の時に・・・
写真が好きなボーサンの先輩が「写真撮りに行きたいよなぁ」と言っていたのを聞いて「そんな場合じゃないだろな」と思いつつ、でも、一方で「撮りたい!」という気持ちも否定できなかった。

阪神淡路大震災の写真は、横木安良夫さんのポスターにショックを受けた。
http://e-bozu.at.webry.info/201301/article_15.html
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この写真を見て、俺が行ったとしても撮れる写真はたかが知れている・・・写真を撮りたいと思って行ったって、ろくな写真も撮れないのだから、行ったって邪魔なだけ・・・そう思った。

この倒れた高僧道路の写真には衝撃を受け、未だにコンプレックスのようなものがある。

「これには敵わない。これは撮れない」・・・と。
この気持ちが、東北の震災の時に働いたのだった。

震災の後、我々は、とにかく膨大な量のテレビの映像と写真を既に目にしている。
ドキュメンタリーとしては、報道される多くの写真が目に入ってきている。

それに対して、報道ではないプロの写真家が撮る「震災の写真」とはどういうものか?
報道のカメラマンに撮れない視点のプラスαがあるのか?・・・
それは即ち「篠山紀信が撮る」意味はどこにあるのか?!ということである。

果たして、その「意味」はあったのか?

・・・さて・・・

これを実際に購入して・・・やはり、戸惑いがある。

私には、この写真集から「篠山紀信である意味」を見いだせなかった。
始め、その迫力に驚いたものの・・・冷静に見てゆくうちに「これは篠山紀信が手早く撮った」という感じがしてきたのだ。

この写真は、大部分が、おそらく35mmサイズのデジタル一眼レフで、撮られていると思う。

生々しい描写であるけれど、なんだか「ただ撮った」という感じが否めない。

それは神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、静謐で荘厳な光景であった。
僕は自然の力に畏怖し、畏敬をもって凝視するしかなかった。

・・・と、篠山紀信は言っているけれど、これは、篠山紀信の敗北だったのかも知れない。
大災害に対して、さすがの篠山紀信も「らしさ」を見いだすことはできなかった、ということだろうか?

「篠山紀信らしさ」って何よ?と聞かれれも答えられないけれど、何かプラスαがあるだろう。
「さすが」と思わせるものがあろうだろいう・・・ということだ。

「篠山紀信が撮った意味」があるか?・・・ということだ。

あえて見つけるとしたら「篠山紀信の視点」は「人を撮らなかった」ということだろうか?
震災後すぐに行って、まだ、生々しい「現場」を撮ったという感じ。
まだ人の手が入っていない所を撮った、という感じがする。
「災害のまま」・・・これも「自然のまま」という視点だろうか?

テレビで流された津波が街を飲み込む映像の後・・・津波が残していった物。それが、まさに「跡形」。

これが「単に撮っただけ」という印象に繋がる。

被災直後の生々しさと撮ったという点も「短時間で、デジカメでチャチャっと撮ったのでは?」という印象になってしまう。

それを「大判写真集の迫力で見せる」という所が篠山紀信だ・・・というくらいのものでしかない。
そんな印象になってしまった。
この大きさすら、無意味な大きさであり、作為的とすた思えてしまうのだ。

写真集のラストには、人を撮らなかったカラーのページとは逆に、大判のモノクロで人だけを撮った写真が並ぶ。

初め・・・「これは、篠山紀信だから撮れた写真だろうなぁ」・・・と思った。

彼のネームバリューがあったから、こうやって正面からカメラを向けることができたんだと思う・・・。

・・・と、思ったのだけれど・・・

このモノクロ、よく見るウチに「大判ではないんじゃないか?」という感じがしてきた。
大判で撮るとしたら、同じ焦点距離のレンズを使うだろうと思うのだけれど、このモノクロは、バックのボケ具合から、焦点距離がまちまちであるように見える。

大判で被災者と面と向かって撮ったのだったら凄いと思うのだけれど・・・写真の雰囲気が違う感じがする。
なんだか、デジカメで撮ったものをモノクロにして、4×5判のフレームを合成したんじゃないか?という感じがしてきた。
デザイナーがそうしたのか?篠山紀信氏がそうしたのか?
そうだとすると、これは、その作為的な点から、写真集の存在そのものから・・・真摯な姿勢が感じ取ることができなくなってしまう。

・・・これは、あくまで私の想像だけれど・・・

そう思うと、なんだか、安っぽい写真集に思えてきた。

この写真には、横木安良夫さんの写真に感じた思いはわいてこなかった。

「さすが」とは思えなかった・・・この写真集には承伏できない。

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単行本: 136ページ
出版社: 日経BP社
言語: 日本語
ISBN-10: 482226629X
ISBN-13: 978-4822266295
発売日: 2011/11/17
商品パッケージの寸法: 35.8 x 28.6 x 1.6 cm



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内 容 ニックネーム/日時
表現する行為は非常に疲れます、、、
先ず現場迄の行き帰りがあり、そこでの人間関係から始まりますから、、、
撮った後は、ここからまた考えなければなりません、、、

しかしバックに出版社が存在すれば、ある意味楽です、そのまま写真原稿を売り渡せば金にもなり、終わりですから、。
そのかわり自分の意思と無関係に作品が選択編集される傾向にあります、、、
つまりは出版社の写真集であって、作者は出版社です、、、
そして桁違い(自費出版に比し)に製本されて書店に並び、売れて、カメラマンの名は全国的に拡がります、、、

でプロとして写真で飯が食えるわけで、、、この辺りが俗に言う”プロとアマの違い”と小生は思います。
007
2014/04/30 01:52

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