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zoom RSS 初不動・・・多氣山へ

<<   作成日時 : 2015/01/28 14:09   >>

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毎月28日はお不動様のご縁日。
そして今日は・・・「初不動

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・・・なので、今日は、宇都宮西部にある「多氣山・持寶院」様へ、参拝。

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ここんトコ、とにかく葬儀続きで、氣が枯れそうだったので、お不動様のお力をいただいて「氣を養う」のであります。

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多気山・・・(以下、WIKI先生)

多気山(たげさん、多氣山)は栃木県宇都宮市にある山。標高は376.9m。山腹に多気不動尊が鎮座し、山域全体に山城多気城の遺構が残る。
多気山は、栃木県宇都宮市の北西郊外にある標高376.9mの低山である。山腹には多気不動尊(多氣山不動寺持宝院/真言宗智山派)が鎮座する霊山、下野の霊場でもあり、また山域一帯は戦国時代に宇都宮氏が出城または居城として使用し、その改易とともに廃城となった山城「多気城」の縄張りで、その遺構が現在も良好に残されている。宇都宮西部地区が現在城山地区と呼ばれるのは、かつて城山であった当山の存在に由来する。多気不動尊の門前は佐宗屋・桃屋茶屋で、現在も数件の茶店(一部宿泊も可能)が軒を連ねる。山頂の御殿平は旧本丸跡で東屋が設けられているほか、ヤシオツツジが群生し、開花期である毎年5-6月には花見を兼ねたハイカーで賑わう。
付近は古賀志山とともに宇都宮県立自然公園の指定区域内となっている。
多気山の山名は「タケ」(岳、嶽、嵩)の濁音化、語源は動詞「タケル」(長ける)で高所、高山のこと、云われている。また、霊気を多く発している山として名付けられたともされている。


多氣山がある所は「田下町」といいます。
Wiki先生の最後の2行を見ると・・・どっちが当て字なんだろ?・・・と思います。

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多氣山・持寶院(多気不動尊)〜多氣山持寶院のHPより〜

宇都宮の西北10Km、多気山(376m)の中腹に位置し、弘仁13年(822年)、日光開山勝道上人の弟子尊鎮法師により創建されました。当初は馬頭観音を御本尊としていましたが、建武2年(1335年)8月1日、宇都宮9代城主藤原公綱公により今の本尊不動明王が御本尊として氏家の勝山城から当山に遷座されたのです。不動明王は真言密教の主尊である大日本如来の 使者とされ、多くの信仰をあつめている仏です。当山の御本尊不動明王は天暦3年(949年)3月28日を選んで、源頼光が多田滿仲の子、多田の法眼(円覚上人)に作仏を願い、吉野山中にこもり一刀三礼のもとに彫り上げた霊像です。

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本日は「太鼓の達人」がいらっしゃる、というので、それを拝聴する、というのが、実は、第一の目的だったのでありました。

いやいや、よろしいですな〜。・・・太鼓の達人。いい音聴かせていただいたっす。

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信者寺(しんじゃでら)にあっては、千社札はいたしかたないのかもしれませんね。
これによって醸し出される雰囲気ってものもあるし・・・

ウチが、関東88ヶ所をやめた理由のひとつが、コレだったですが・・

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お不動様は・・・密教の根本尊である大日如来の化身、あるいはその内証(内心の決意)を表現したものであると見なされていので・・・大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)ともお呼びします。

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ここの問題点は、この急な階段。手を着いて登るような感じです。

足が悪くても、頑張って登るお年寄りもいます。有り難し!!・・・です。




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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
多氣も田下も当て字だと思います。変体仮名(かな)の元字ではないですか。

仮名(かな)の「いろは47文字+ん」すべてに元となる漢字が複数あり、一つの仮名に複数の字体がありました。これらは明治になり今の50音に整理され、一音一文字となりました。
『た』としては太、多、田、堂、當、他、對などのくずし字が仮名として使われていましたが、太のくずし字が『た』になりました。
『け』としては計、介、遣、希、期、氣、家などが使われており、計のくずし字が『け』になりました。
戦前は変体仮名として命名に使われていました。美佐、富美、比古は元字だと思います。

実は、祖母や先祖の名前が読めなくて、今、古文書講座で習っています。気分でいろいろな仮名を使っていたようで、一文や一語のなかでも複数の字体が書かれています。

寒いカメラ
2015/01/28 22:34
>どっちが当て字なんだろ?
・・・というのは、どっちもあてにならない、そんなもんだ・・・という意味で書いております。
三日ボーズ
2015/01/28 22:45
ま「多氣」でも「田下」でも「たけ」でも『たけ』と書いたのと同じということです。

古文書講座のできの悪い生徒は教さるだけなので、誰かに教えたくてウズウズしていてツイ・・・。
目下、変体仮名で書かれた四国八十八ヶ所のご詠哥が読めなくて四苦八苦しています。ご詠哥はネットで見つけたのですが、現代仮名と変体仮名が結びつかなくて・・・。止保保!(トホホ!)
寒いカメラ
2015/01/29 20:25
日本人が、現在の日本語の表記を身に付けたのは、戦後といっていいでしょう。
昭和初期でも論文を漢文で書いていたボーサンもいます。
万葉集にある万葉仮名に始まって、日本語表記に関しては、日本人はアレコレあれこれと試みていたのが、日本語の歴史でして、仰る通り、江戸時代は、浮世絵なども全部ひらがなだったり、ウチの祖父の書いたものも、変な字を使っています。
昭和に入ってもこんな字を使ってたんかい・・・です。
色んな変態かな・・いや、変体仮名を使って、それが読めていた、ということにも驚きます。
三日ボーズ
2015/01/29 20:55
元々あった日本語(和語)をどう表記するか?・・・という問題で、漢字を使って、和語を「訓読み」、漢語を音読み、として扱った知恵も凄いと思っています。
元々あった和語に、漢字を当てはめることは「翻訳」するのと同じで、大変なことだったと思うのですが・・・
たとえば「てら」という日本語に「路じ)」という漢字を当てる、という作業をやって、今の日本語を作ってきました。
ですから、逆言えば、漢字表記の大部分が「当て字」ということもできると思います。
万葉仮名などは、意味を考えずに音で当てていったわけですが・・・
三日ボーズ
2015/01/29 21:01

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