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zoom RSS またまたまた「撮影禁止」について考える・・・

<<   作成日時 : 2015/12/15 00:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

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前回本山に行った時、この看板に気がつきました。
「あれ? いつから撮影禁止になった?」

これまでは「フラッシュを使わなければOK」だったんじゃなかったか?

我らが総本山の金堂には、見えるところには文化財的なものは無いので、この理由を述べるのは難しいものがあります。
他もそうだから「ウチも何となく禁止ね」・・・というようにしか思えません。
実際、そのレベルの話しだと思います。・・・そうとしか思えません。

面白いのは、初めに注意してきた職員と話していると・・・
そこに慌てた感じで違う職員が来て「写真を撮っていただいて大丈夫ですから」・・・と言ってきました。
注意してきた職員も、それを慌てたように訂正してきた職員も・・・なんだったのでしょうか??

撮っても良いと言われたので、次に、伝法大会の集会(しゅえ・出仕者の集合)の様子を撮りにスタンバイしている書院に行ったら・・・法会の責任者が私の所にきて・・・

お写真は、やる人(出仕僧)の気が散るのでやめて下さい」と言ってきました。
なんて〜ことでしょう〜かぁ〜(>_<)

これは、高野山の常楽会(涅槃会)の時に、閉まっていた戸を開けて写真を撮ったら、ひとりのボーズが勢いよく飛び出してきて「そこ開けたら寒いやろ」と言ってきた、その愚僧に近い愚かな言葉で・・・

参照→「高野山、常楽会へ(愚僧編)」  http://e-bozu.at.webry.info/201002/article_25.html

彼は、この高野山のトンデモ愚僧と同レベルの愚かなことを言っているのです・・・
「何言ってるんだ?この人」・・・と、一瞬、理解できませんでした。

それは「アンタが言うことじゃねぇ〜でしょ」・・・ってことですよね。
これは、この責任者が出仕僧を見くびっているわけで、アンタが言うのはとっても失礼なことでしょ。

「ここにいるボーサンの恰好をしている人たちは、写真を撮られるくらいで気が散るような集中力がないナサケナイ連中ですから」・・・って言ってるってことですよ。
彼らがそう言ったとしても、それを「お前が集中しろ」とたしなめるのが偉い人でしょ〜よ。

ま、撮影をやめさせる理由を一所懸命考えた結果の、ナサケナイご意見だった。
・・・・ということだったのでしょうか、ね?


・・・・・というのが、この前々回の本山行きの際。

これが、先日の本山では・・・・


また、注意されたので、先日の法会の責任者を呼んだら、彼曰く・・・

「気が散る」と言ったのは「内局」の人なんだだそうな。
「写真はダメ」というのは、内局で決めたことなんだとか!

おいおい・・・そんなバカが内局にいたんかい?!(^o^)

それとも「内局」といえばオレがビビると思ったんだろか、この人??

そうでなくても、よくこんなアホなことを堂々と言えるよなぁ〜・・・という、この意識・認識は、オカシイと思うよ。

たとえ内局の偉いサンがそう言っても・・・

「それはご自身の集中力が無いと言ってるようなもので、それでは理由になりません。そんなこと気にせず集中してください」と、言うところでしょ〜よ?

「撮影はまかりならん」ということについて、もっとチャンとした、もっと納得できる理由を述べるんであれば、こちらも、言うことを聞きますが・・・これじゃあ、納得できませんわ〜。
あまりにバカバカしくて〜(^o^)

この前の伝法大会では、本山依頼の「おばカメラマン」が、酷い「身なり」で撮っていましたが、それは「本山が頼んだカメラマン」だから良い・・・んだそうな。

・・・これもおかしな話でしょ。

写真を撮られる側の「気が散る云々」という感覚からすれば、誰が撮っても同じじゃね〜でしょう〜か?「写真を撮られる」ということにおいては。
この責任者は「違う」というですが・・・

あえて無理遣り推測すると・・・「撮ってるのがオレだから気が散る」・・・ってことでしょか?
・・・んなら、まぁ、分かりますが、ね。(^^)

本山の法要の度に表れて、何やら、本格的な構えで撮っている。
あいつは何を撮っているのだ?・・・という不安がよぎる・・・ってんならわかりますが、ね(^_-)

あるいは、このブログを知っていて「また、何書かれるか?」ということで気が散るですか?
・・・それも情けないですわな。・・・内局なら尚のこと。そんなことで気が散るたぁ〜よ。

私がこれまで述べてきた本山の問題点は、私の指摘が悉く正しいことで、本山の連中は、その閉鎖社会の中で、頭が腐ってる、というのが私の思いです。

法会担当の彼は「あなたとは見解が違うようで」と言っていたですが、それは、本山という「閉鎖社会」にいるアンタの認識・判断・意識・思考が、世間とは乖離してる、狂ってるってことですよ。

「彼」には、これまでの、撮影禁止に関する私のブログ記事をプリントして送って、読んでもらうことにしましょ。

ついでに「気が散る」と言った「内局」が誰か教えてもらって、意見書を送ることが出来れば幸い。
・・・なので、よろしくね、責任者さん。m(_ _)m (^o^)



・・・イカンな、直接送ると思うと、いちいち表現が過激な方向にいっちゃう〜〜(^^)/


よくよく考えれば「気が散る」というのを撮影禁止の理由として、一般には言えないでしょうから、ね、これは、やっぱ、私へのもの、ということでしょうなね・・・と、想像いたします。

・・・ならば、そう言えばいいだけのことでしょ。


・・・しかしながら・・・

ここにきて神社仏閣においては「撮影禁止」はブームのようでもあります。

撮影禁止の理由にはいくつかりますが・・・

まずは、文化財の撮影禁止については、主に、フラッシュの光の悪影響による、文化財の傷みを気遣うものだと思います。
昔のフラッシュは強い物でしたから。
今のストロボは、1000分の1秒〜10000分の1秒単位の光で、影響を云々するレベルではないでしょうが、一応紫外線成分もあるので、沢山浴びせれば悪影響が無いとは言えない・・・かな〜?

また、売られたりしても困る、という点もあろうかと思います。
文化財として売られては困るし、あるいはまた、神社仏閣の商売の邪魔になる、という点も・・・無いとは・・・言えないでしょうね。

そして、信心からの理由として・・・

尊いものを気軽に撮るな」・・・ということ。
これは、写真を撮ると魂を抜かれる・・・という認識から抜け出ないという面もありますが「尊いものを気軽に撮るな」という点は、特に、スマホでみんなが気軽に撮るようになって、改めて、意識される視点だと思います。

先だって、東大寺のお水取りの「下」が、スマホの青い蛍の光でイッパイ!という記事を書いたのですが、今は、とにかく「どこでも誰でもスマホ」なので、写真と言う物が、より安易なものになっています。

例えば、先日の増上寺での「声明と雅楽の会」では、撮影は構わないけれど、フラッシュは点かないようにしてください。

・・・というものでしたが、フラッシュを点けて撮ってしまう人が何人かいました。
おそらく、フラッシュを点かないようにする方法を知らない人なんでしょうが、ならば撮らない、という選択肢はないようです。明が撮っていれば、自分も撮りたい・・・ということなんでしょう。

カメラマンのマナーが悪くて禁止になる、というところが圧倒的に多いとようです。

どこのサイトだったか忘れてしまったのですが・・・撮影禁止に関する記述がありました▼

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入ってはイケナイと言っている庭園に入ったり、コケの上に三脚を立てたり・・・中途半端なマニアに多いのでしょう。
キチンとした写真を撮るには三脚を使いなさい、と昔は言われていました。
フィルムの時代ですね。
感度の低いフィルムを使って、出来るだけ絞って撮るようにすると、シャッター速度が遅くなるので、三脚が必須だったので、カルチャースクールなんかでは、今も、そう教えているのでしょうね。
プロは三脚を使う、ということも何となく認識されていることですが・・・
今は、デジタルの時代。そんなことはね〜ですが・・・
特に「自分は、自分は・・」とのめり込んで無茶をするのは、中年以降の男に多いと思います。
「自分こそは他より良い写真を撮る、撮れる」という愚かな思い込みの「唯我独尊的おやじカメラマン」が目に付きます。

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例えば、遊行寺の「一ツ火」は、全面的に撮影禁止になっていました。
これは、やっぱり、スマホ対策だそうです。

真っ暗で、静かな中で行なうことに意味がある法会なので、とにかく、ケータイの着信音とデジカメ・スマホなどの電子機器には気遣っているようです。

これは、厳しくしても厳しくしても、気を抜けないものがあるでしょうから、ますます管理が難しくなり、また厳しくする・・・ということだと思います。

こういう所では、我々が当たり前と思って、注意するべきところですが、残念ながら、我々の認識は甘いものがあります。

通夜・葬儀の式中にケータイ・スマホの呼び出し音がしない方が珍しいくらい、毎回のように鳴りますからね。

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この「霊が写り込む可能性があるから」というのはオモロイですね〜(^o^)

これは「信心」に訴えるものですね。本当にあるのかも・・・(^^)/・・・知れませんが(^o^)
ここには、前に書いた「尊きものは写真など撮ってはイカン」という思いでもあります。

やはり、一番大切なのは、この思いだと思います。

ただし、もっと深いことを言うと・・・

人型に作られた仏像は、見た目は「物」なのです。
「仏の本体」ではなく、便宜上、分かり易くするために作られた物なので、その物自体に本来は価値は無いとも言えるのだと思います。
僧侶にとっては、本来は自分で「観想する」存在であるのです。
真言ボーズとしては、仏とは・・・観想し、自分が成るもの・・・ですから。

それを分かり易いように「カタチにした」のが仏像なので、それを撮ったところで、ただ、物を撮っただけ、とも言えるのです。

ただし、それができない一般の人(実は我々もできない)にとっては、それこそが「仏」ですから、敬虔な気持で接して欲しい、ということなんですね〜。

そういう意味で、食事の前に、食い物の写真を撮ったりするのと同じような気持ちでスマホを向けるな、という意味合いが、これからは多くなるものと思います。

我らが総本山にある「撮影禁止」の看板も、そういうものだとは、解することができます、か、な?
ま、置いてる本山側には確固たる明確なる理由はなく「何となく禁止」「みんなやってるからウチも禁止にすっか」・・・という程度のものだと思いますが、ね。

・・・でも、やっぱ、あの金堂のご本尊にしても、文化財的価値故の撮影禁止という理由は無いし、40年やそこいらの新しいものだし、化像・仮像って感じがありありで、真言ボーズとしては、写真に撮ったって何したってかまわね〜じゃん、と思ったりします、わ、な。

開眼すれば、それは「タダの物ではない」という意味合いになるので、それを有り難く思いなさい・・・・ってことだと思う・・・ってことか。





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