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zoom RSS 誰でも発言・・・が、良いわけではない・・・と思う

<<   作成日時 : 2017/04/29 20:59   >>

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最近、テレビの画面にTwitterの投稿が使われるのをよく見る。
だいたい、どうでも良いようなことが書かれている。

ホントに、ど〜でもいいようなコメントばかり。
これが、この番組に必要なの?というものばかり。

テレビは、これで何を言いたいのだろうか? 
どういう意味があってそのような構成になっているのだろうか?

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「生放送」ということにテレビは必要以上に興奮するらしいが、そういう時に、よく「視聴者からのファックス」を要求し、番組内で取り上げる、ということをやっている。・・・「いた」、か?

それが、今は、Twitterである。
おそらく検閲はあると思われ、全部が全部放送に使われる訳ではないのだろうと思われる。
故に、ど〜でもいいようなコメントばかりになってしまう、ということもあるのだろうと思う。
この、おおよそど〜でもいいコメントを使って、何が言いたいのか?

テレビは、ソーシャルメディアとも繋がっていて、「遅れてはいませんよ〜」・・・ということを言いたいのだろうか?
ネットに対する「遅れ感」を感じているのだろうか?とも思える。

そのくせ、新聞や週刊誌の報道をワイドショーがネタにしている。
テレビの方が速報性があるのは明らかなのに、そのプライドは無いようだ。
新聞各社の記事を並べて「ニュース」を伝える、という愚かなことを続けている。

その点を考えると、「ネットに遅れている」という強迫観念のようなもの・・・と矛盾する。
「ほ〜ら、ネットの声も取り入れているんだもんね〜」という、ただの「媚び」なのかも知れない。
ただ単に、流行に乗っかっているだけ、と思うと、実にテレビらしい、と言えるのかもしれない。

ニュースはネットから得る、という人も多くなっているのだろう。
私自身、最近は新聞を読まなくなった。
(といっても地元紙なので、内容が無いよう〜なのだけれど・・・)
あえて、中央の新聞を取りたいとも思わない。

新聞も読まず、テレビも見なくなっている・・・という人が増えたら困るテレビが、ネットにすり寄っておくということも必要じゃね?・・・ということかも知れない。

実際、テレビを見ながらツイートする、というおもしろさは、「真田丸」でワタシも知ったりした。

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しかしながら・・・ふと思う。
ネットの「言葉」って、そんなに価値があるか?・・・と。

こんなことを言うと、非難の声が来そうだけれど・・・あえて言うことにした。

最近、ふと思ったこと・・・

その昔、学校のテスト。色んな点数を取るヤツがいた。
学校のテストが、人間の評価に即繋がるとは思わないけれど、たとえば、英語や数学、理科・・・どれも、その知識・能力の一面が現れることは確か、だろうと思う。
それが現実・・・だと思う。

当然、国語の点は、「国語力」を評価する。

これも、同じ学校の同じ学年・クラスでも、大きな幅があった。
学校全体のレベル、というものも悲しいかなあったことは事実といえよう。

単純に言えば、頭の良い学校の上のレベルの力と、バカな学校の下のレベルでは、雲泥の差があるだろう。と言ったら怒るかい?
・・・あったろうと思う。

そういうものがあったはずだし、それは今現在の皆さんにもあるはずだ。
悲しいかな、読み書きの優劣は・・・あるのが、現実。

そりゃそうだろう、感受性と文章力の優れた人が、それを仕事にする。
人に物事を知らせたり、教えたり、感動させたりできる才能がある人がいる。
そういう評価をされている人がいる。

思考、感受性、文章力・・・そういったものが秀でた人がいる。
もちろん、逆に、メディアに出ていなくても、それを仕事にしていなくても、これらのことが優れた人もいる。
そういう才能をネットに発見することもある。
ネットから、世に出る人もいる。

実は、そういう「差」があるのに、それを意識させないという、妙な「平等感」と言ったものがネットにはあるのだと思う。

極端なことを言えば、才能ある人に、そうでは無い人が「タメ」で攻撃できる。
学校の成績も、社会での地位も、生活水準も、その人の社会での評価も、そんなことを取っ払って、一見平等に、だれもが、同じレベルで物を言える。
これが、Twitterなどの特徴だ。

・・・このようなことを書くと、ネットの誰かが反応する。
反論するのは、ネット上では「だれもが平等だ」というような事になっているからだ。

それが、政治家でも、タレントでも、一般の何でも無いおバカちゃんでも、対等に物を言える。
ため口でモンクを言える。
これが、ネットの清濁・善し悪し・上下左右・・・等々、入り乱れた世界であって、これが、一見平等になっていると思える。

近寄りがたい政治家よか、有名人とか、有力者とか、誰にでも、ため口をきけるということは、自分の地位もそこまで上がったかのような錯覚を与えてくれるという優れものがネット。
これで、勘違いをしてしまっている輩が、数多いる、ということだ。

Twitterは、難しい。
限られた文字数の中で、キチンと考えをいうのは難しい。
そういうことを考えないで、単純にこれを使って言いたいことを言ってる人はオメデタイ人だと思う。

ワタシは、あえて「実名」でTwitterを使っている。
逆に、自分の意見だと主張したいからだ。
すべては、ワタシが責任を持って書いたものだ、と言いたいからだ。

このブログも、そう。

遊びで、実名は使っていないが、それはネットのたしなみ。
ちょっと調べれば分かるようにしている。

実名で書いている有名人に、匿名でイチャモンつけたりしている連中の心の貧しさが悲しい。

また、読解力が無い人も多すぎる。
どうしてそう読んでしまうのか?・・・という、者が気になる。

ネットの「妙な平等性」が、自分の「読解力の無さ」という重大問題に気がつかないまま、ネット上の文章を読んだり、コメントを書いたりしている。

考え方が貧弱な者も多すぎる。
理解力が劣っている。

これも、ネットがゴマかしてくれる。
だから、いつしか、自分の読解力と、理解力と、感性が貧弱であるということを知らないで済んでしまう。
そりゃあ、色んな読解力と、理解力と、感性があっていいわけだけれど、学校のテストのレベルで貧弱な人が、それに気づかないまま、ネットの妙な平等性の中にいるのは、危険であるということだ。

こんなことを書かれると、腹を立てる向きもあろう。
それは、著名な人や、力ある人へ、対等に意見できるという、正にバーチャルな平等意識が、変なプライドを生んでいるからだとおもう。

学びて思わざれば則ち罔し(くらし)思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)
・・・なのである。

「己を知る」ことが大切。



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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
リアルな会見でも意見の衝突もあるわけで、、、

時間差あり不特定多数のネットでは更に色んな問題も出るのでしょうね、、、

真剣にやるならやはり”リアル会見”になるようです、。
007
2017/04/30 06:49
相手の顔を見ないで、というか、自分の顔を見せないで言いたいことを言う、という文化は、人間をダメにすると思いますね〜。
三日ボーズ
2017/05/01 09:00

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