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zoom RSS 【真田丸紀行】・・・真田の郷

<<   作成日時 : 2017/07/18 00:00   >>

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真田氏記念公園。
「真田氏発祥の郷」の石碑の揮毫は、『真田太平記』の著者、池波正太郎氏によるものだとか。

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真田三代(幸隆・昌幸・幸村)のレリーフ。
ところで、この真田三代というときに、信繁の兄・信幸(信之)でないのは、おかしくないかい?

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真田の郷のあちこちに、こういうのが植えられた畑がある。

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何となく「梅?」と思っていたが、枝が違う。
近くで見たら・・・「クルミ」かい?

名産だったのか。そういえば、テレビ「真田丸」でも、信繁の父、信之がいつも「くるみ」を握っていた。
クルミを持ってゴリゴリやってるのは「素浪人 月影兵庫」が、握力を鍛えるためにやっていて、そんなもんかと思っていたけれど・・・名物だったのか。

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お昼に寄ったのは、その名も「佐助」。

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古民家を改造したお店。

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ウリは「くるみ蕎麦」・・・そう、くるみ。
ここのは、クルミを粗い粉状にしたものを蕎麦のタレに入れて食べる。
蕎麦のコシはあり過ぎるくらいにあり、クルミの味が良い感じ。

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信綱(しんこう)寺。
室町期、尾引城主横尾氏の菩提寺として梅ノ木に大柏寺が開創されました。
上田原の合戦で横尾信光が討死。以後廃寺となり、天正3年(1575)打越に移して打越寺としました。
文禄3年(1594)、真田昌幸が長篠の合戦で戦死した兄信綱の牌所として信綱寺と改称しました。
享保2年(1717)現在地に移りました。
(パンフレットより)

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ここにも古いお墓があって良い感じですが・・・肝心の「信綱夫妻・昌輝の墓」が見つからず(^^;)

真田信綱。幸隆の長男。
次男・昌輝、三男・昌幸、四男・信尹。
天正2年(1574)、父の死によって家督を継いだものの、長篠の戦いにて昌輝とともに討ち死に。
当主となってわずか一年。信綱の後を昌幸が継いだ、ということで、「真田丸」が始まるわけだ。

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どうしても「六文銭」に気を取られてしまう〜。

真田といえば、一族の旗印である六文銭が有名です。幸隆の考案とされる銭紋は、死者を埋葬すず際に棺に入れる六文銭、いわゆる冥銭を表しているといわれます。つまり、三途の川の渡し賃であり、不惜身命を意味するのです。
軍旗をひるがえしながら敵に攻め込む真田軍は、命を惜しまぬ覚悟を秘めていたからこそ、家康をはじめとする武将たちを震え上がらせたのではないでしょうか。

(パンフレットより)

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「すべてはぜーレの趣くままに」・・・ぢゃない!
信綱寺の前にある「古城緑地広場」の「歴史の広場」。

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真田氏と関係の深かった戦国武将の花押が石に刻まれています。

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東部湯の丸SA。真田押し。

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トイレの扉も「六連銭」と「結び雁金」んだもんね〜







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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
 上田市在住の智山派の末端信徒です。いつも興味深く拝見しております。当地にお越しになったのですね。このブログに出ていた実のなっている木はおそらくリンゴだと思います。今年5月の末に雹が降ったらしく、この辺りのリンゴは今年は期待薄のようです。
 真田氏記念公園で感じた真田三代が真田幸隆、昌幸、幸村というのがおかしい、という気持ちには同感です。私も三代目は信之の方が良い気がします。
 信綱、昌輝のお墓に行き着けなかったとのこと、残念でした。整備されているのでわかりやすいところにあった気がしますが、もう何年も前に行ったので現状ははっきりしません。もし機会があればまたお越しください(というのは変ですかね)。
 お盆に向けて大変な日々かと思いますが、お身体くれぐれもお大事に。
otonoha
2017/07/19 13:48
あ、リンゴでしたか。
仰るように傷んでいて、リンゴとは思えなかったですわ。
三日ボーズ
2017/07/19 15:32

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