なんで神棚に達磨さん・・・?

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骨折の母に「だるま、神棚に上げてくれ」と言われてあげた後・・・「ところで、なんで達磨さんが神棚?」・・・と思ったですよ。

女房に聞いたら、女房の実家でも神棚に達磨さんを置くそうな。

でも・・・

達磨さんって言えば、禅宗の達磨大師ですよねぇ。

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←月岡芳年画『達磨図』

ではWiki先生に聞いてみましょう。

達磨(だるま、ボーディダルマ)は禅宗の開祖とされている人物である。菩提達磨、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるがいわゆる中国禅の典籍には達磨、古い写本は達摩と表記する。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。
室町時代に日本に伝わった仏教禅宗では達磨大師という僧侶を重要視し、「祖師」の言葉は達磨を表すこともあるほどである。
禅宗寺院では達磨大師を描いた掛け軸や札をいわゆる仏像のような役割で用いることが行われるが、この達磨大師には壁に向かって九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまったという伝説がある。ここから、手足のない形状で置物が作られるようになった。


「面壁8年」だと思ってた・・・

最後の「九年の座禅を行ったことによって手足が腐ってしまった」という伝説は、どこからきたものでしょうか?
「面壁9年」ということすら怪しいようで・・・Wiki先生は次のようにも言ってます。

達磨は嵩山少林寺において壁に向かって9年坐禅を続けたとされているが、これは彼の壁観を誤解してできた伝説であると言う説もある。壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており、「壁となって観ること」即ち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」のことである。これは後の確立した中国禅において、六祖慧能の言葉とされる坐禅の定義などに継承されている。

では、いわゆるひとつの「だるまさん」は、どうしてできたか?「少林山達磨寺」のHPより~

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張り子の縁起だるまは、この寺から生まれました。
昔、大洪水で流れて来た大木で、一了(いちりょう)行者が達磨大師の像を彫ってお堂に安置したのがこの寺の起こりです。
今から200年程前天明の飢饉の後、農民救済のため九代東嶽(とうがく)和尚は、心越(しんえつ)禅師の描かれた達磨大師の図を手本に木型を作り、農家の副業に張り子だるまを作らせ、七草大祭に売らせたところ評判となり、縁起だるまの少林山と言われる今日の隆盛をみるに至りました。


「冠婚葬祭マナー百科」というHPに「歳の市」について以下のように書いてあります。

神社仏閣の歳の市

■歳の市とは、正月用品や祝儀物を売る市のことです。
江戸では十二月十四、五日から、多くは神社仏閣の境内で開かれていました。
羽子板市、蓑を売る蓑市、門松ばかり売る松市、注連飾りの卸売り市であるガサ市、いろいろなものを売る「何やかや売り」〈ボロ市ともいう〉などがありましたが、大晦日には「捨て市」と称して、捨て値で売られるので、庶民はこの日を待って正月用品を買ったりしていました。
■当時、有名だったのは、浅草観音の歳の市で、埼玉県大宮市氷川神社、川崎の平間寺、山王宮、鎌倉ハ幡宮なども賑わっていたようです。
■歳の市で売られたものは、神棚、注連縄、三方、破魔矢、門松、うらじろ、だいだい、ゆずりは、串柿、松や福寿草、盆栽、若水桶、まな板、包丁、こんぶ、羽子板、かるた、箸、茶碗、屠蘇散などで、そのころの正月準備の様子がよくわかります。


歳の市で有名な、浅草・浅草寺のHPには「納めの観音ご縁日」として、以下の記述があります。


毎月18日は観音さまの「ご縁日」。特に12月の「納めの観音」は一年の締めくくりとして、より多くの参拝者が訪れます。
江戸時代、毎年12月17・18日に正月用品や縁起物を売る店が境内に集まり「歳の市」と呼ばれ、それらを毎年この市で求めることを吉例とした人々で賑わう江戸随一の市としてその名が知れ渡っていました。
現在この「歳の市」は、「羽子板市」としてその形をとどめています。 これは羽子板でつく「おい羽根」が害虫を食べる「トンボ」に似ているため、悪い虫がつかないとか、またそのかたい「豆」(むくろじ)の部分から「魔滅(まめ)」にあてられ魔除けになる、あるいは「マメに暮らせる」などの縁起を担ぎ、江戸後期のころから女子の誕生した家に羽子板を贈る風習ができました。これによって羽子板を正月の縁起物として「歳の市」で扱う店が増えていったからだと伝えられています。
現在では「納めの観音ご縁日」の前後も含め、12月17~19日に「羽子板市」として境内に数十軒の羽子板の露店が軒を連ねます。
また、この日より新年の福徳を祈願した「恵比寿大黒天御影(みえい)」や「縁起小判」も授与されます。


浅草寺では「恵比寿大黒天御影(みえい)」や「縁起小判」は「新年の福徳を祈願した」物ですが、羽子板は、単なる「縁起物」で、寺とは関係無い、ということ。

ウチでは、達磨さんを毎年、11日の「初市」で買ってくるののですが、宇都宮の初市は、神社や寺がある訳ではありません。
初市をやっている通りの中程に日蓮宗と浄土宗のお寺がありますが、カンケーありません。
もしかして、近くにある八坂神社と関係があったかもしれません。
例えば、神社の前でやっていたのが、道路事情の関係で場所を変えたとか・・・

初市に関して、朝日新聞(栃木版)の記事です↓

宇都宮で伝統の初市、家内安全・商売繁盛願う
2014年1月12日03時00分

縁起物のだるまなどを売る露店が並ぶ新春恒例の初市が11日、JR宇都宮駅近くで開かれた。約300メートルにわたって歩行者天国となった市中心部の上河原通りは、多くの家族連れらでにぎわった。
「いらっしゃい」「商売繁盛にはこのだるま」。家内安全や商売繁盛などを願う縁起物を求める人たちに、売り子たちがそこかしこで威勢のいい声を響かせた。だるまの売れ筋は1体3千円ほど。昨年からの景気回復ぶりを示すように、今年は一回り大きいだるまが売れているという。
毎年だるまを買いにきているという宇都宮市の主婦増渕静江さん(55)は「家内安全と孫たちの学業成就を願って買いに来ました」と熱心にだるまを選んでいた。


やっぱり「ただの縁起物」という感じでしょうか?
お寺とも、神社とも関係無く、寺や神社で祈願したわけでもない「縁起物」・・・ということで。

高崎の達磨寺ではどうなっているのでしょうか?

お寺で祈願していない「ただの達磨」(^^) が、普通に売られているのでしょうか?

お寺で祈願した達磨もあるのでしょうか?

・・・ところで、黄檗宗という禅宗で祈願、というのも「?」な感じがします。

もっとも、法要の形式は「大般若」のよう。
あの「バラバラバラッ・・・」の大般若経の経本は、今のは「黄檗版」というもので、そもそも活字の「明朝体」の元だったはずですから、大般若の元祖と言えるかも知れません。

「大般若転読法要」によって、祈願をするのは、いずれの時だったか、朝廷より命ぜられ、多くの寺院でもやられているのだったか・・・
曹洞宗でも盛んに行われているようですね。
もともとは、不立文字のうえ、般若経の読まないと思うのですが・・・
それに、祈願というのも、へんな感じがします。

この大般若転読法要の「転読」の方法は、時代によって変遷があったようで、当初経典が「巻物」であった時代には、題名と、中間と、末尾のみをめくって読んだそうです。

その後、現在のような「折本」が出来てきて、今の「バラバラバラッ・・・」が始められたのでしょう。
今では、この転読の際に出る風に当たると、一年間は無病息災になるといわれています。

色々調べていたら、浄土宗の寺でも「祈願」を売り物にしているところがありました。

へぇ~。


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この記事へのコメント

rudra
2014年01月14日 19:17
時々拝見させて頂いております。
いつも鋭く興味深い見解、参考になります。
かなり以前「秋庭歌は伊福部昭じゃなくて武満徹ですよ」とコメントした者です。
「だるまをなぜ神棚に?」は・・・疱瘡神を神棚に祀る風習との結びつきが有力説です(疱瘡避けとして)。寺社の授与品での「だるま」は祈願済みでしょうが、門前や縁日で売られているものは無関係みたいです。が、購入者自身で「願いを込めて片目を入れる」行為が「開眼」と見做されているようです。それ故(シロウトの祈願故)神棚に祭り神仏の加護を頂くと理解できなくもないです。
少林山住職著「よくわかるだるまさん」や、社会評論社の「達磨からだるまものしり大辞典」、上毛新聞社の「縁起だるま」「続縁起だるま」などは中々良い資料です。少林山近辺在住なもので、つい口を出してしまいましたがご容赦下さい。一昨年「一つ火」では隣りにいました。実はブログ写真に少し写ってます(笑)。エスニック?ショール羽織ってました。


三日ボーズ
2014年01月15日 07:37
その節は・・・お恥ずかしい。コピペを繰り返しているうちにわからなくなるという・・・

人々の認識としては「初市とか、縁日で売ってる縁起物」でしかないんだと思います。門前で売っていても、カンケー無い。
ただ、逆に、達磨寺がどうなっているか?・・・黄檗のボーサンに聞いているのですが、お~~い、答えてくれぃ。

江戸期の貪欲な民衆力によって伝播急速に日本中に広まった、というものかと思います。
江戸期の文化の広がりと、明治の混乱で、日本においては「理屈じゃない」というものが多く生まれたような気がしています。

ま、ど~でもいいようなことなので、そのうち、余力があったら調べてみよか?・・・くらいの感じでおります。
ただし、ボーサンが書いているものは、眉唾が多いので・・・・

rudra
2014年01月15日 11:09
お返事ありがとうございます。
そうですね「縁起物」の意識ですね。「熊手」とかと同じ。買う側も売る側もおそらく寺社も。境内授与所でも見かけますが庶民信仰に「便乗逆輸入」
ぽい。ところで・・・達磨寺の御札って達磨さまの上に北斗七星が書かれてます。「星辰信仰」も取り入れてるようです。曹洞宗にも「祈祷経典」なんて(私家版でしょうが)のがあり堂々と「九字」が載ってます。「何でもアリ」感いっぱいですが・・・或いは「求められたら断らずやって来た」結果?雑感失礼いたしました。
三日ボーズ
2014年01月15日 21:43
もともと、不立文字であり、現世利益など関係無いはずの曹洞宗が、大般若による祈願を盛んにやってます(^_^;)
ま、それは良いと思います。
元々は、朝廷からの命令だったはずです。

高崎の達磨寺では、門前で売ってる達磨は、寺とは関係無いものですが、寺に持ってきて、頼めば寺で「開眼」してくれる、という形だそうです。
ボーサンが、左目を入れるとか。
三日ボーズ
2014年01月20日 00:14
あ、記事中で、宇都宮の初市は神社や寺には関係無いというようなことを書いていますが、後日、初市が開かれている所の近所の住職の尋ねたら、あれは二荒山神社の出開帳みたいなモンだということ。
初市の通りのどこかに二荒山神社の分身(分神?)が祀ってあって、賽銭箱があるんだよ、と仰ってました。
実は、一回しか行ったことがなくて知らなかったのでありました。<(_ _)>

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