年末の葬儀・・・喪主の家族の新年は?

本年最後の土日は、流石に法事も無く、静かな年末か・・・と思いきや、葬儀が発生。

本日のお通夜の前に、ちょっと時間があったので、法要の後の「話」についての迷走 (^^;) ちうに・・・

こんな風に、年をまたいで四十九日となるような時に、この家の「新年」ってどうなるんだろ?・・・と、トートツに思って、短い時間でしたが、考えて思ったことは・・・

この家の新年は、四十九日が終わった「忌明け」を以て新年、と考えるのが良いと思ったわけです。

つまり、当家では、そこまで「旧年が続いている」と考えるのが、良いのではないでしょうか?
こういう考え方が民俗学的裏付けを有するや否やは、後で調べるつもりですが、直感的にそう思ったです。

案外、こういうのが当たっていたりするものなのですが・・・さて・・・

以前にも書いたと思いますが「新年」というのは「旧年」から続くのではなく、また、変わる訳でも無く「入れ替わる」という感じが正しいのだと思います。

「まっさらな新しい年」な訳です。

元旦の日が昇ると、新しい年神様をお迎えする、ってことは、年神様が交代するということで、新しい神様による新しい年になる、ということです。

ですから、昔は、みんな「元旦で年を取った」のです。

「日本昔話」の中に・・・おじいさんとおばあさんが向かい合って年越し蕎麦を食べながら・・・「来年もいい年取るべぇ~」と言っていた記憶があるのですが・・・

これも、大晦日に「今年1年無事で良い年をとった」という気持ちがあったのではないでしょうか?

1年過ごして、年を取った、という感覚でしょうか?
それとも「新しい年を取った1年が始まる」という感覚だったのでしょうか?

極端な話、大晦日に生まれて1歳。元旦が来て2歳、というのが数え年です。
満年齢という概念が持ち込まれてから、誕生日ということが言われるようになったのでしょうね。

1年をふたつにぶった切って、前半の初めには年神様をお迎えして、後半の始まりにはご先祖様をお迎えする、というように、前半と後半で神様と仏様、神事と仏事、という風に訳られていたということです。

一説には、両方ともご先祖様だったものが、神様とご先祖様になったという考えもあるようですが・・・

現在では、そういう意識もほとんど無くなってしまったようです。

ですから・・・
今、葬儀をした家は、忌明けまでが今年で、忌明け以降が新年という考えは合っているのではないでしょうかね。

なので「年を跨いでいるのではない」ということになる・・・そう考えると不都合が生じない、と思うのです。

そこから初詣でしても、何してもいい・・・と考える・・・か?

さて、いかがでしょうか・・・・

もっとも「喪中」という概念もあって・・・釈然としないのですが、喪中の期間などは、法律によって作為的に決められたりしていて、ただそれだけのものなので、信仰としてどうか?と考えれば・・・

信仰とは言いがたい部分も感じられます。
ちょっとワカランですね。







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