太宰府天満宮

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九州・福岡に行ったら「まず、ここでしょ」・・・の太宰府天満宮。
受験生の次女の合格祈願であります。やっぱ、ここでしょ。

次に書きます「本来の目的」と、どっちがメインかワカンナイ感じであります。
これも、良い、巡り合わせ、ということで、お詣りですが・・・

太宰府のHPには「開門は夜7時まで」となっております。
ギリギリだな・・・と思いつつ、バスの乗り方が良く分かりませんし、時刻をみると、着くのがホントのギリになってしまいそうなので、タクシーにしました。
明日の早朝にもう一度、と思いつつ、夜の雰囲気もイイかな?と思っての、参拝でした。

これが、意外に遠くて(地図の縮尺を認識しておりませんでした)、高速代を入れて5600円!おおっ。

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それで着いたのが、6時過ぎ。門前のお店は、どこも閉店。静かな参道でありました。

歩きながら・・「明日、節分じゃん!」・・です。節分の幟や看板があって、境内の静けさも「明日への準備」という雰囲気を感じます。
明日に向けて、控える静かさ。嵐の前の静けさ・・・。
明日は大変なんだろな・・・と思いつつ・・・。

境内では、いくつもあるお土産・お守り売り場のうち、一カ所だけ「営業中」。
そこで、お守りと、マークシート対応の鉛筆を、とりあえず買います。

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女子高生と思しき数名が、やはりお詣りしています。

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なんだか、ゴチャゴチャごった返してしているよりは、何だか、天神様を独り占めしているような感じでもあり、とても落ち着いてお詣りでき、明日の節分を見てみたい気持ちもありますが、このお詣りでいいかな・・・と思い「多分、明日はパス」・・・と思いながら、後にします。

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太宰府天満宮といえば、菅原道真(菅原道真公、菅公)。
ここは菅公様の霊廟。天神様のお膝元であります。
天満宮というのは、人である菅原道真公を祭神として祀った神社。
京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされており、またとして篤く信仰されている。

以下、Wiki先生・・・

右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に権帥として左遷され、翌々延喜3年(903年)に同地で薨去した。
薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。
一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀で、正暦元年(990年)頃からは社号としての「天満宮」も併用された。


この「強力な祟る霊・菅原道真」を神様として祀り、やがて・・・

道真の御霊に対する恐れも少なくなってきた中世ごろから、道真が生前優れた学者であったことにより学問の神としても信仰されるようになった。

・・・ということ。

今や「菅公=カンコー」で、学生服の名前ッスからね(^^)/

学生服のKANKOのHPの「良くある質問」に、次のように書かれておりました。

カンコー学生服の由来は何?

KANKO(カンコー)は、学問の神様である菅原道真公の呼び名「菅公」に由来します。
学者でありながら政治の道を志し、世の中のために尽力した道真公のように、私たちも夢や目標への強い信念を持って道を切り開いていきたいという想いを込めています。


・・・ということです。(^^)/

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

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・・・んで、お土産の「お守りと鉛筆」。次女には大変喜んでもらったですよ。
「無敵じゃん」・・・です。

よかった、良かった。(^^)/



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