国立劇場50周年記念「声明公演」・・・比叡山の巻

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今回は、高野山と比叡山のを、2回に分けて公演する。
両方見る場合はチケットが2枚必要、というわけ。

高野山が終わってから、次も見る人はロビーで待つ、というかたち。

コレも、1階の恥・・・いや、1階の端。ホントの端。ステージ、の右側が見えん~!・・・という所。
今後のために「2階席の一番前とかどうだろ?」と思って確かめてみたものの・・・
前回書いた理由で、だめ・・・かと思う。

法会を上から見ちゃうと、眺めている感が強くなってしまう。
体感とはほど遠いものとなってしまう。

逆に「鑑賞」という気持ちで見るなら2階もいいかも、と思う。
私のように、研究のため、なんていうのは、そっちの方がいいのか?

いや、やはり、音から遠くなってしまうのも良くない。
今後も、PAをしないのであれば、やはり、ステージに近い方がいいのだろう。

公演の内容は、こっちもやはり「四箇法要」となっている。
これも、本気でやると、とても長いもの。
省略しつつも、きっちりやっている、という印象。

天台の法要は特に長い、という感じがする。
経文がなかなか進まない感じがする。

まず、唄(ばい)から、散華(さんげ)という声明曲になる。

ここに特徴があって「唄」は秘曲とされるため(分からないように?)そこに散華の曲が被されて唱えられる。

おまけに、散華は、我々では「頭」という、一人が唱えた後、式衆がその後に続かずに、頭人が一区切り唱えた後、式衆も頭から唱えているような感じに成ってる。
輪唱、というとちょっと違うか・・・?

つまり、三つの曲が同時に唱えられている感じ。
これは、和音でも無く、強引に唱えられているので、ところどころ不協和音にもなったりする。
「あんなン、よくできるな・・・」と思う。

これ、三千院とかで聞いていると、よくわかんないんだけれど、今回はよく分かった。

我が方では「唄」は、最長老のボーサンが「一人で」唱える。
一人静かに・・・という感じで唱える。

唄、というのは、場を静める、という意味があるんだとか。
秘曲、というようなものはなく、私も、大学で習った・・・

それから、私の席からは全然見えなかったのでありますが、「三條錫杖」の時に、真ん中でホントの杖状の錫杖を振るっていたのが印象的。
「大錫杖」というんだそうな。振り方が独特。
我が方では、修験が使うモノ。大曼荼羅供のときとか、使ったのかな?・・・ワカンナイ。

その一方で、小さな錫杖の音も聞こえてくる。
これは、普通に降ってる感じ。

コレに関して、ちゃんと見えるところから見ていた方から・・・
「ステージ右端に三方を囲った空間があって、もしかしたら【都錫杖】かも?」
・・・というお言葉をちょうだいいたしました。

実は、この「都錫杖」なる言葉を聞くのは初めてでした。
四天王寺っでも、都錫杖というものは、見えないところで鳴らしているんだとか。

・・・んで、ググってみたです・・・・

浜松市楽器博物館だより」というところに
・・・楽器博物館 20 周年記念レクチャーコンサート 重要無 形民俗文化財 「雅楽と仏教が織りなす壮大な国際音楽 ~四天王寺聖霊会の舞楽~」 を 7 月 12 日 (日) に 開催しました。 という記事があり、

錫杖では仏教法具の 「錫杖」、 そ して 「都錫杖 (としゃくじょう)」 という、 四天王寺では 六時堂内で振られ一般観覧客が見ることのできない、 大型の錫杖も鳴らされました。」・・・という文章がありました。

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また・・・

◆京都生まれの気ままな遁世僧、「今様つれづれ草」。◆というブログに、以下のような記述がありました。↓↓↓

http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/46318367.html

初めに御導師が登壇されて、唄師(ばいし)が「唄」を発声し、
「唄」の途中から散華師が「散華」の冒頭部分を唱え、一同唱和となる。
式衆たちが「散華」を唱えている間、唄師は「唄」を独唱する。
「散華」は「唄」を覆い隠すように唱えられる訳である。
秘曲とされる「唄」を「唄匿(ばいのく)」と呼ぶ所以か・・・。

「三條錫杖」に至って、この声明曲の章節ごとに屏風で仕切られた一角で、
都錫杖と呼ばれる法具を鳴らす作法がなされ、堂内は都錫杖の“梵声”が鳴り響く様は、
全く初めて耳にするもので、その音の荘厳さは聴く者にしか解らぬ感動があった。
以て、屏風の向こう側で鳴らされていたので、声明を唱える式衆も、我々も見ることはできなかった。


・・・と、法要の様子がこと事細かに書かれていて、今回の公演で聞こえてきた錫杖は、まさにコレだったんだな、と思えます。

さて、この錫杖経は、私は習ったことが無いと思うのですが、我が方には「長錫杖(ながしゃくじょう)」という名前の曲があります。
高野山では、見栄供・・・いや、御影供の時の奥の院への行道の際に唱えられるとか。
錫杖をホントに突きながら唱えるのでしょうか?

長く唱えるので長錫杖という訳だけれど、これ、何故か「三條錫杖」なのだ。
なんで?・・・と思っていたら・・・天台でもやっぱりそうなのか・・・です。

こういう、妙な符合が気になるなぁ~~(^_^)v

それにしても、長い、というか、ゆったりすぎて、経文がなかなか進まない~~~。

そうそう、対揚(たいよう)という曲の後、雅楽が入った。
雅楽は、入退堂の際にも演奏された。

それと、「梵音(ぼんのん)」という声明曲の最後の部分(4句ある偈頌の3句目)に雅楽が合わせられた。
これには驚いた。
雅楽に合わせて声を出すことはできるけれど、楽を合わせるとなると、初めの人(句頭)からキチンと絶対音感で以て音を出していないと合わないことになってしまうから、で、ございます。
これは「我が方」も、高野山にも、絶対無理、と言って良いかと思いまする。

この公演では、ステージ奥に伝教大師の御影像が掲げられていたけれど、ステージの前に出て客席に向かって唱えるボーサンが、一度ステージ後ろに向かって礼をして、改めて客席に向かって一礼して唱え始める、という所作を行なっていた。
・・・ま、そういうことになる・・・か。

天台の公演は、導師表白が、きちんと国立劇場50周年記念」になっていたから、国立劇場の50周年を祝って天台宗で四箇法要を行なった、という形になってはいた。
とても丁寧な表白だっただけに、PA無しが惜しかったと思う。
あれは、響かないとイカン。

高野山のは、節のある声明曲だけで、どういう法要の形式で、というのが、よくワカンナイ感じだったけれど、天台のは「誦経(ずきょう・じゅきょう。読経のこと)」として、般若心経を入れたりしているので、キチンと法要になっていた、と言える。

ちなみに、ほぼ同じところで聴いて・・・やっぱり、高野山の方が声が出てなかった感じがする。

あ、そうそう・・・ホールだと、雑音が気になる。
お寺だったら全然気にならないけれど、ホールだと、隣の人が、始まっているのに、ビニール袋をガサゴソやっていたり、飴をなめようとして、あの袋を開けようとしてカサカサやる音が響くのよ~。

なんで、音が出るものを持ち込むんだろ?
理解できん。

ステージ脇に経文とかが出てるのに、パンフレットを見ていて、ページをめくる音がしたり・・・そういうのが気になる。

・・・とか、文句たらたらのくせに、また行くんだわね~(^_^;)

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