お答えします・・・
「例えば、Twitterのメッセージに質問を入れていただいて、それにブログで答える、というのをやってみっか?・・・って言ったら、なんか聞く? ただし、仏教限定! hasunohaぢゃないから、人生相談は不可!・・・ということで。
・・・と言ったら、早速いただきましたので、お答えします。
問い・・・「僧侶を志した年齢と切っ掛けは?」
お答えします・・・
・・・と言いたいところだけれど、実はよく分からない。
そもそも「僧侶を志した」のは、いつだろう?
どの時点で以て「僧侶を志した」となるのか?
・・・ワカラナイ・・・
気がつけば「跡継ぎ」と言われ続けてきたように思う。
そして、「自分は寺の跡継ぎなんだ」と思ったのはいつだったろうか?
僧侶を志した・・・この「志す」という言葉の意味は何か?
広辞苑に見れば・・・
①心がその方向に向かう。思い立つ。めざす。・・・とあります。
「志した」という言葉には、「自らの考えで」という、「自主性」といったものが、含まれているように思えます。
さて、いつだったのか?
子供の頃からの「跡を継ぐ」という意識は、かなり後ろ向き、というか、すくなくとも積極性は皆無。
情けなく、夢が無く、自由意思でなく、気力も無い。・・・そんな感じ。
強いて言えば、大学を選ぶときに、ホントは、映像をやりたかった。
CMとか、ドキュメンタリーとか、映画とか。
芸大に行った友人がうらやましかった。
その大学を自分も考えた。
しかし・・・結局、それは諦め、大正大学の真言学コースを選ぶ。
写真や映像は趣味としてやればいい。
進む道は「跡取り」だろう、という「決心」がそこにはあった、・・・と思う。
そこが、「志した」というポイントになるだろうか?
しかし、大学を終え、印刷屋に就職したとき、まだ、ジタバタしていたように思う。
大学の時に、印刷物を造ることにも興味を持った。
印刷物のデザインを身につけた。
これは、今でも役に立っている。
当時、週休二日では無かった。そこで働きながら、日曜日は法事をやっていた。
・・・んで、「休みが無いじゃん」・・・ということに気がついた。
なんか、イライラしてたんだろか・・・「コレを言ったら怒るだろな」ということを社長が見る日誌に書いて、辞職。
次に行った印刷も、何年だったか「パート」という形で勤めて、コレやったら怒るか?ということをやって、フリーになる。
それで、寺主体に移行。
・・・ボーズになったのはココだろうか?
例えば、人間ドックの問診票にたいなのや、クレジットの申込書とかにある「勤続何年?」という質問・・・
これが、困る。
実は、良く分かってなくて、このフリーになった時にしていた・・・ような。
そんな感じ・・・なので、「志した」というところは、結局のところ曖昧模糊・・・だったりする。
私ら世代は、どこかに勤めたりしている者が結構多いけれど、最近の若いのは、大学を出て、すぐに寺に入ったりしている。
私など、サラリーマンの経験は、大変良かったと思っているけれど、小僧は、どうも就職先が見つからず、寺にくるパターンのよう。
それはそれで、手伝ってもらえるのは有り難い。
ボーズとして、本当に自信を持った、というのは、ごく最近のように思う。
通夜・法事などで、伝えたいことがある、と思い始めたことが、ボーズとして自覚した時とも思えるし・・・
お経が良かった、話が良かった、というようなことを言われたりして「コレで良いのかな?」という、自信のようなものが芽生えたのは、最近。
なので、いっちょ前のボーズになった時、ここがスタートのようにも思える。
「僧侶を志した年齢と切っ掛けは?」・・・・だった。
「切っ掛け」は無いように思える。
生まれながらにして・・・そういう、運命。
志すとかカンケ~ナイしぃ~。・・・とも言える。
「これがオレのお役目なのだ。これは、他の人にはできない。オレだけができること」・・・と思った時が・・・
「僧侶を志した年齢と切っ掛けは?」・・・・であったろう、と思えなくも無い。
・・・こんなところで。m(_ _)m
・・・と言ったら、早速いただきましたので、お答えします。
問い・・・「僧侶を志した年齢と切っ掛けは?」
お答えします・・・
・・・と言いたいところだけれど、実はよく分からない。
そもそも「僧侶を志した」のは、いつだろう?
どの時点で以て「僧侶を志した」となるのか?
・・・ワカラナイ・・・
気がつけば「跡継ぎ」と言われ続けてきたように思う。
そして、「自分は寺の跡継ぎなんだ」と思ったのはいつだったろうか?
僧侶を志した・・・この「志す」という言葉の意味は何か?
広辞苑に見れば・・・
①心がその方向に向かう。思い立つ。めざす。・・・とあります。
「志した」という言葉には、「自らの考えで」という、「自主性」といったものが、含まれているように思えます。
さて、いつだったのか?
子供の頃からの「跡を継ぐ」という意識は、かなり後ろ向き、というか、すくなくとも積極性は皆無。
情けなく、夢が無く、自由意思でなく、気力も無い。・・・そんな感じ。
強いて言えば、大学を選ぶときに、ホントは、映像をやりたかった。
CMとか、ドキュメンタリーとか、映画とか。
芸大に行った友人がうらやましかった。
その大学を自分も考えた。
しかし・・・結局、それは諦め、大正大学の真言学コースを選ぶ。
写真や映像は趣味としてやればいい。
進む道は「跡取り」だろう、という「決心」がそこにはあった、・・・と思う。
そこが、「志した」というポイントになるだろうか?
しかし、大学を終え、印刷屋に就職したとき、まだ、ジタバタしていたように思う。
大学の時に、印刷物を造ることにも興味を持った。
印刷物のデザインを身につけた。
これは、今でも役に立っている。
当時、週休二日では無かった。そこで働きながら、日曜日は法事をやっていた。
・・・んで、「休みが無いじゃん」・・・ということに気がついた。
なんか、イライラしてたんだろか・・・「コレを言ったら怒るだろな」ということを社長が見る日誌に書いて、辞職。
次に行った印刷も、何年だったか「パート」という形で勤めて、コレやったら怒るか?ということをやって、フリーになる。
それで、寺主体に移行。
・・・ボーズになったのはココだろうか?
例えば、人間ドックの問診票にたいなのや、クレジットの申込書とかにある「勤続何年?」という質問・・・
これが、困る。
実は、良く分かってなくて、このフリーになった時にしていた・・・ような。
そんな感じ・・・なので、「志した」というところは、結局のところ曖昧模糊・・・だったりする。
私ら世代は、どこかに勤めたりしている者が結構多いけれど、最近の若いのは、大学を出て、すぐに寺に入ったりしている。
私など、サラリーマンの経験は、大変良かったと思っているけれど、小僧は、どうも就職先が見つからず、寺にくるパターンのよう。
それはそれで、手伝ってもらえるのは有り難い。
ボーズとして、本当に自信を持った、というのは、ごく最近のように思う。
通夜・法事などで、伝えたいことがある、と思い始めたことが、ボーズとして自覚した時とも思えるし・・・
お経が良かった、話が良かった、というようなことを言われたりして「コレで良いのかな?」という、自信のようなものが芽生えたのは、最近。
なので、いっちょ前のボーズになった時、ここがスタートのようにも思える。
「僧侶を志した年齢と切っ掛けは?」・・・・だった。
「切っ掛け」は無いように思える。
生まれながらにして・・・そういう、運命。
志すとかカンケ~ナイしぃ~。・・・とも言える。
「これがオレのお役目なのだ。これは、他の人にはできない。オレだけができること」・・・と思った時が・・・
「僧侶を志した年齢と切っ掛けは?」・・・・であったろう、と思えなくも無い。
・・・こんなところで。m(_ _)m
この記事へのコメント
ところで我家の学童野球くんも大学生となったのですが陸上部に入り短距離選手になってしまいました。何時間も待って数秒で試合終了の世界です。暑い夏の日それまでの打席はパットせず最終回で突如逆点サヨナラツーベース!オヤジ涙腺崩壊!!なんてこととは無縁になりました。うらやましいです。