なんだなんだ・・・の5日目

画像

もう4日、コロモを着ています。元旦も入れれば着っぱなし、です。
明日、初めてのお休み・・・とい言いたいですが、護摩札書きが、まだ、2/3くらい残ってる。

そもそも、弘法大師様の頃には、葬儀はしてなかったはず。
宮中に「真言院」という物を造って出入りしていたということは、一番避けなければならないのが「死の穢れ」。
平安の人々が最も恐れていたのが、死穢です。
死の穢れに触れたら、祈願どころではない、というのが、おそらく弘法大師様の頃の話だったんだろうと思いまする。

さて、日常的に死に接している我々が、護摩をやって良いのか?
・・・おそらく、弘法大師さまの頃は「NO~~!!!」だったんだと思います。

そこから、長い年月をかけて「葬儀をする」ようになってきました。

「律を守る僧に穢れ無し」と言われ、やがて「禅の僧に穢れ無し」と言われるなど「僧侶が葬儀をすることができるようになっていった」のだと考えます。
やがて、鎌倉仏教と呼ばれる流れがでてきて、葬儀というものが成されるようになってきて・・・
このへんから「僧侶に穢れなし」ということになってきたんだと思います。

神社の神様が、参拝に向かう途中で死人に出くわし、それを弔ったことを神様が喜んだ、というような物語ができてくるからです。

そういう課程を経て、我々は日常的に葬儀をしながら、祈願の護摩をやっても差し支えない、ということになったんだと思うのです。

そういうことを考えつつ・・・遠慮無く、奈良にもお参りさせていただくことにしました。

奈良の寺院は、今でも葬儀をしません。
死穢を避けなければならない、というのが大切であるからです。

ある浄土真宗のボーサンが、Facebookにて「浄土真宗の修正会」について書いていました。

「?」・・・でした。

「修正会」というのは、簡単に言えば「正月に反省する」ということです。
浄土真宗では「反省などする必要は無い」・・・というのが、一番大切なことであるはず・・・と認識しています。

その浄土真宗で「修正会」というのはあり得ない、と思うわけです。
浄土宗の「仏名会」というものがあるのも知りました。
「仏名会」というのは、前にも書きましたが、仏様の名前を呼びながら懺悔(さんげ)する、というもので、古く奈良仏教以来の「悔過」の法要です。
それが、浄土宗で行なわれていうことに強い違和感を感じました。
何とか理由が付けられていましたが・・・
真宗では、どんな理由が付けられているのでしょうか?
あれだけ自分トコの教義を強く主張する宗派ですから、自己破綻をすることはないのでしょうが・・・

葬儀をしなかった我らが真言宗は、法然上人より先に、覚鑁上人が「阿弥陀様」と「極楽」を取り入れます。
「弥陀 即 大日」という論を立てます。

この「五輪九字秘密釈」という著作の一番古い写本は、日蓮上人が写されたものです。
日蓮さんも読んだのです。
法然上人もきと読まれたんだと思います。

浄土真宗で「修正会」をやるのは、「勅願」つまり、天皇の命令、ということです。
これでは、逆らえません。
さて、それに、どんな「言い訳」をつけたのか?・・・が、興味あるところですが・・・どうなんでしょ?

画像

こんなことを考えていたのは、年末も押し詰まったときに、「日蓮大聖人が何たらかんたら」と書かれた新聞のような物を掲げて・・・
「真言宗では成仏できませんから・・・」と、寺の玄関で言ってるオバサンがいたからです。

「顕正会」ですな。
日蓮宗の中でも、過激な「日蓮正宗」の一派。
「正宗」といえば、創価学会を生んだ大本でもあるわけです。
HPなど見れば、真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむけん)、律国賊(りつこくぞく)・・・という、日蓮上人の「四箇格言(しかかくげん)」の、まさに実践者。

これは、ハッキリ言って「日蓮さん、あんたバッカじゃね~の~?!」というくらいのいい加減なことが書き連ねてあります。(と言ってもWiki先生からの又聞きですが・・・)
とんでもない、浅はかな言いがかり・・・という感じ。

これは、KEN正会のHPにも、アレコレかかれています。
「折伏(しゃくぶく)」のためのテキスト、みたいなのが、以前のHPにはあったっけ。

う~~ん、そもそも「成仏」の概念が違う。
これも、葬儀を考えてなかった平安初期の弘法大師様が仰る「成仏」というのは、鎌倉仏教が説くモノとは違うはずです。
そこをキチンと指摘している真言ボーズも、あまりいないと思います。

それは、本来は真宗が修正会をやるようなものだし、浄土宗や禅宗が祈願をするようなものです。

禅宗の大般若などの祈願も、元はと言えば「勅願」だったと思います。

「禅宗の祈願」「浄土宗の祈願」ということについても知りたいものです。

それにしても、真言の寺に来て「真言では成仏できない」ということに、どういうメリットがあるというのだろうか?
それを言うには、元になってる日蓮上人の四箇格言はいい加減だし、それをいい加減と思わす信じている者は、それ以上に不勉強だし、そんな輩に何言っても聞く耳持たんし・・・

この顕正会の一方的なアプローチに、「こんなバカがいるのか」と驚いた次第。
そのバカさにあきれ、逆に、そういう哀しい存在(=バカ)を生んでしまう宗教って、宗教と言えるや否や、と思う。

「鰯の頭も信心から」と言ったって・・・その理屈と行いがあまりにもバカ過ぎる・・・ってのは、ひたすら哀しい。

以前、ken正会からは、大学生くらいの2人の男がきて、日蓮大聖人の偉業を語っていた。
これは「バカ」というより、その目は「危ない」感じがした。
これも、途方も無く悲しいモノを見てしまった・・・という感じだった。
こんな哀れな人間をつくらんでほしい・・・と思う。

そういう意味で不愉快だった。

ホントは、そんな哀れな人を逆に折伏したかったけれど、忙しかったからね~。
それにやっぱ、偏った半端な勉強しかしていない人に、真面目に言っても、一番やっかいなパターンやしな~。




ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック