当病平癒
現在、18日の「初観音護摩供」に向けて、お札書きの真っ最中ナム。
だいたいは「家内安全」だけれど・・・
時々「当病平癒」というのが出てくると、ちょっと緊張する。
「家内安全」は、まあ、アバウトというか、ボヤッとした感じがある。
お寺から申し込め、と言ってきたから・・・んじゃ「家内安全」で。
・・・という感じでもあったりするかも知れない。
でも、「当病平癒」には、切々たる願が込められていることはマチガイナイ。
その名前がご当人であったり、奥様であったり・・・
病気の回復を願う切なる気持ちが込められていて、筆を持つ手が緊張する。
・・・緊張して上手く書けずに、書き直すことも多かったりするww (^^;)
同様に、「合格祈願」も緊張する。
そういえば、この「当病」という言葉もおかしくないか~?
「闘病平癒」からきてるんじゃなかろうか?
本山の次第にも出ているのだけれど・・・なんか、言葉がオカシイと思う・・・
ここのところ、緑内障で2~3ヶ月に1回通院しているけれど、大きな病院には、毎日沢山の人がいる。
これだけ病気の人がいるのか・・・!
・・・と思わされる。
私ら、同級生が集まると、誰からともなく、病気の話になってしまうのが、常。
ワタシ自身、50を前にして、老化現象が立て続けにやってきた。
「嗚呼、オレは、ここから年を取って行くのか」と思った。
俺の人生25年区切りか・・・と思う。
成長する25年。
大人として安定する25年。
そして、年を取って行く25年。
・・・んで、75で引退すると決めた。生きていたらww
そこから先は、おまけの人生。
昔は、それが「還暦」だったのだと思う。
赤いずきんとチャンチャンコを着て、赤ちゃんに戻って・・・という感じ。
父の死と、母のボケを間近に見て、自分の「最期」はどんななんだろうと思う。
いや、その前に、自分の老後は?・・・だ。
私の「これから」は、どんなになるのだろう?
どんな年の取り方をして、どんな最期になるのだろう?
「四苦」・・・生老病死は、「思い通りにならない」ということ。
「生」は生まれちゃったのだから仕方が無いが「老・病・死」は「これから」・・・だ。
葬儀の打ち合わせをするたびに、故人の病気の話になる。
それを聞いてあげる、ということが、家族の気持ちを和らげることになるように、思う。
みなさん、大変な苦労をされている。
病気を治す、ということに、医療も家族も力を尽くすけれど、結局は死を迎えることとなってしまう。
その時に、苦しかったのではないか?と思うケースも多いようだ。
治って欲しい、と思うから、可能性があるならば、それを尽くしたい、と思うのは人情。
しかし・・・である。
現在の介護関係のシステムは、まだまだ途上。
検討の余地はありすぎる。
ある方は、お母さんが脳梗塞で倒れた。
体に麻痺が残ったが、頭はしっかりしている。
リハビリをやればそれなりに良くなっている感じはあるが、病院では、これ以上はできないというので、施設を探したが・・・
ある施設は出来たばかりで、これから入る人に合わせて介護士などをふやして行く予定で、現状で満足な対応ができない。
また、ある施設は、リハビリと言っても、認知症が進んでいたりする人が対象のもので、積極的に生活に戻ろうというようなものでは無く、また、ボケた人ばかりなので、頭がしっかりしているお母さんが参っちゃったという。
国が指針を出して、それにそって地方役人があれこれやったところで、所詮は役人仕事、事細かな条件に対応できるものではない。
そういうことを真剣に考えなければならないのが、これからの日本。
日本は「安心してボケられる社会」というものを作らなければならないのだよ!
これが、これからの行政のメインと言っていいと思う。
オリンピックをしたり、土木・建設をしている場合じゃねぇ~のよ!
宇都宮だってLRTなんて~、無駄でしか無いものを造ってる場合じゃね~よ。
そんなお金があったら、福祉をちゃんとしないと、「鬱の宮」になっちゃうよ~~~(^o^)
・・・ったく。
ボケも、いやだ。
母のように、自覚が無いまま(無いから)、頑張ることもしないで、ただボケる一方、というのは、悲しい。
なんとか、抵抗したい。
ボケたくない。
・・・と思っても、ワタシは、ボケるんじゃないか?と思う。
ただただ、恐怖・・・である。
そんなことを考えていると、眠れなくなる。
耳鳴りが酷くなってくる。
いや、普段は気にならないが、眠れないと思うと、途端に耳鳴りが大きくなってきて、余計に眠れなくなってしまうのだ。
困ったモンだ。
色んな健康食品とかも、馬鹿にしていたけれど、いやいや「ワラにもすがる気持ちですよ」という気持ちになりつつある。
「とりあえず、イチョウ葉エキスでも飲んでみっか~?」・・・とか思ってたりしてww~ (^_-)
やりたいことが、思うようにできない、ということも、悩みのタネ。
住職となって、寺を動かして行く、維持して行くということの大変さを思い知っている。
日々「落ち着け」・・・と、言い聞かせる場面がある。
落ち着いて、やるべきコトを無駄なくする心構えが必要。
今年1年は、大変そうだ。
この記事へのコメント
年金の大半を注ぎ込んでましたが、結果はご存知と通りの有様で(苦笑”)
もうこれは個人の十人十色の人生なんだな、と思っています、、、
一つ一つ、こつこつと対応して行(生)くしかないようです、。
これが大きいでしょう。
会計や事務などは、女房がやってくれていますが、雑用から何から、とにかくやることは色々あるものです。
先住は、放っておくと何でも自分でやろうとする人で、段々間違いも多くなってきたので、ほぼ強制的に交代したのですが、ほとんどワタシがやっていたといっても、先住がやっていたことも結構あったのだな~とも感じています。
檀家さんの相談事なども、結構ありますし、頭の切り替えが大変でもあります。