倫敦巴里

アクセスカウンタ

zoom RSS 勝手に「仏教」・・・その4

<<   作成日時 : 2018/10/11 18:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像

この本の著者は、その歴史認識も間違っており、仏教の基礎的知識も持たずに勝手に仏教を考えて、それで「オレは誰よりも分かった」と、言いたいことを言っている「痛い人」でもある。

ちょっと、というか、かなり恥ずかしい記述も多すぎる。困ったモンだ。

これで「完全版」とか、「ベストセラー 全面改訂復刊!!」とか、やめてくんないか・・・という感じ。


依然として仏と神を混同している人が少なくない。「神サマ仏サマ」とか「神仏」という安易な言い方にそれが現れている。
奈良時代に始まった神仏習合から、神道のカミと仏との混淆が始まったということが原因である。


「神仏」という日本語はそういう意味じゃね〜べよ。
それに、神仏習合は奈良以前からあったというのは、ほぼ常識。
それに、日本に入ってきた時点で、すでに仏教の仏サマは神格化していた。(後述)
これも、ほぼ常識。

仏の原義からすれば、残念ながら仏は至高の存在ではありえない。
(略)仏像を仏と言ってもおかしいとは指摘されない。仏像は工芸品にすぎないが、「仏に魂を入れる」という言い方があるように、日本仏教では仏像をあたかも人気の化身であるかのように扱うのがふつうだ。
西洋的な観点からすれば、そういう態度は一般に「偶像崇拝」といって間違った信仰の態度だとされる。
(略)もとかく、「仏」は基本的に「悟りを得た人」を意味する言葉にすぎない。


まったく以て、稚拙な論拠である。
仏教に対する、時間軸的歴史認識が混沌としている。
(これをやっちゃう人は、実は、専門家の中にもいる。結構いる)

また、偶像崇拝が劣ってるワケでも悪いわけでもなく、西洋的観点が正しいわけでもない。

要するに著者は、「仏」というもの(言葉)は「仏陀」であり、それは「悟った者」という意味の言葉なのだから、悟った者は誰もが仏であり、また、仏像やら、神格化されたものではない、と、大将の首でも取ったかのような得意げに述べているのだけれど、そんなこたぁ〜、初歩中の初歩ですよ。

確かに、仏教のように「尊いモノを偶像に表す」ということは、世界中の宗教において希である。

イスラム教は徹底しているけれど、同じようなキリスト教も、神そのものを名前で呼んだり、図像にしたりすることはないものの、イエス様や、マリア様は像にして、拝む。

また、聖書の内容を図像にすることは積極的になされている。
これは、宗教的イメージを描かずにはいられなかった、ということなんだと思う。
そういう心の発動、感情の波を抑えることができなかった、ということだ。

仏教も初めは偶像化をしなかった。
アショーカ王のレリーフなどには、お釈迦様の代わりに法輪とかが描かれている。
お経すら、尊い言葉は文字にしないとして、初めは「暗唱」によった。

しかし、一旦図像化が始まったら、止めどなく広がる。
この尊いモノを形にする、ということの精神性の高さは、評価できると思う。
百済より送られた金ピカの仏像をどうするか逡巡した日本人も、200年後には、世界一のブロンズ像を造るにいたっている。


お釈迦様という存在は、人間が到達し得た最高の精神性。

それがやがて、人間を越えたようなモノとして考えられる。
超人的な存在となって、偶像には描かれない。
思い浮かべることすら恐れ多い、と思われた。

しかし、お釈迦様は人間であった。
人間が悟られた姿、というモノになる。

そんな、思い浮かべることすら恐れ多いと思われた仏陀を、思い浮かべるという瞑想法が生まれた。

「般舟三昧経(はんじゅざんまいきょう)」などがそれである。
「般舟」というのは音写語で「仏さまがありありと目の前にいらっしゃるように思い浮かべる」というようなこと。そういう三昧、つまり、精神集中・・・瞑想するということ。
「諸仏現前三昧(しょぶつげんぜんざんまい)」ともいう。

おそらく、これを誰かが像にしたのだと思う。
瞑想の縁(よすが)として、こういう風に想像すればいい、というように。
ここで、シルクロードによるギリシャ彫刻の影響があったとする見方もある。
彫刻の姿には影響があったようにも見えるが、それがキッカケとなったかは、ワカラナイ。

仏像は、ギリシャ彫刻のような、現実の人間の肉体の表現とは違う。
悟りという人間が到達した最高の精神性の表現である。
これも、人間が為し得た最高の表現といえよう。

こうなったら、それはもはや、瞑想の縁ではなくなった。
その尊きモノに、手を合わせ、拝むのは当然のことだった。

仏像とは、こういう物である。

仏像は工芸品にすぎないという、この本の著者の見識が如何に稚拙かおわかりいただけるものと思う。

「全面改訂」・・・してほしかったわ〜。(^o^)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
勝手に「仏教」・・・その4 倫敦巴里/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる