国立劇場・声明公演「浅草寺の声明」

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金龍山・浅草寺。
元は天台宗だったが、戦後の宗教法人法で独立し「聖観音宗」の総本山となった。

今回は、この浅草寺の声明。
・・・と言いたいトコだけど、実は、この終演時間を考えないで、この後にもう1本、公演鑑賞を入れてしまったのでありました。
今回は、3時からはじまって、6時まで。
休憩が入って、5時過ぎからが第二部の声明公演。

次の公演が6時から渋谷なので、休憩の後、冒頭のボーサンの解説を聞いて、ボーサンが並んで座ったトコロで去ることとしました。
パンフ買ったし、まあ、ホントに浅草寺に行けば良いので・・・ということで。

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浅草寺の行事に伴った浅草のお祭りのアレコレ、という公演になってた。
声明じゃもたないのか・・・という感じ。

木遣り、浅草三社囃子、浅草神社巫女舞、神事びんざさら舞・・・伝統ある、日本の舞楽。

太鼓も三味線ものどかな感じがする。

何でもかんでも、どこでもかしこでも「よさこいソーラン」になっちゃうとか、神輿のかけ声も、どこでも「セイヤッ、セイチャッ」になっちゃうとか、三味線も、若い人はみんな「じょんがら」みたいに弾くとか、画一化されちゃいそうな勢いがあるけれど、古典的なもの、伝統あるものは、きちんと残して欲しい。

こうやって、残ってる、というのがうれしい。

良く聞くと、お祭りの囃子なのに、笛とか聞いていると、なんか、マイナー調に聞こえる。
キチンと調べたワケではないけれど、「都節」なんだろか?

「白鷺の舞」は、昭和43年に復元したものだとか?
楽器に、お寺の磬子(けいす)などが使われていたり、音楽的にしっくりこない。
「金龍の舞」は、ドラゴンボールならぬ、ボール状の蓮の蕾み(観音様に見立てている)を追いかける金の龍の舞。

浅草寺の本尊も・・
『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は以下のとおりである。
推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。


また、思い切って昔のことになってる。
大化の改新の前やんけ。

気になるのは、ここの本尊も「川から引き上げられた」ということ。
川崎大師もそうだし、善光寺の本尊もそう。

「水から引き上げられた」という伝承というか伝説には、どういう仮託がされているのだろうか?


そういうわけで・・・ここまで。

声明は聞けず。

でも「法華八講」という論義なので、さて、お客さんの反応はいかがでありましたか?
・・・見たかったような・・・退屈じゃなかったですかね?

そそくさと「次」に参ったワタシなのでありました。



僧僧・・・
今回の公演は、実は名古屋と被ってた。
2度、プレ講座というヤツを聴きに行ったヤツね。
ソッチも、国立劇場のプロデューサーのような人が関わっていたらしいのだけれど・・・
どして、被せる?!」・・・ってことですよ。まったく。

んで、ソッチを諦めて、コッチにしたわけですが・・・
内容的には、アッチのほうが良かったかな・・・

でも、「この後」が重要だったので、コッチにしたわけでつ。

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