「アンチ佛式葬」について考える(その2)

「ウチにはご先祖様はいません」と言う人がいた。

それは・・・
「あなたの家で亡くなった人がいない、というだけで、あなたにはご先祖様はいらっしゃいますよ」・・・ということだ。

ダーウィンの「進化論」によれば「私の命」は「地球最初の生命」まで遡れる。
そこからの「命のリレー」があったから今、自分はこうして人として生きている。
我々の「文明」も、古人からの文化の積み重ねがあったから、である。

これを総じて「ご先祖様のお陰」という。
我々の文明も命も、昔からの繋がりの上に成り立っている、ということだ。

文明は、それが良いのか悪いのか分からないが、発展をする。
しかし、文化(特に「心」の面で)は、衰退の一途をたどっている。

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その文化を調べ残しているのが「民俗学」という分野だ。
写真は、五来重さんの『葬と供養』という大著。
ここに、日本人が育んできた、とくに死生観に関する文化の記録がある。

ここに書かれているようなことが、いま、急速に消えつつある。

日本人は、死生観を重んじてきた。
日本を「ヤマト」という。
私はコレを「やま+と」と考える。
「やま」は、死者を祀る所。昔から、山があるところでは、死者は山の上にゆくと考えられてきた。
「やま」=「墓」である。
古墳というのは、その人のためにオリジナルのその人ための山を作った・・・というものではないか?と私は思っている。
墓でありモニュメントである。
身分に応じて大小がある。
大きさは身分の顕れでもある。
小さいものは、山と言うより、身分の主張よりも墓という印象が強くなり、モニュメントとなる。
これが、今のお墓への気持ちと繋がって行く。

「ヤマト」は、「やま」+「と(=ひと)」なんだと思う。
つまり、「お墓の人」「お墓を重んじる民族」ということではないか、と思うのだ。

以上は私見だけれど、日本人は、とにかく「死」というものを重要なこととして考えて来た民族である。

「葬儀」に関する資料は少ない。
古来より、どのように葬儀をやってきたのかが分からない。
平安時代、京の都で貴族は死穢の恐怖から、葬儀のようなことを行なっていなかったと考えられるのだが、下々はそうではなかったろうと思える。
昔から続く、何らかの弔いのやり方はあったのでないだろうか?
それがどのようなものか、具体的なやり方は分からない。

この『葬と供養』には、地方地方の弔いのやり方が調べられている。
おそらく、弔いに関する色々な概念が形になったものだと言える。

さて・・・
「アンチ佛式葬」という言葉について考えている訳だけれど、葬儀自体に仏教色が見えてくるのはそんなに古いことでは無いようだ。

「葬儀」に、我々が読経し引導する、という形式・概念は、古くは無いということだ。
仏教による儀式としての葬儀式は「取って付けた感」が否めない。
古くからある民間の弔いのやり方に、仏教の儀式が加わったようなものだと思う。

これも私見だが、真言は、かなり遅れて葬儀を始めていると考える。
それは、平安時代に「死穢」に触れると祈祷が出来ない、と考えられてきたからだ。
宮中に出入りする真言僧は、まずもって死穢回避が絶対だからである。

葬儀、というより「弔い」と言った方が良いかも知れない。
弔いは、「民衆」の部分で行ってきた。
平安時代の「死穢回避」の概念によって、神道的な葬儀というのもあり得ない。
故に、宗教的なものではなく、民間のやり方で弔ってきた。
そのために、色々なやり方が存在している。

そういう古来の伝統が、急速に消えて行くのが現代。

ホールでの葬儀が一般化すると『葬と供養』に書かれているような事柄が「古くさいこと」として、急速に排除されて行く。

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葬儀のしきたり、風俗・習俗というものが多くあったが、これは、明治以降の近代化において、葬儀が儀式化するなかで、次第に少なくなってきた。

そして今、風前の灯火になっている。

昔、結婚式が、元々は人々の間で行なわれてきたものだったのに、それが結婚式場という場所になって、全国どこへ行っても同じような式になってしまったのと同じように、葬儀も、ホール葬が主流となり、いまやほぼ完璧にホールに於ける葬儀になり、画一化してきた。

そのなかで、習俗が排除されてきた。

習俗が排除される過程において、儀式だけが残り、逆に「仏教色」というものが強く表れるようになったのだ。
かつて、自宅で執り行なわれていた時代は、読経・引導は、一連の弔いの流れの中の一部分だった。
例えば、枕経・通夜を自宅でやって、出棺して寺に寄って葬儀・引導をしてもらって、墓地に行って埋葬する、というような所もあった。

習俗は、また、人の気持ちを伴っていた。

受け継がれる習俗、習わし、しきたりの類いは、それを行うことで、共通の安心を得られるものだといえる。
決まった手順でみんなでやることによって、安心を得られる、というものだ。
その中に読経も引導も入る。

私が思うに、神道の葬儀というのは近代まで無かったのではないか?と思う。
明治になって国家神道になって、神道だけの信者となった者に葬儀が必要になって始めたのではないか、と考えている。
(これに関しては、まだ調べていない独断であります)

それまでは、仏教のやり方が主だった・・・のだと思う。

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葬儀への思いは、文化の伝承にある。
習俗の中にこそある。

都市部に新しく住む核家族の集まりに、そういうものは無い。

そもそも、ホールでの葬儀、というのは、ここに原点がある。

葬儀は、組内などの互助制度のようなもので行っていた。
「お互い様」というものだ。

私が、葬儀の勤めをするようになった頃、まだ、自宅葬が主流のころ、アパートが立ち並ぶような所や、住宅地での葬儀は、例えば「班長」とかが取り仕切るが、人を集めようにも、それぞれの都合を言ってなかなか出てくれない、という声があった。
たまたま居合わせた「班」というような組織に、強い集中力も強制力も無く、事が足りない。
昔ながらの葬儀のやり方が成立しない時代が来た、という感じがあった。
アパート群の中の、集会場で葬儀をやった。

その後、間もなくである、葬儀場が出来始めた。

地元に農協系の葬儀場が出来たとき、初めは、通夜を自宅でやって、葬儀をホールでやるという方法が採られた。
ホール葬への戸惑いがあったのだと思う。

ホールの葬儀を始めるうち、やがて、葬儀も結婚式と同じようになってしまうんだろうなぁ~、と思ったのを覚えている。

・・・そして、その通りになった。


・・・続く・・・










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