お盆の始末(その2)

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ウチの近所では、未だに、こうしてお盆の供物や盆飾りを川の縁・道の角・お墓の出入り口に置いているのが見られます。
多くは、川に流したものです。

この供物も、いつのまにか無くなっていたりします。

新谷尚紀・著『お葬式ー死と慰霊の日本史』という中に・・・
盆の供物は、餓鬼仏に供えたものはもちろん、川に流すのが普通です。最近では仏様に供えたものを下げて食べる例も中には見られるようですが、基本的には盆の死者への供物はホカス、つまり棄てるのが基本でした。そしてそれが、お盆の行事の特徴でした。

・・・とあります。民俗学的な見地です。

おそらくは、あの世(=極楽?)にいる故人に向けるのは、仏界に向けてるわけなので、純粋に仏様に対するものと思えるのですが、お盆に関しては、餓鬼など魑魅魍魎、恵まれない霊魂への供物でもあるというのが、その理由だと思えます。
同時に、無くなって極楽にいるはずの故人や、ご先祖様も、帰って来たときには、現世との直接の関わりがあって、不安定な霊魂になってしまうという意識もあるのでしょうか?
この世にとどまってはイケナイので「もう帰りなさい。こっちに居場所は無いのですよ」という意味合いも感じられる。
以上は、私の考えであります。

ココに仏教との齟齬がある。
浄土真宗の言うように、極楽に行ったきり、だとすれば良いのだけれど「年に一度帰ってくる」という考えに対して、仏教の側の理由付けは的を射ていない。
また、民俗的にも、かみ合わせが悪い点ばかりでもある。

お盆について「アナン施餓鬼」と「目連施餓鬼」という理由付けをしているが、これと、現実のお盆のイメージとの相違もある。
もともと、この話と「ご先祖様が帰ってくる」という考えとは一致していない。カンケイナイ話なのであります。

ホームセンターの「盆飾りセット」と、中陰壇の流用になってしまった盆飾りに、餓鬼の入るイメージは喪失しているし、そもそも、ご先祖の魂が戻ってここにいる、というイメージも無くなってゆくように思う。
昔ながらの飾りが無くなりつつあり、変化し、人々の意識も変わってしまっている。

ならば盆飾りを「棄てる」というイメージも消失してゆくものだろうか?

ウチでは、持ち帰りをお願いした。
いまでは「持って来ないで、家庭のゴミとして処分」ということをお願いしている。
情けないのは、正直、これが、女房視点だということでもある。
私としては、どっちにしても焼却ゴミだし、その為に業者に頼んで処理してもらっているのだから、寺に持ってきてもらって処分、でいいんじゃないか?と思っているのだけれど、お盆中ホントに忙しい女房に、この点では逆らえない私が居る・・・(^_^;)

「盆飾りは棄てる」・・・これで良いと思う。

「川に流す」ということには「川があの世との繋がり」を象徴するものであるから、というのが、ひとつの理由だろうと思えるが、それは叶わない。
もう一方の「棄てる」ということの意味を重要視していただければ良いかと思う。


「盆飾り 川に流す」というワードで試しに検索してみて、一番にでてきたのが「パンプキン秒速攻略隊!」というサイトでした。

・・ですが、いきなり「お供え物は、ご先祖様と共に頂くのが一番の供養になるそうです。・・・というのがでてきました。
昔はお盆が終わると川に流していましたが、現代は環境問題への配慮からやめておいたほうがよさそうです。また、禁止されている地域が多いと聞きます。
では、どのように処分したら良いのでしょうか?
ここでは川に流す以外の処分方法を、いくつかご紹介しようと思います。
どうぞ、ご参考にしてくださいね。


・・・とあり、以下のように書かれています。

亡くなった方たちは、線香の香りやお供え物に込められた気のようなものを召し上がると言われます。
ですから、お供えのご飯や料理はしばらくしたら、お下げして頂いても良いのです。
また、お供えには共に供するという意味があり、ご先祖様と共に頂くことが供養になるそうです。


ネットのこういう記事が良くないのは「出典」を書かないことです。
アチコチのサイトでひろった文言を勝手に解釈していい加減な記事を書くことです。
「誰が言った、どこに書いてあった」これは記事の大原則だと思うのですが、ネットはいい加減すぎます。

亡くなった方たちは、線香の香りやお供え物に込められた気のようなものを召し上がると言われます。
・・という文句と、ですから、お供えのご飯や料理はしばらくしたら、お下げして頂いても良いのです。・・・といいう文句が繋がりません。全体的にこの調子です。
こういういい加減な記事はやめていただきたい。

本来、お供え物は自然に還すのが良いとされています。・・・これも出典が無い。
誰が言ってるのよ。匿名のくせに、自分が言ったんじゃない、という「誰かが言ってた」という、まったくよろしくない書き方。
文章を書く人間に相応しくありません。まったく、いい加減な情報を垂れ流す、困ったものです。

お供えをゴミとして処分するというのは、少し抵抗があるかもしれませんが、お下がりをありがたく頂きますと感謝の気持ちを持って行えば大丈夫です。
その時、塩で清めるとそんな気持ちが軽減するかもしれませんね。


お下がりをありがたく頂きますと感謝の気持ちを持って行えば大丈夫です
・・・というのはどゆこと?!

お供物を「共に食べる」と言い「自然に帰す」と言い「塩で清める」という。この脈絡の無さ。
「共に食べる」のが良いと言っておいて「塩で清める」という、この矛盾に気づかないか?!

まったく誰が言ったのかこの「塩で清める」というヤツ。
・・・まったく「万能かよ?!」・・・です。
なんでも「塩で清めればいい」というものでもない。

年に一度帰ってくるご先祖様に、旬のものや美味しいものをたくさん召し上がって欲しくて用意するお供え物は、仏様と一緒に頂くのが最高の供養になるのですね。
子供の頃、親せきがお土産で持ってきてくれる菓子折やフルーツがとても楽しみで、お供えすると同時につまみ食いして、叱られたりしたものです。
美味しいものをご先祖様や家族や親戚と一緒に頂けるのは、嬉しく楽しいひとときですね。
そのうえで、お供えを処分する場合にはどのような方法があるのかご紹介しました。
川に流すなどの昔ながらのやり方が消えつつあるというのは、なんだか寂しい気持ちもします。
しかし、ご先祖様への感謝の気持ちを持って、今の時代に合った方法でお盆ができたら良いのではないかと思います。


・・・なんだ?この文章?!

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熱海ネット新聞」に面白い記事があった。(2018.8.15)

あす8月16日は送り火。お盆は家に迎え入れた先祖の好きな食べ物やお供え物を、盆棚(精霊棚)に飾ってお迎えし、霊を再びあの世へ送り届ける日だ。そのお供え物のごみがピークを迎えるのを前に熱海市は15日午後、専用のゴミ箱を設置した。
以前は熱海でもお盆が終わったら供え物や花を川に流す風習があった。しかし、環境汚染の問題もあり、現在では川に流すのをやめ、普通にゴミとして出すのが一般的になっている。
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それでも古刹が多い市内上宿町の糸川や初川、和田川では、今なお川に流す人もあり、市は「川や海に流さないで」と呼びかけている。誓欣院の吉川宏司さんによれば、鎌倉市をはじめ、観光客の多い湘南地区や清流で知られる三島市などでは、お供え物は一旦川の水につけ、その後にゴミとしている住民が多いという。
(熱海ネット新聞・松本洋二)


極々最近まで、いや、今も?「川に流す」という風習が根強く残っていることに興味が湧きます。
それは熱海という地域柄もあるでしょう。
海がある所では海の向こうにあの世がある・・・という思いが強いのだと思います。
その名残があるというのは興味深い。
民俗学的な見地から興味が湧く者の、行政としては困った問題なのだろう。

よりそうのお葬式というサイトに、「曹洞宗のお盆の過ごし方」という記事がありました。

お盆中にお供えしていたものは、全て包んで菩提寺に持って行きます。
菩提寺では、受け取ったお供え物を焼いて処分してくださいます。
地域によっては、川に流す慣習が残っていますが、最近は、条例などによって、川に流すことができなくなってきています。


全て包んで菩提寺に持って行きます。
菩提寺では、受け取ったお供え物を焼いて処分してくださいます


・・・と言われても、困るだろう。宗派を上げて、そういう対応になってるということ?


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この記事へのコメント

若僧
2019年08月20日 00:34
合掌

川にお盆の供物を流す風習は日本書紀の垂仁天皇九十年春二月康子朔の条で常世は弱水という伝説上の川(遥か西方にあるとも、蓬莱を隔てる川ともいわれる)を渡った先にあるとあるので、祖霊を運ぶ触媒としてのキュウリの馬とナスの牛、供物とそれを牛に括り付ける縄としての素麺、うどんなどの麺類を川に流したのではないかと思った次第です。五来重氏の著書 東方出版 葬と供養 に 供物、盛物の事が書かれています、私には難しい本ですが参考になるかもしれません。
三日ボーズ
2019年08月20日 08:25
五来重氏の著書は愛読書であります。

「供物とそれを牛に括り付ける縄としての素麺、うどん」というのは、もしかしたら「施餓鬼」ではないか?と思っています。
喉が細い餓鬼でも素麺とかは通るだろう、ということではないか?と思っています。

川というのは、あの世へ繋がったものということもあるでしょうが、単純に「棄てる」ということが一番相応しい形・場所だった、ということもあるのかと思います。
水葬の慣習があったところから広まったのかも知れません。
キキ
2019年08月20日 09:02
三日ボーズ様、おはようございます。
私の実家は曹洞宗です。(お墓は広い納骨堂)
お盆には毎年「季節柄、生花のお供えはご遠慮ください」の張り紙がされますが、「お供えは持って来てくれたらウチで処分します」とは告知されていません。
同じそうとでも、それぞれのお寺のローカルルールみたいなものがあるのかもしれませんね。
三日ボーズ
2019年08月20日 10:33
キキさん・・・
田舎では、塔婆は乾燥していれば田んぼでお炊き上げもできますが、流石に供物の処理は無理なので、回収をお願いします。
街中では、殆どの物が回収ゴミですので、対応は大変だと思います。
あまり「ゴミ、ゴミ」と言いたくはないのですが・・・