弔いのゆくえ(その6)・・・エンディング産業展

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この会社は、いつも、力の入った花の飾りを展示していて、去年は恐竜だったけど、今年は、何故か「ねぶた」。
意匠はダイジョブなのか?・・・と思いつつ・・・
これだけ力を込めた祭壇の飾りというのも、どうかな・・・力、入りすぎじゃなかろうか?
ま、こんなものできますよ、というデモンストレーションなのでしょうが・・・
ねぶた師の葬儀か、余程の青森愛!のかた・・?

葬儀の個性化、というももの、近年多くなって、まったく、葬儀というものは、結婚式と同じような変遷をたどっている。
追いかけるように。

「自分らしい結婚式」から「自分らしい葬式」へ・・・

しかし、葬儀は小さくなる。
本来、結婚式(披露宴)に呼んで、新しい所帯を持ったことを社会にお披露目する。
それと同じように、社会とのお別れをするのが葬儀だと思う。
縁者には出来るだけ集まって欲しい、と思う・・・というので良いのだと思う。

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その一方で、個性を強調したい、という向きもある。
棺の個性化を売りにする会社があるが、さて、それほどのニーズはあるのだろうか?
葬儀の個別化というか、規模の縮小で、家族親族に近いところだけ、ということになって、個性化という方向性がでてくるのか、と思う。

本来なら、誰にでも訪れる死、という「究極の平等」に対して、飾りでなく、白木の物を使う、ということに意味があったのだろうと思う。
個性では無く、死という平等を前にして「皆同じ」ということが大事なのだろう。
そう考えると、貧富というものの顕現など表したくないところで、戒名のランクなど以ての外、ということになるのだが・・・
やっぱり、生前の行い、業績(身分?)ということを反映させたくで、戒名というところに、それが表現されるようになってしまったのだろう。

だから、一概に、こういう個性化を批判することはできない・・・

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やはり、映画「おくりびと」というもの以降で、葬儀が変わってしまった、という点は否めない。
つまり、本来なら「親族がみんなでやる」ということにこそ意味があった「しきたり」を、まったく逆の「他人が一人でやる」というものに変えてしまった。
「イオンのお葬式」なども、さっそく追従し、いまや、どこでも同様にやってるよう。
親戚の叔母・叔父の時にも、葬儀社がやってた。二人だったけど。
例えば「体を拭くのは煩悩を落とすのだ」というような説明をしながらやる。
まっこと、勝手なことを言ってる。困ったちゃんでありますな。
おいおい、勝手に話を作るなよ、とツッコミを入れたい時が何度もあった。

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この会社は、その映画の名前を会社の名前にしてしまった。
本来は、家族・親族にやらせるだけでいいのに「立派な技能」であるかのように、自慢気に披露していた。

女房の実家でのお義父さんの葬儀の時には、葬儀社の人が、我々にやり方を教え、リードするようにやっていて、とても印象が良かった。
ヘンに変わらないで欲しいと思う。

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個性化で、手っ取り早いのが、骨壺。
食器メーカーが作り出した。高級感が「売り」。
さて、いかがなものか?

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なんだかな・・・であります。
ここまで、個性を主張したいか、な〜。
家族も、こういうのが嬉しいのかな〜?

んじゃ、オレのは、ドライカーボンで造ってもらおかな〜?・・・なんちて。



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