お盆と施餓鬼

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このブログでは、何度も書いていることですが、また、整理するために書くです。
とにかく、お盆と施餓鬼は混同されている。宗教的に言うなら「習合」している。

一番上の写真は、何年か前の智山派・総本山の施餓鬼会。

本山の施餓鬼壇を見ると、普通にお供物としてスイカや野菜が供えてある。
これはいかがなものか?

一般的な施餓鬼壇ではなく、誂えたもののようで、平らな台になっているのは良いことだろう。
「水の子・餓鬼メシ・水」が「施餓鬼」であるから、ここに一般的供物があるのはオカシイ。
これは8月12日なので、茄子とキュウリの精霊馬があるのもオカシイ。
餓鬼メシの隣にあるのは米だろうか?だとしたら、これがワカラン。
「サバ」かも知れないが、ウチの宗派の修法に「サバ」は無い。

随分前のコトで記憶が曖昧。もっとも、この時は、ソコまで考えていなかった。

昔のHPには、なんと、内陣に施餓鬼壇を作っていたが、この時は、外陣だった。
せっかく外陣においたのに、正面の戸を閉めていたのはいただけない。
戸は開ける。
まあ、内陣に置いてたくらいだから、分かってないのだろう。

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このような形で、施餓鬼壇の前で「施餓鬼法」を修法して、同時にもう一人が「過去帳の文」を読む。

この施餓鬼法の前に、内陣で理趣三昧をしているが、それが盂蘭盆会ということなんだと思う。

そこに「百味供」というものが入る。
小さな皿に、一つ一つ食べ物を乗せ、ボーサンが並んで手渡しで送って、最終的に施餓鬼壇に乗せる。
これは盂蘭盆供である。我が地方の施餓鬼会でこの百味供をやってる所は結構ある。
最終的に、施餓鬼壇に乗せるということが分からない。

百味供は、ボーサンに供養したという目連尊者のお話に則ってのことなので、これは盂蘭盆。
それを施餓鬼壇に乗せるのはオカシイ、と思う。

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施餓鬼壇の後ろで読み上げるのは「盂蘭盆会過去帳の文」と書かれている。
つまり、施餓鬼法を修法中の施餓鬼壇に向かって「この法会は盂蘭盆ですよ」と読み上げているわけだ。
近隣寺院の施餓鬼会でもそうしている。

ウチのは「盂蘭盆 附施餓鬼(うらぼんく つけせがき)の文」として、阿難尊者と目連尊者の両方の話を述べるように変えている。

・・・かように、施餓鬼とお盆は習合しているのだ。
これを今更分別することに何の意味も無いかも知れないが、やってみることにする。

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ウチの近所は、お盆の供物をお墓か、通りから家に出入りする角に置くところが多い。
水の子は元々餓鬼への供物だし、この世とあの世を行き来する精霊馬は、ここに置く。
送り盆で置くから、これに乗ってゆく、というイメージもあるのだろう。
また、果物などの供物も、まあ、ここに置いて餓鬼の供物となる、ということでもあろう。
おそらく、お彼岸の時に、残っていた物を処分するものと思う。

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さて「施餓鬼」である。以前書いた物をコピペすることにした。

以下「施餓鬼」のお話。

『救抜焔口陀羅尼経』というお経に由来するものです。

お釈迦様の十大弟子のひとりで「多聞第一」と称される「阿難尊者」が、あるとき、静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が目の前に現れました。
痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ、目は奥で光る醜い餓鬼でした。
その餓鬼は阿難に対して「お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」と言ったのです。
驚いた阿難尊者が、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に聞いたら・・・
その餓鬼は「それには、餓鬼道に落ちている餓鬼に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、我々は苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう」と言いました。

しかし、そのような金銭がない阿難尊者は、お釈迦様にどうすれば良いかを尋ねました。
するとお釈迦様は・・・
「観世音菩薩の秘呪を唱えれば良い。一器の食物を供え、この「加持飲食陀羅尼(かじおんじきだらに)」というものを唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼に供養することができるだろう。無量無数の苦難の衆生(餓鬼)を救い、その施主は寿命が延び、その功徳により仏道を証得することができるだろう」と仰いました。
阿難尊者が早速その通りにすると、阿難尊者は救われ、とても長生きしたそうです。めでたし、めでたし・・・。


これが「阿難施餓鬼」の起源となるお話。

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以下「盂蘭盆会」のお話。

『盂蘭盆経』というお経があり、これによったものです。

お釈迦様の「十大弟子」のひとりで「神通第一」と称され、神通力があるといわれる「目連尊者」が、ある日、その神通力で亡くなったお母さんが今、どこで何をしているのか?と気になり、その行方を探すと・・・・
お母さんは、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみの中にいました。
目連尊者は、神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまいお母さんは口にすることができません。
目連尊者は、お釈迦様に「何とか母を救う手だてがないか」とたずねました。
お釈迦様は「お前の母はお前にとっては良い母だったが、実は罪はとても重く、生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちたのだ」と仰いました。
そして「多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意してお経を読誦し、心から供養しなさい」と仰ったのです。
そこで、目連尊者が早速その通りにすると、目連尊者のお母さんは、餓鬼の苦しみから救われたのでした。
めでたし、めでたし。


これが「盂蘭盆」の起源とされています。

お母さんだけが救われたのか?・・・という疑問が残る。
追善を手向けたのはお母さんだけだろう、と思え、とすればここに万霊供養の概念は無い。

この7月15日というのが、ポイントにある。
これは中国の「中元」。
道教に基づく「三元」のひとつで、地官大帝の誕生日であり、様々な罪が赦される贖罪の行事が催される。
中元節は、宇宙を構成する天・地・水の三官の中の地官大帝を祀って、幽魂などの恵まれない魂を救うことで、自身の災厄を除くというもの。
また、地官大帝は地獄の帝でもあるため、死者の罪が赦されるよう願う行事も催される。(Wiki先生)

これが転じて「盂蘭盆会」になったと考える。
死者の救済・幽魂の救済・自身の災厄消除というところにお盆と共通の概念が見られる。

この中元を元に、目連尊者の話が作られる。(=つまり偽経・中国で作られたお経)
お盆のポイント、夏安居明けの7月15日というのもココに由来する。

盂蘭盆の語源、サンスクリットの「ウランバナ」には、倒懸(とうけん・逆さづり)という意味だといわれているが、近年、古代イランの「ウルヴァン」という言葉が語源だという節も出てきている。
古代イランには、先祖に相当する概念があるという。
また「ご飯乗せたお盆」であるという節も出てきた。
これは、夏安居明けの僧侶への供養、ということにも繋がってくる。

どれが正解ということは分からない。
私は、中国の中元説を指示したい。勿論100%そうだ、ということではない。






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