「九条錫杖経」についてのお勉強・・

DSC00849.JPG
お盆月が過ぎて、後半初めての講座か。智山伝暴飲・・・ぢゃなくて伝法院・講座。
謎のお経「九条錫杖経」と「密厳院発露懺悔文」について。

『九条錫杖経』については、何度も聴いているお話ですが、毎回発見があるのです。橙

〈謎その1〉は、そもそも中国製(翻訳も含めて)かどうか?

中国製だとしては、ちゃんとした中国語になっていないように見える。
どちらかと言えば、稚拙な漢文ごっこのように見える。
偈文(げもん・漢詩)であれば、五文字・七文字に統一されていていいはずだけれど・・・
「佛寶法寶僧寶一體三寶」なんてのもあり、「尸羅波羅蜜」とか5文字があるかと思えば「已成佛」「當成佛」とか、3文字もあって、漢詩を作ってる、という感じが無い。

全体に、4文字熟語的にブツブツ切れていて、ひとつの4文字セットが、文章になっていない。
「手執錫杖」も、主語が無い。
「錫杖を手に執る」「者は」が無い。「錫杖を手に執れば」と言えなくもないが・・・「手執錫杖者」とかにしたい感じ。
「當願衆生」もそう。主語が無い。

・・・と思っていたら、『大方広仏華華厳経』に「手執錫杖當願衆生 設大施会示如実道執持應器・・・」とあるらしい。
もうひとつ『得道梯橙錫杖経』にも似たような、というか、引用されたと思える文字列があるという。

これらのお経を元にして「偈文風」に作ったように思う。

全体の体裁から中国語の偈文としてはオカシイところがあり、日本製だと思える。

・・・わけだけれど、そうだとすると・・・

DSC00853.JPG
〈謎その2〉・・・

問題になるのが、752年の奈良・東大寺・大仏開眼供養。
ここで四箇の法要が営まれた、という記録がある。
「唄・散華・梵音・錫杖」という声明曲を唱えるのを「四箇の法要」という。
ここに「錫杖」が入っているということ。

日本製だとすると、奈良時代のこの時に「錫杖経」が出来ていた、ということになる。
それも「声明曲」としての節が付いたものが、である。

「唄・散華・梵音」と並んだら「錫杖」も音楽的なものだと言える。
真言の「唄・散華」は、元は天台の節だったのだろうな〜という感じがする。
その元々が中国からの輸入なのだろうな〜という感じがする。

それに相当するような「曲」が完成していたのか?・・・という問題である。


〈謎その3〉・・・

そもそも、この「四箇の法要」というものが、どこから来たのか?
中国の事情をご存じの方は教えていただきたい。

大仏開眼は、アジアのアチコチから人を呼んで、それぞれの国の歌謡・舞楽などを披露させたという。
法要というものが、どういう風に輸入されたのかはわからない。
「四箇の法要」という法要形式がそのまま中国にあったものの輸入だとしたら、当時の中国に錫杖経があったということになる。

しかし、これに関しては、中国のお経の目録(中国には全てのお経の目録のような物があるそうな)に載っていない、ということのようだ。
・・と講師が仰ってた。
・・とすると「四箇の法要」という物にも疑問が出てくる。

「四箇の法要」にあるのは「違う錫杖経」なのだろうか?

R0002466.JPG
我々真言宗智山派では『九条錫杖』を祈願で唱える。
しかし、天台では、例えば大原三千院の「盂蘭盆会施餓鬼」で唱えられる。
「光明供錫杖法要」というから、滅罪で使われている。
まともに唱えると1時間近くかかるもので、近年、三千院でも省略されてるみたい。
天台宗でも「九条」は大原でしか読まないというから、ぜひフルサイズでやってほしい。

天台と言えば『九条錫杖』には「一乗修習」という言葉が出てくる。
これは「法華一乗」か?という気がする。
まあ、この「一乗」には、色んな意味が付けられるだろうけれど・・

ちなみに、当方にも「長(なが)錫杖」と呼ぶ、節付きの「九条錫杖」があるが、これを読む機会を知らない。
これは「祈願法要」の次第に載せられたことで、祈願法要専用、というイメージが出来てしまったからではないだろうか?
勤行でも一番最初に読むが、節付きではない。
では、逆に「節付き」は、どういうシーンで読んだのだろうか?
ご存じの方は教えていただきたい。

本山では、旧本堂を金堂の脇に移したときにお不動様を本尊として「明王殿」と呼び、祈願を始めたのだと聞く。
その時に現行の祈願の次第が作られたらしい。
一説には、その時の能化さまが出流山だったので、観音経が中心の次第になったのではないか?・・・という。
お不動様の前で観音経で祈願することの合理的な理由を、私は聞いたことが無い。
(伝法院長が何か言ってたか・・・?)

我が宗では、その時点から、九条錫杖の扱いが変わってしまったのだろうか?

高野山では「長錫杖」は「旧正御影供」の時に奥の院へ行道するときに読まれるんだったか・・?
長い錫杖を地に突きながら、唱える、ホントの錫杖経。長錫杖を持って読む長錫杖経・・(^_^)v

R0002461.JPG
声明曲としては、節を付けないのと、中くらいのと、長いのと、三種類がある。
「中くらいの」は、豊山派がよく使っているようだ。

我々真言が、割と積極的に読んでいるけれど、密教的な文言は無いに等しい。
やはり、修験の匂いがする。

日本に、所謂「仏教公伝」以前に仏教は入っていて、それが、元々あった山岳信仰の中に溶け込んで、今の修験的な物(そのベース)になっていたのではないだろうか?という説がある。

そういう人たちが、華厳経とかの文句を用いて『九条錫杖』を作ったということは十分に考えられる。
そうだとして、単純な4字熟語の羅列と、所々字数がデタラメな、出来の悪い漢文ごっこと思えば、納得がゆく。


講師は、冒頭の部分を・・・

「手に錫杖を執るならば、まさに人々のために願いましょう。
大施会を開いて、真実への道を示し、三宝を供養しますように」

・・・と訳したけれど、ワタシとしては・・・

「私は手に錫杖を執り、まさに今、衆生と共に願う。
大施会を設けて、それが悟りへの道であることを示すのだ。
そして三宝を供養するのである」
・・・ってな訳をしたいな、と思う。

「大施会」というのは、十界の衆生に平等の法施・財施をすること。

この「當願」の「主体」は「自分」であると思う。
ただ、そこに「衆生」も入るのか?・・・よくわからない。





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント