しつこく彼岸花・・・

ホントは、色々撮りたいけれど、なかなか出かけられないので、境内をウロウロ・・・
今年は、彼岸花の咲くのが遅く、彼岸を過ぎても、いや過ぎてから盛りになっていて、なんだかちぐはぐな感じになってる。

彼岸が終われば、寺も落ち着く。
今年の残り3ヶ月あまり、じっくりやりたいことをやりたいものだと思いつつ・・・すでに、あきらめの境地となりつつある。
予選まででいいからF1見に行って、トロロッソ・ホンダの写真撮りたい。
あのマシンの色が好き!
去年は、フリー走行に行くつもりが、ダメになったんだった・・・

ニコンD7500にしたら、これがイイ! レンズの70-200mmF4もいいんだ、これが。
ニコンの発色が急に良くなった感じがする。
これなら「フジの色」も必要ないなぁ〜という感じで、フジ一式を処分したことに対する納得する言い訳になるわ。
Zマウントの70-200F2.8もロードマップにあったと思うけれど、さて、どんなレンズになるんだろ?
「高い・デカイ」はイイから、ソコソコの大きさで、ソコソコ良い性能の物が欲しい。

お彼岸のお墓参りは、お盆ほどではないけれど、沢山の方が見えた。
寺は、そういう人に支えられているし、そういう人たちのためにある。
直接は知らない人も「ご先祖様」として、自分への「命の繋がり」に感謝する。
ここに日本人に特有の思いがある。
その上に日本の仏教がある。
我々の中にも、そのことを語らない、考えない人が結構いるけれど、日本においては「日本の仏教」なのだ。
そこを軽視する傾向、もある。
学者さんたちは、経典等の研究を経て、その中に傾倒する。
そこには「先祖」は無い。
日本人には日本人の死生観があり、日本の仏教はそこに根ざしたものなのだ。
そこを軽視する傾向は良くない。

上求菩提(じょうぐぼだい)
下化衆生(げけしゅじょう)
・・・という。
「上求菩提」においては、我々は経典を読み、教義を研究し、思考を巡らし、法を理解しようと試みる。
禅宗が分かりやすい。
禅の修行で自分を突き詰める。そこ心で法を説く。
曹洞宗ならば、永平寺という人里離れた山に籠もって己を研く。(上求菩提)
そこで得た「さとり」を持って山を下り總持寺において衆生に法を説く。(下化衆生)
・・・と説明すると分かりやすいと思う。
おそらく「下化衆生」の部分では、日本の仏教において、そうは大きな違いが無いと思う。
各宗派の教義は「これがおなじ仏教か?!」というくらい違うが、一般ピープルが仏教というものに「期待するもの」は「同じもの」であると思える。
だから、宗派としても、そこの部分では、大きな違いが無いのではないか?
それが日本の仏教、だと思うのだ。
亡くなった人の魂が安定する。
亡くなった人は、どこかにいて、生きている人を見守っている。
これが、日本人の心の根底にある。
ここに仏教が関わっている。
これが日本の仏教なのである。

この記事へのコメント
まずは、感謝
ご住職の結構なお説教を楽しみにしております。
自身は大変な2019年ですが、D7500と出会えて良いこともあります。。。
不便なパナを我慢して使ったのでよけいD7500の良さが分かる日々です。。。
仏教ネタは疲れるので、息抜きブログには滅多にでてきませんが、勝手な説教垂れてゆきます故、笑って読んでくださいまし。
m(_ _)m
やっぱり、一眼レフで撮る作業はイイですね。