いわゆる「終活」について、葬儀周辺の事象から考える(その1)

10月10日、ある自治会の老人会から依頼を受けて「終活」について会話をしてくれ、というので、作ったレジュメ・・・というか、時間が無いので、話しきれないことを念頭に、文章にして読んでもらおうと思って作ったものを載せます。

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現代の葬儀を取り巻く問題点

1、終活?

 近年「終活」という言葉を聞く。なんでも「活」を付けて流行語のように用いるメディアの安易さには呆れる。また、そこで語られる事柄を通じて感じられる「宗教性の無さ」というものに、強く違和感を感じる。
 ここでいう「宗教性」とは何か?
 宗教の「宗」の字は、「ウ」つまり家の中に「示」祭卓があるという字で、家に祀るものを言う。
 日本人の多くは、家に神を祀る神棚があり、故人・先祖を祀る仏壇があり、神仏を合わせて信仰しているのが普通だった。勿論、キリスト教などもあるが、日本人が大切にしてきたのは主に自然を祀る神道であり、「先祖」崇拝だった。日本に於ける仏教は先祖を祀るという形に変化したものである。
 宗教とは文化であり、それは地域(村)や家の中で連綿と継続されるものであった。地域の祭りがそうである。祭りは地域でやるものであり、先祖は家で祀った。人は変わっても、土地と家は継続し、共同体としての、あるいは、家としての信仰は継続するものだった。
 これが、日本の文化の基本を成している。
 いわゆる「終活」と言っても、たとえば、持ち物の整理とか、相続の問題とか、色々あるが、ここでは、葬儀とその周辺の問題を考えることにする。

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2、葬儀とは何か?

 葬儀というものは、祭りと同様に、古来共同体で営まれてきた。互助制度のようなものであり、平たく言えば「おたがいさま」ということだ。近所と親類が食べ物とお金と労力を持ち寄って行なう。「組内」という制度もあって、大体が「部落(今でいう自治会)」の中で、葬儀に際しての役割分担があり、何年かで一回りして、葬儀のアレコレは身についたものだった。
 今は、医者が「死亡診断書」を書くことで葬儀の全てが始まるようになっているが、昔、それは無かった。「死んだのだろう」ということろから始まるものだった。
 死亡の知らせを受けた僧侶が、本来なら、亡くなる際に唱えるべき「枕経(まくらぎょう)」を読み、後に、通夜が始まる。
 通夜は文字通り「夜を通す」もので、誰かが起きていて、線香が絶えないようにする。これは、生き返るかも知れない、という意味が元々あったのだろうと考えられる。
 葬儀の「しきたり」は「みんなでやる」ということが大切なことだった。『おくりびと』という映画以降、葬儀社が一人でやってしまうようになってしまったが、体を拭くのも、着替えるのも、何でも「みんなでやった」。
 これは「死の確認作業」でもあった。だから家族・親族がみんなでやる」ということにこそ意味があった。
 通夜では「まだ亡くなっていない」という考えもあり、通夜に礼服では行かない、というものでもあった。今では、葬儀に行けないから通夜に行く、というように考えられるようになって、通夜と葬儀は同義のもの、という認識になりつつある。自宅葬で行なわれていた頃、廣琳寺の檀家さんには、住職が通夜に行って読経する地域と、しない地域があった。
 もともとは、礼服でかしこまって並ぶ「通夜式」などというものも無かったのだ。

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3、ホール葬というものに変わる

 現在ホールにおける葬儀が殆どとなっている。
 農業地域である廣琳寺の地元、平石地区に農協系のホールができてから、なし崩しにホール葬になっていった。
 とはいっても、当初は戸惑いもあり、通夜は自宅でやって葬儀をホールでやる、ということも行なわれていた。さすがにそれは面倒なので、間もなく通夜もホールとなったが、葬儀は自宅でやるものだ、という意識があったのと、その頃は通夜に対するきちんとした認識があったものと思われる。
 「うちの自治会は自宅葬」という形で残っていたところも、やがて無くなり、全てがホールになった。自治会単位で決められていたわけだ。
 廣琳寺の地元は、今でも組内の制度があって、役割を決めてやっている所もある。
 ホールが出来る前、アパートとか住宅地で葬儀をするときに、例えばアパートの部屋では葬儀ができないというので、集会場でやった、ということもあった。
 団地やアパートでの葬儀は、例えば、班という単位で協力をお願いしても、左程の強制力も無く、なかなか協力してもらえない、という悩みを聞いたことがある。
 そういう所に、葬儀社がでてきて仕切る、ということも始まって、自宅葬でも、葬儀社が一切を受け持つ、という風になっていった。
 ホール葬というものは、そもそも都市部から起こったことだった。
 都市部に造られた家には、昔の農家の家の造りのように、座敷をぶち抜けば結婚式も葬儀もできるという家は無く、自宅での葬儀ができない。また、手伝いの人出もないので、葬儀社とホール、というものが、必然の物として登場し、それがやがて田舎にも伝播して、当たり前のようになってきたのである。

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4、問題の根源は核家族にあり

 戦後昭和二十二年(1947)から昭和二十四年を「第一次ベビーブーム」と呼んでいる。
 この人たちが後に経済成長を支えてゆくことになる。都市部に出て、主に商業と工業の発展を支えた。やがてこの人たちが結婚をして、都市部からドンドン家を造っていった。
 こうして核家族が急激に増えた。
 おそらく、これらの殆どの家には仏壇・神棚が無い。神を祀らず先祖を祀らない家が圧倒的に増えて、今はその子供が所帯を持つ時代。当然ながら、その家にも仏壇・神棚は無い。
 その最初のベビーブームの方たちが、七十代に達して、葬儀の心配が出てきて「終活」という話題が表に出てきた、ということだ。
 核家族が核家族を生んでいるのが現代。

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5、核家族と無宗教

 核家族は実家を離れ、仏壇・神棚を持たない。「家」というものを離れ、家督制度を離れ、地域を離れた者同士が所帯を持つ。当然ながら連綿と継承された地域の文化が無いし、家の文化である宗教も無い。古来からの「しがらみ」から離れた者同士が、自分たちだけの生活を始めるのが核家族の大多数だと思う。
 キリスト教などの家ではきちんと継承されているようなところもあるが、大多数の核家族の人たちは、宗教は実家に置いてきてしまった。
 友人知人親戚等の葬儀などへの出席もあるが、それはあくまで他人事でもある。
 実家の父母などの場合でも、葬儀自体には「出席者」に過ぎないというような認識であることが多いと思える。葬儀を終え、自宅に戻り、また普段の生活が始まれば、仏壇の無い家では、父母の供養ということも、法事や盆正月のことにのみなってしまう。
 そうやって、宗教とは、日々の生活から追いやられる存在にもなっている。
 「ウチには先祖はいません」と言う人がいる。それは、その家で亡くなった人がいない、というだけで、人にはそれぞれ無限ともいえるような沢山の先祖がいる、ということだ。そういう認識すら持ち合わせないような人もいたりする。
 「無宗教です」という人も多い。
 そんなはずは無い。神社やお寺にお参りすれば、手を合わせるだろうし、受験などがあれば神仏に祈る、それは立派な宗教心である。
 「無宗教」と言っているのは「家に決まった宗教が無い」ということで宗教心のようなものが無いワケではない。ただ、決まった宗教が無い、ということで、実家の宗旨すら知らない人というのも希なことではない。
 宗旨の違う男女が結婚して、女性が男性の家の宗派に入る、ということも平気で行われてきた日本で、核家族で決まった宗教がない、というくらいの認識であることで上手くいっているという面もあるのか知れないが・・・

続く・・・・・



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この記事へのコメント

タロウカジャ
2019年10月10日 21:01
待ってました。ご住職の見識の広さ、分かりやすさ。
続きが楽しみです。
ホール葬は、今以って納得できない、古い奴でございます。

ひるのいこい
2019年10月10日 22:27
うちの父方の爺さんは自宅で(ご詠歌のおばあちゃんは来るわ、ほら貝の山伏は来るわ 大変賑やかだった記憶が 今から45年前の話) 母方の祖父祖母は公民館でしたっけ。
最近は公民館使うと近所の方にお知らせしなければならないので49日過ぎてから評議員に連絡が来る。 うちの町内会、私が最年少というほぼ限界集落。 これでも大阪駅から30分圏 駅前徒歩2分に住む現場でございます。
三日ボーズ
2019年10月11日 00:07
タロウカジャさん・・・
恐縮です。

ひるのいこいさん・・・
昔ながらのやり方で賑やかに送られるのもいいもので、貴重な思い出だと思います。
ホントは、寺において葬式が出来るような形になっているのが良いのだと思うし、たしか、昔は寺でやっていたのもあったように思います。

東京の銀座だって、昔から住む人は少なく、都会も過疎のようで。
当然ながら、昔からのお付き合いも少なくなってゆきますね〜