寺への敵視に対して・・

NHK「あさイチ」で、葬儀の問題が取り上げられました。
それに関して以下のようなツイートをしていた者がいたので、意見しましたが、聞く耳持たないようす。
そのツイートを元に、ワタシの思いを書くことにします。

スクリーンショット 2019-12-17 17.40.02のコピー.jpg
コイツは、ちょっと仏教をかじった、という感じで、分かったようなことを言っておりますが・・・

葬儀で僧の読経が当たり前に”された“のは檀家制度以降の話

まず、檀家制度というのは無い。江戸時代に入ってから徳川が敷いたのが寺請制度。
全ての人が寺の檀家になるというもの。
これによって、ひとりひとりの葬儀を寺がやるようになったということは言えると思う。

しかし、それと「僧が妻帯し子供をもうけ養わなければならなくなったから」というのは、時間がズレてる。
寺請制度は江戸時代と共に始まり、妻帯は明治に入ってから(真宗を除く)。

だから、それが「葬儀に読経すること」の原因とは言えないという単純な間違いがある。

また、妻帯をしたのは、明治政府の神仏分離令によって、一部にあった「廃仏毀釈」という運動を誘発し、爆発的に広まってしまった。
これには明治政府も慌てたと思う。
明治政府は廃仏毀釈などの行為に対して「社人僧侶共粗暴の行為勿らしむ」ことと、「神仏分離が廃仏毀釈を意味するものではない」との注意する。

これだけのムーブメントがあっても、実は「檀家制度」といわれるようになった、寺と檀家さんという関係は崩れなかった。
制度としては、明治になってから廃止されても、先祖の供養は続くから、ということで、寺壇関係は続いた。

勿論、廃仏毀釈という運動に発展したのは、それまで幕府に権力ともいえるような力(=特権)を与えられた寺が横暴に振る舞っていたことの反発もあったのだろうと推測はできる。
長年仏教に虐げられてきたと考えていた神職者が煽ったということも無きにしも非ずだと思う。
この運動は2〜3年で収束する。

しかし、それでも、寺壇関係は残った。
寺が嫌なら神道でだって供養のようなことも葬儀もできると思うのだけれど、多くがそうはしなかった。
寺による葬儀・供養ということを続けた。

それどころか、明治になると、特に都市部で葬儀がとても大規模なものになって、葬列の長さを競ったり、というようなこともあったという。
寺の過去帳を見ると、明治になってから戒名が長くなっている。
それまでは、2文字、4文字が普通だった。
佛式の葬儀・供養への思いが強まっていったようにも感じられるのだ。
廃仏毀釈が元になって、逆に仏教を見直すキッカケになっていたのだろうと思う。

寺の側も、これをキッカケに意識の変革があったように思える。
明治初頭の廃仏毀釈運動において、修験は壊滅の危機となり、天台・真言は神仏習合的要素が強く、多く打撃を蒙った。
そこで「これからは世襲に依らないと寺を維持できなくなるだろう」という思いから、世襲に踏み切った。
その最初がウチの宗派だったと聞く。

政府の「肉食妻帯勝手たるべし」というのは「〜しろ」ではなくて「自分たちの判断にまかせる」ということ。
それを受け入れるまでには、だいぶ逡巡したと聞く。
簡単に「ほいほい」ではなかったようだ。

江戸時代の寺の運営、特に金銭面でのそれがどうなっていたかはよくわなからない。
ウチの過去帳を見る限り、江戸時代には、戒名に差はさほど無かったように思える。
戒名が段階的になって、お布施が違ってきたのは、明治以降ではないか、と思える部分もある。

葬儀での読経が当たり前になったのは檀家制度からでもなく、妻帯して子供をもうけて養わなければならないからでもない。
事実誤認も甚だしい。

ただし、現在に到るまで、ご先祖様を人質にするかのようにして、多額のお布施を要求する輩がいることは否定できない。

そういう事への非難批判は仕方がないが、Twitterの氏は、それをステレオタイプに言っているだけに過ぎず、多少は経典の解説書のようなものを読んだりはしているのだろうが、知識は浅い。

本来仏教にはない」という言い方が、そう思わせる。

こういう言い方をする者は多い。
ヘタすると学者さんにもそういう視点での物言いをする人もいる。
自称「宗教学者」の島田裕巳氏がその典型といえる。
このTwitter氏は、そういうことをただ聞いて思っているだけだろうと思える。
実に安直な物言い。

これほど難しい問題は無い。
本来仏教にはない」と言ってしまったら、さて、どこいらへんまでが「本来の仏教」と言えるだろうか?
それをお釈迦様まで遡ったら、いわゆる上座部仏教だって外れるかも知れない。

少なくても、大乗仏教以降、つまり、紀元前後からコッチの仏教は「本来では無い」ということになってしまう。

「金儲けに走ってないか?適正な見返りか?」という点に関しては、否定はできないが、過半数のお寺は、何か住職が副業を持って生活を支えていて、それで寺院運営をしている所が多い。
実際、寺の運営をしてみると、それにはお金がかかる、ということもわかる。
サラリーマンを10年近くやり、その後、独立して数年版下屋をやった者としては、自分が言うお布施の額が給与に対して如何ほどの物かは分かっているつもりであります。

現在、世襲でなかったら寺も神社も無くなってしまうだろう。
しかし、寺は、ご先祖様の供養と、亡き人の弔いを任されている。
だから、明治以降、寺壇関係に制度は無くなっても、その関係が無くなることはなかった。
ここを重要なこととして、胸に刻む必要がある。
そのために寺を維持しなけばならない。
しかし、それを逆手に取ってやりたい放題ということは慎むべきである。

世襲といなれば、女房、あるいは婿殿がある程度良い生活をさせてあげたいと思うことは仕方が無いことではないか、と思っていただきたい。
・・・という気持ちがある。これは理解いただきたい。
農家の跡継ぎの長男も、後を継ぐ、という事になれば親も甘くなる。
息子が、後を継ぐとなれば、ちゃんと生活できるようにしてあげたいと思う。
・・・そこはご理解いただきたい、と思う。

「勝手なこと言いやがって、商売の邪魔するな」・・・とは思わない。
「邪魔」というほど確かな意見ではないし「商売」とも思っていない。
フォロワー数を見ても、影響がある数ではないし、意見が稚拙であることは誰が見てもわかるだろう。

「図星?」と言われても、そういう批判があることは、アンタに言われなくても重々承知。
得意がられても困る。
どうも、沢山反応があったことで、彼は嬉しくてたまらないようす。

ウチの教区では、副住職が居て、二人でボーサンという所も多く、恵まれていると思う。
若い人たちも、みな勉強家だし、真面目にやっている。
その様子を見る限り、近い将来は大丈夫!・・・だと思える。

長老の世代には、割と強引な方もいたように思うが、息子の世代まで、そのような方は、周囲にはいない。

このTwitter氏が、どの程度の寺との関わりがあって言ってるかは分からない。
「お布施を沢山取られた」と言ってる人が周囲にいるのかも知れない。
ただ、世間のイメージで言ってるだけかも知れない。

何度も書いているが、日本の仏教は葬式仏教でいい。
昔の人は、仏教に「弔い」をゆだねたのだ。

仏教は、姿を変えてその土地土地に根付く。
日本では、葬儀に重きが置かれた。
仏教の1つの展開として出来た形、なのだ。



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