家族葬とは・・・(その4)

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核家族が進んで、今は戦後のベビーブームの孫の世代が所帯を持つ時期になってる。

いわゆる「団塊の世代」の人たちは、かの「学生運動」を経験している。
あの時の気分というのは「反体制」がキーワードのようだった。
「革命だ」といって騒いでいたのだから何となく反体制という気分があったと思う。
「心情左派」とも言われた。

反体制の対には「個人主義」というワードがあると思う。
そこに「核家族」がリンクする。

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心情左派的ヒトビト・・・何となく体制的なもの=古くさいもの、という見方も出来て、その中に「仏教」も入ってしまったように思う・・・というのが、私の考え。

意識せずとも、親元を離れ一人暮らしをして、そういう者同士が結婚して、新しい家庭を作る。
アパート、マンション、団地等に住む。

団地やアパートの班とかがあるものの、それほどの拘束力は無い。
昔からの村などが持つ束縛性は無い。

家の束縛も無い。
自分たちで、自分たちの「家」を作れる。自由な家だ。
そこに「宗教」はない。
宗教は実家に置いてきた・・・という感じ。

「宗なる教え」が無い家に育つ。
でも、初詣に行ったり、受験の時には合格祈願に行ったりする。
そういう「宗教感」は持っているから「皆無」というワケでは無い。

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そういう家に育った子供たちが、今、中年域にいる。
そして、その親たちが亡くなる時期になっている。

この「親の葬儀」をするまで、そういう「宗教観」は蓄積されておらず、ここで「初体験」することが多いのではないか?・・・と思うのだ。
亡くなる親の方だって、同様。
生きてる配偶者が喪主となってアレコレ大変な思いをする。
お金もかかった。

・・・そういう体験をした人が「子供には迷惑を掛けたくない」とかいう思いを成すようになる。

核家族だから、周辺には、そういうときに助ける互助制度は無く、そういうニーズで葬儀社ができた訳だ。
しかし、お金は余計にかかる。手間をお金で買ったようなものだから。

核家族の子供たちは、かなり高い確率で核家族を作る。
親と子は、大学進学以来、別居するのが当たり前のようになってる。
子供は結婚したら別の家族、別の家、ということになってしまって、親子でも常に繋がってはいない、という状況が大半を占めるようになった。
こういう環境が「子供に迷惑を掛けたくない」という意識を生むものと思う。

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この「子供に迷惑を掛けたくない」という気持ちと、近年の「家族葬」というものの喧伝がリンクしてきた。

核家族の家には「葬儀とはかくあるべき」というような「絶対的価値観」は無きに等しいから、葬儀社が参考して作っていったような世情を受け入れやすい。
「絶対的価値観」=「しきたり」から外れる恐怖を知らない、とも言える。
葬儀をする方も、大体が核家族の者だったりして、怖れなく、しきたりを無視できる。

そうして出来上がったのが、今の「家族葬」などの、簡易的な「葬儀のようなもの」・・・である。

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一部の寺、特に都市部の寺などのお布施や、戒名料というものが高すぎる、という問題も「家族葬」の誕生と広がりに関わってくる。

昔からの付き合いがあって、日常的に寺と関わり、支えて下さってる檀家さんは、自分トコのご先祖様を守って供養する寺を支え守ってゆく、という観念も、絶対的価値観としてそれぞれの家に継承されているものだと思う。

寺は、そういう気持ちで支えられている。

街中の核家族と寺は、もとより関係が無い。
独立して自由な生活をしてきた者たちが、そういう古式な付き合いなど求められても戸惑うばかりだろう。
そういう「メンドクサイ」ものとは関わって来なかったのだから。

そうなると、ホントに宗教が入らない家族葬や、一日葬、直葬というものに流れて行くことは多くなるのだろうと思える。

行きたいとき、お願い事がある時だけ、という感じで、都合の良いときだけ神社仏閣に行くという関わり方だったのが「急に大金を取られる」ということにモーレツな違和感を覚える・・・これが現況なんだと思う。

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よく「現代は寺離れが進んで・・・」と言う者がいるが、これは違う。
その言葉を見れば「これまで寺に関わって来た人たちが寺から離れて行ってる」という事になる。
そうではない。
核家族が増え、多数派になっている。
この「宗教が無い家」が増えた、ということがホントのところ。
菩提寺の無い、宗教が無い家が増えたのであって「現代は寺離れが進んで・・・」というほど檀家さんは減ってはいない。

我が寺の周りの農家は極端には減っていない。
熱心な檀家さんは、いまのところ、大きくは減っていない。
街の中など、人口はあるのに、檀家さんである家が少ない、というような所が多い、ということだ。

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しかし・・・

農家でさえも家が続かない、ということが今後大きな問題となる嚆矢は感じる。
そうなると、寺の基盤も大きく揺らぐことになるかも知れない。

新しく檀家さんにあんる、という家は、核家族だから、もとより家が続かないものと思っている。
一世代限りの所も多い。

農家も減り、新しい檀家さんも一世代で代わってゆく・・・そういう時代になることは確かである。

寺の基盤も大きく変わるかも知れない。
厳しくなることは確かだが、ヒトビトの信心は、無くならないと思う。

むしろ、一度落ちたとしても揺り戻しのようなことになるのではないか?・・・とタカをくくっていたりする。
生命や心の「ワカラナイもの」をどう考えるか?・・・という心はいつまでもあるものと思う。
神秘性を求める心もあろう。

そういうものを神社仏閣に求める人が絶えることは無い、と思っている。

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人一人の人生を簡単に葬っていい訳が無い。
・・・そういう気持ちというものもあるはずだ、と思うのだ。

人の心が簡単に解決できない神秘性を・・・ワカラナイものを解決する手段としての宗教、というようなものは絶対に継続する。

だから、我々に求められるのは、先ずは基本中の基本「真摯に葬儀と関わること」こそが一番なんだと思う。

「未来の住職がどうたらこうたら・・・」言うようなヤツらが、宗教を突き詰めるのでなく「寺院経営」とか言ってアレコレやってるようなものが、本当に寺に求められているものなのか?!
・・・こういう自問自答は必要だ。

寺でなくてもできてるイベントを寺でやるようなことには、逆に「将来性は無い」と、思うのだ。
こういう輩は「葬式仏教」という言葉につまらぬ反応をしているようだけれど、そうでは無い。

葬式仏教こそが、日本の仏教。
日本に入った仏教が定着した基本的な理由。
そこに誇りを持って勤める、ということこそが、寺の第一義と考える訳ですが、いかがでしょうか?

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