暇のまにまに・・・

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ここんトコ、新型コロナこと武 漢 肺 炎の騒動が収束しつつあるかのような雰囲気があるけれど・・・
ホントのトコロが分からない。
南米やアフリカでも猛威を振るっているのだから、インフルエンザのように季節性があるとも思えない。

今は感染者が減っているが、これは、GW明けの結果。
「これから」の「結果」は2週間後。

東京でも、10名を切って数日。
しかし、その数名がどこで罹ったのか?

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先日、ヨドバシに行ったら、少し活気が戻っていた感じがする。
しかし・・・ホントに良いのか?・・・とも思う。

アベノマスクも10万円もまだ来ない。
ホンッ・・とに、政府・行政の対応のまずさが明るみに出た。
オンラインの申し込みといっても、人力で内容・添付書類をチェックするとか。
どこまで役所はバカなんだろか?

何のためのマイナンバーなんだい?
納税者管理のタメのものだから、その効率的な用法を肝心の役所が分かってなかったってことだわね。
とにかく、税金を取るために管理するのがマイナンバーで、その・・納税管理以外に思いつくまやかしの・・メリットが、印鑑証明の取り方、くらいしか思いつかない役所・・・は、ホントに分かってなかった、ってことだわ。ナサケナイ・・・。

このグダグダの間に、亡くなった人も、生まれた人もいる。
そういうのって、どうなるの?
・・・と、女房が言ってた。

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葬儀が、ドンドン簡単になってゆく。
「一日葬」と呼ぶやり方が増える。
まあ、家族・親族のごく限られた少数で、通夜・葬儀というのもヘンな感じもしてくるか・・・

葬儀がほぼ100%ホールになって、通夜の意味も変わってしまった。
葬儀に出られない人が通夜に出るという意識に変わってしまって、通夜が、葬儀と同列になってしまった。
通夜と葬儀では参列者が異なる、という形になってる。
家族・親族の限られた者だけでおこなう「家族葬」と呼ぶやり方になると「通夜」は何のためにあるのか?
・・という意味合いが分からなくなってくる。

「通夜はやるものだ」という「形式」や「意識」があればやるのだけれど、そこにまた、葬儀社が勝手に作ってくれた「一日葬」といういい加減な「プラン」がある。
・・・そう「在る」のだ。
いつの間にか「在る」のだ。

当然のように「在る」。
「在った」かのようにして「在る」。

「家族葬」も「一日葬」も、無かったものが、勝手に作られ、いつの間にか、当然というような顔をして「在る」。

「家族葬」も「一日葬」も「直葬」も、いずれも、葬儀社にとっても儲からないものだと思うのだけれど、これをやらないとやってゆけない、という強迫観念みたいなもので「プラン」に入れてる、という感じもする。

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先日は、100歳を越えたおばあちゃんの葬儀だったけれど、ご主人はおろかお子さんも亡くされて、ご自身がその家の最後の住人となってしまった。
亡くなる日まで、一人で生活されていたんだそうな。
近くにいる遠い親類の85歳のおばあちゃんがよく行っていたそうな。
亡くなった日も、午後に85歳のおばあちゃんが訪ねて、その後、夕方ヘルパーさんが行ったら亡くなってたとか。
遠い親戚の方が喪主となって葬儀をしたが、何でも遺言に書かれた相続者があるそうな。
なのに、どういうわけか、相続人ではない人が喪主となってて、費用が大変だ、というので、お布施は「いくらでもいいです」、ということに。

葬儀費用は、相続税の課税対象額から控除できるのだから、相続人が出すべきと考える。
一応、その話はみんなにした。

お家は住む人がいなくなってしうまので、処分なのか?
お墓はなんとか承継して欲しいとお願いしたが、さてどうなるや?
家族が亡くなって、その後が続かないと、葬儀が寂しくなってしまう。

100年以上生きて、最期が寂しいんだよなぁ・・・

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人一人が亡くなって、その人生の締めくくりとしての葬儀が、ドンドン寂しくなってゆくのが、悲しい。

葬儀が、単純に生きている人の問題だけになってきた感がある。
生きてる人の「亡くなった人への思い」が反映する、と言う意味では、確かに生きている人の問題なのだけれど・・・
「亡くなった人への思い」の重さが違ってきてるのか?
その「質」が違ってきてるのか?

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