Twitterは、大きくなりすぎた

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一連の岡村隆史さん攻撃を見ていてTwitterがイヤになって、1ヶ月ほど離れている。
情報源として見てはいるが、必要な情報は「ブックマーク」というのに入れておく。
面白いツイートには反応したいが、書き込まないことを自分に課した。
そうしているウチに、客観視できるようになってきた。

岡村さんの、いわゆる「炎上」の後、女子プロレスラーの自殺、という事件が起きてしまった。

テレビで放映された作られた世界でのその女性の態度を直接Twitterで非難する。
詳しくは知らないのに書くな、と言われるかも知れないが、悪役レスラーのような立ち位置の感じがしたけれど、リアルさを出していると装った、それがウリのような番組での態度が気に入らないとTwitterで攻撃する。

昔だったら、いや、今でもそうかも知れないが、すごい悪役を演じた役者さんが「悪い人」のレッテルを貼られてしまう。
俳優の蟹江敬三さんが、悪役専門だったけれど「熱中時代」というテレビドラマで良いおまわりさんの役をやってから良い役ばかりが回ってくるようになったとかいう話もある。
それこそ、プロレスの悪役レスラーが正にそうだ。

うちに帰れば、良い父、良い夫、良い人なんだけど、やっぱり「昨日、お父さんが(テレビで)人を殺していた」となれば、子供はいじめの対象になろう。
それが、今はTwitterで、である。

それがテレビの中の「つくられたもの・世界・キャラクター」であったとしても、不快感を感じたら、それを本人のアカウントに向かって「すぐに、直に」言える、という「おもちゃ=Twitter」を手に入れてしまった。

Twitterから離れている間「2ch」を覗いてみたら・・・変わってなかった。
いや、むしろ、Twitterより良い世界に見えた。

「2チャンネル」というのは、パソコンの世界なのだろう。
あの細かい「目次」は、パソコンでだって細かすぎて見難い。

「2チャンネル」は、パソコンによる「オタク」的世界。
正に『電車男』。秋葉原の世界に通じる。
というか、そこから生み出された世界とも言えるだろう。

現世とはある種隔絶した「別世界」の様相がある。
現世を離れて、パラレルな時間をそこで過ごす。
現世の立場も、しがらみも捨てて、対等となる、ひとつの平等な世界。
おそらく、多くが深夜のひとりの時間なんだろうと思う。
だから、匿名。匿名だから、平等。
かつての、深夜放送の連帯感のようなモノもあるように思える。
今、同じ放送を聴く人間が確実にいる。ごくごく限られているけれど、いる。
自分と同じようなヤツがいる。
・・・こういう実感があった。

「2チャンネル」はそれに近いと思う。
お互いに別世界、いうなれば「地下」だからこそ、というその世界を「大事に思って」いる。
そのスレッドだけのスラング・符丁のようなものもあったりして、一見さんや、余所者が入りにくい雰囲気すらあったりする。

専門的に、テーマを分けた「スレッド」で語り合う。
カメラやレンズを語っていると、明らかに「業者」の人らしいコメントがあったりする。
それも「匿名」なればこそだ。
2チャンネルは、書き込む場所が「テーマ毎」になっている。
ひとつのテーマに語る。
自分がいたい場所を探して住人となる。

一方のTwitterは「2チャンネル」の延長線上にあるのは確かだろうけれど、これは、パソコンではない「スマホ」の世界になった。
まさに、老若男女、誰もが手にする道具で、誰もがアクセスし書き込める。

このツールは、ほぼ「誰もが持ってる」世界になったし、深夜というような特別な時間も、場所も関係なく、入り込める世界だし、同じものに興味を持つ者同士が、それについて語り合う、という仲間意識のようなものが消えた世界になった。

仲間意識がなくなった「2チャンネルのような」世界は、逆に「個」というか「自分」が強調された世界になってしまった。
自己が巨大化(虚大化かも知れない)した世界だった。

匿名だけれど「自分」というものは厳然と存在する世界。
自己が大きく反映する世界と言っても良い。
スマホという物は、自己を世界に広めるという幻想を拡大し、拡散した。

Twitterも、Facebookも、自分のタイムラインは、自分の居場所でもある。
それは、スマホという薄くて小さい機械の中にある、世界、という錯覚でもある。
自分が良いと思ってフォローした人がフォローする人をフォローする・・・ということをすることで、それは、自分が居やすい場所になってるのだ。
いつのまにか、自分の居場所を作っているのだ。
時々、まったく違う意見の持ち主が入り込んでくる場合がある。
「フォロー外から失礼します」というのは、そういうことが分かっている人だ。
違う人の安住に地の入り込むことを、自分がされたらいやだろうな?という配慮を持った、至極まっとうな人もいるわけだ。

この反対意見を持つ人のタイムラインを見に行くと、驚くことがある。
ぶっちゃけると「バカのところには、バカが集まるんだ〜」ということである。

自分の場合もそうだけれど、自分が作った居場所の人は、いつしかお互いに理解し、匿名ながらも、人物像が出来上がってくる場合がある。
あたかも、そこに居るかのように、である。
それで、より住みやすい所となるものの、そこで出来た仲良しは、お互いを守るという傾向もある。
そうなると、自分の周りには、極端に言うと「イエスマン」だけになる、ということもある。

以前、念珠をブレスレットにしていた女性にコメントしたら、その「シンパ」とおぼしき連中が批難してきた。
信奉する人が批難されるのは自分を批難されるのと同じ、と思う感覚も生まれてくるということも分かった。
真実が見えなくなってしまうのは、宗教にも似ている。
パヨクだ、ネトウヨだとかいうのも、Twitterで生まれたようなものだろう。
物の道理、真理をみつけようということもなく、自分が正しいと思い込むことの哀れさ、というものも感じる。

2チャンネルでは、あくまで「地下のうごめき」というものであって、そこが面白かったのだろうと思えるわけですが、Twitterは社会の表面に出てしまった。
よしゃ〜いいのに、バカなテレビは、Twitterのコメントをテレビに載せるということをやってしまっている。
それが「世間の意見だ」というようにあ使っているが、そんなバカな話があるか?!
そんな訳ないだろ!
書き込みを選んでる時点で、報道に反する行為だと言うことも分からずにやってる。
テレビってのは、ホントに考えてない!

2チャンネルは地下であるという「おこがましさ」というか「奥ゆかしさ」というか、そんな気持ちがあった。
それがまた連帯感のようなものを持つことになるのだ、ということを、おそらく本能的にオタクたちは持っていたのだ。

Twitterは「大きくなりすぎた」。






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この記事へのコメント

ひるのいこい
2020年06月19日 12:56
2(5)ちゃんねるは専用ブラウザが使えなくなってから見ておりませんが、
掲示板ですから 文章推敲している間に 醒めてくる部分があるのかもしれませんね。 

Twitterもそうですが モニターの向こうは虚構なんだというのが欠落してるのかなと。だから、一人の人間を自死に追い込む、そして一人一人は
「僕じゃない」 ひどいのになると「正義の鉄槌」を下した…
三日ボーズ
2020年06月19日 18:51
そういえば「5ちゃんねる」でした。
いつも、まとめサイトから入るので、分かんなかったっですが、「2ちゃんねる」というのも残ってますよね・・・で、Wikipedia見ても理解出来ず・・

改めて、5ちゃんねるに入って、ここは変わらんな・・と思いながら、でも、若い人は増えてないと思えるので、近い将来、5ちゃんねるの高齢化、という世界が待ってんでしょかね?

おっしゃるのとは逆に、モニターの中は虚構のようだけど、いや、確かに虚構だけれど、そのこっちに自分が居るように、向こうにも生身の人間がいるということが「実感」として持てない、ということでしょうか?
ひるのいこい
2020年06月19日 19:06
三日ボーズ様> 
多分思っていることは同じだと思いますです・

 モニターの向こうは演技している世界なんだと言いたかったんです
例えば うちの亡くなったじいさまなど 全日本プロレスの
ジャイアント馬場VSブッチャーなんてのを喜んでみてましたが
試合終わると「あんなん八百長や(もう少し言葉きれいにすると予定調和や)」となるわけです。川○探検隊だって「未開の地に突入」なんて言いながら
先にテレビカメラが入ってる でも、みんなわかってて見てたわけです。

それが 悪役演じてるレスラーを人格崩壊するまで叩いたり…
モニターの向こう人々は一生懸命演じているのに、それがさもその人の本性(となりに居る普通の人々)のように感じてしまう。
それだけその方達の演技がうまいともいえるわけでしょうが。
プロと素人の境界線が曖昧になったからかもしれませんが…