三日ボーズ、北へ・・・縄文時代

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県立美術館を出て、バスの時間を見たら、ほぼ1時間に1本のバスが出たばかり。
タクシー乗り場にタクシーも止まっていない。

・・・そいうことで、すぐ近くの三内丸山遺跡へ。

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まあ、この掘立柱が有名で、これが出たことで、ここが遺跡として残されることになった象徴的なもの。

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こういう住居もあるわけだけれど、掘立柱も住居も「想像」の域を出ない。
見つかってるのは「穴」だけだから、その上の物は現代人の想像。
ただ、縄文人は極めて器用で、石器にしても、骨を使った釣り針にしても、驚くほど細かい造作をしている。
今の道具を使っても、そんなこと出来ないよ、というくらいの物があるから、住まいもこれくらいの物は造れたのかもしれない。

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今回も、確認したのはこの「お墓」。
ここの遺跡では、道路の脇に整然と埋められているのだ。

これは、何を意味するのか?

それは、この時代には、人は死んだ後も「そこにいる」というものだったのだろうと推測する。
「あの世」という別世界があるわけではない。
死んだ後も「そこ」に居続ける、というものだったのではないだろうか?
縄文時代も後期になると、一カ所にまとめて埋葬するようになるという。
そうなると、死後の別世界、というものが想定されてくるのではないかと思える。
人々は、この道を通るとき、死人の葬られている場所を通って行き来するということになる。
これが、人間は、死後も「そこ」にいて、生きてる人々を守ってくれている、という考えになってゆくのだと思う。
これが「ご先祖様のお陰」という考えになってゆくんだと思う。

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実際に、この様子を見ると、そう思えてくる。

また、ある遺跡では、大きな広場があり、その回りに家がある。
その広場の縁、つまり、広場と家の間に人が埋葬されているという。
これは死んだ後も「そこ」にいて、村を守っている、という思いがあったんだろうと思えるのだ。

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子供は、一部を欠いた土器に入れられ、大人とは別に埋葬されている。
これは、どういう意味があるのだろうか?
子供は「再生」を願ったのかも知れない。
一人前とならずに亡くなった命は、まもなくまた再生するということなんだろうか?
そんな感じがする。

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この記事へのコメント

007
2020年06月28日 06:23
昔、静岡県の登呂遺跡に行きました、、、
確か小学校の日帰り旅行で、、、
知恵と技術力はあった事はわかりました。

なるほど遺跡の形状から、当時の人の死生観が読み取れるわけですね、、、
大人の旅ですね。。。
三日ボーズ
2020年06月28日 08:29
三内丸山遺跡は、ほぼ村ひとつが出てきたことで、縄文時代の生活感がわかる貴重な遺跡ですが、東北には縄文時代の遺跡が多く見つかっています。
他にも行ってみたいのですが、なかなか・・・
2020年06月28日 11:28
美術館と一緒に三内丸山遺跡にも行かれたんですね。
掘立柱も住居も「想像」の域を出ない~納得です。
お墓の跡で死後の世界を想像するなんてスゴイ!!
と思ったらテーマ別記事のトップが仏教?!(*゚ロ゚)
三日ボーズ
2020年06月28日 11:43
いちおう、ボーズなもんですから・・・(^_-)