人の行く末・・・(その2)

DSC04514.JPG
真言では、亡くなった人は、密厳浄土に行くと言う。
仏様はそれそれに自分の世界を持っていて、それを仏国土という。
密厳国土は大日如来の仏国土。これは、仏様の世界、ということ。

DSC04397.JPG
真言密教の根幹は「即身成仏」である。
これに関して『智山教師ハンドブック』という、我々のアンチョコのようなものには・・・
今生きているこの身このままで成仏することである」と書いているが、これはいかがなものか?!と思う。

『密教辞典』には「真言密教は即身成仏を主張し、人生の最後目的は即身成仏にあることを教える宗教である」と書いてある。
おいおい、これでいいのか?!・・・と思う。

密教以前の大乗仏教では、何度も何度も輪廻を繰り返した結果、三大阿僧祇劫というヨクワカンナイとてつもない時間をかけて成仏出来る、という「三劫成仏」という考えがある。
お釈迦様は『ジャータカ物語』にあるような、超人的な善行を長い間続けて仏陀に成られた。
お釈迦様も人間としてお生まれになったのだから、同じ人間として、我々も成れないわけではない。
しかし、途方もない時間がかかる、ということだ。
これは、逆に「成仏」の困難さが書かれた物であると言える。

真言では、この想像しうる限りの「この世界すべて」を「大日如来」であると捉える。
実際には、地球というところで、ほぼ閉ざされた世界なのだけれど、地球というひとかたまりで考えると、我々1人1人の人間も、動物も草木もすべてが地球であると言える。
我々の命も、物質的には地球の一員で、地球の中の何らかが集まって出来た物で、死んだらまたその組成にもどると言えば良いだろうか。

地球を構成する物を五つに分けて地・水・火・風・空の「五大」という。
そこに意識の「識」を加えて「六大」という。この「識大」は分からないが、物としての人間は五大に還る。

そういう意味では、生まれる前も、生きてる間も、死んでからも、地球の中の物に違いない。
この大日の仏国土が密厳国土だというなら、死んで「密厳浄土へ行く」というイメージは成り立たない。

斯様に「大きな視点」で見ると、単純に人は仏・大日如来の一員(一因)であると、言える。

しかしながら、一方で現実としては迷える凡夫である。
仏教の大きなテーマが、苦しまずに生きたい、ということでもある。
哲学的に、大いなる仏の一部であるから、貴方は仏様と一体なんですよ、と言われたって、何にもならない。
現実として、生きているワタシがいるではないか?!

ここに哲学としての壮大な仏と、現実にある仏が合体するのだと思う。
仏教は、広まる中で、それぞれの土地に元々あった神のような存在を取り込んで行く。
それらを大日如来の顕れであるとするようにあ考えた。

DSC04434.JPG
我々は、本来は仏であって、誰もが仏になる種を持ってはいるが、無明・煩悩の霧に覆われて見えない。
その霧をどければ仏の種が見えてくる。

本来仏であるという仏の種が隠れているから密教、という。
秘密仏教の略ではない。

霧を晴らすには、真言行者となって三密の行をする。
即ち、手に印を結び(身密)、口に真言を唱え(口密)、心を仏の三昧に住す(意密)。
この行を繰り返すことで、自身が仏となって、その加持力を発揮し、それを衆生に振り向ける・・・んだと思う。

これは、現世利益のため、仏の力を以て加持する、というもので、もともと真言に「死後の成仏」という概念は無い。

また、ここには真言行者としての修行としての「三密行」があるのであって、凡夫がそのまま仏になるというものでは無いと思うが、この辺が曖昧になっている感じがする。

DSC04488.JPG
平安末期、世は「末法」ということに怯える。
1052年から末法と思われた。

空也上人の出家は922年頃で、20歳くらい。
口称念仏の祖、民間における浄土教の先駆者と評価される。
若い頃から在俗の修行者として諸国を廻り「南無阿弥陀仏」の名号を唱えながら道路・橋・寺院などを造るなど社会事業を行っていたという。
念仏による勧進をしていたようで、そこに弔いの概念があったかは分からない。
門弟は、高野聖など中世以降に広まった民間浄土教行者「念仏聖」の先駆となり、鎌倉時代の一遍に多大な影響を与えたことは分かる。
浄土教に基づいていたのだから「往生」ということはあったのだろうが、どういうものかは分からない。
都では死の穢れは排除すべきものだったが、民間で死・弔いをどう捉えていたかが分からない。
空也上人が六波羅蜜寺を建てるのは951年。50歳くらい。

源信さんが『往生要集』を著すのが985年。
これで「地獄」が事細かに描写され、皆が恐れおののいたものと思える。

二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)という念仏結社が、すかさずできる。
986年(寛和2年)に比叡山内横川にあった首楞厳院で、25人の僧が結集して結成された。
この結社の性格は、極楽往生を希求する念仏結社であり、月の15日ごとに僧衆25名が集結して念仏を誦し、極楽往生を願った。
彼等の「発願文」に、善友の契りを結び、臨終の際には相互に扶助して念仏することを記していた。
これが、臨終から葬儀という儀式の始まりだとワタシは思っている。
それまでは、死のケガレを忌むあまり、遺体は捨て置かれたのを、それではあまりに不憫である、ということで弔いのようなことをするようになったのだ。

興教大師・覚鑁上人が出家されるのは1110年、16歳くらい。
興教大師がいつ『五輪九字明秘密釈』を著されたのか分からないが、1130年前後か?
1143年、没。
覚鑁上人が『五輪九字明秘密釈』において、真言に浄土教の概念を取り込んだ。
だから、真言が浄土教を取り入れるのは、法然上人より早いのだ。
それだけ、念仏の信仰が広まっていたのだろう。

法然上人誕生が1133年だから、10年ほどが被っている。
法然上人は覚鑁上人の「後」なのだ。
法然上人が念仏を始めた訳ではない。
それまで雑然としていた念仏を整理整頓したという感じだろうか?

『五輪九字明秘密釈』では・・・
先に書いた、この世界が即ち大日如来であり、我々ここに立ち、西を向けば、そこが阿弥陀様の極楽だ、ということ。
曼陀羅の中心に大日如来がおわすが、曼陀羅全部が大日如来であり、阿弥陀様は、顕れ。
その功徳の役割分担のようなもの。
大日如来と同体と言って良いし、極楽も密厳国土の中にあり、同体とみる。
・・・ということで良いんだと思う。

DSC04428.JPG
覚鑁上人は、人の機根・素質のようなものによって「現身往生」と「順次往生」とを説いている。
これで、浄土化するのか。

「現身往生」を「即身成仏」としているようだ。
そして、優れた機根の持ち主は「三密行」で即身成仏が可能だが、そうでない者でも、深い信心を以て行をすれば「順次往生」するという。
つまり、一生に於いて成仏せず、二生三生を経て成仏する、ということで、一生において成仏しない者と、する者があるということになってる。
これはイカンだろ。
覚鑁上人の機根説だと、現身往生にも4段階あるとか、まるで九品の蓮台と同じような段階を作ってしまっている。
ソコ、浄土の影響受けなくてもいいでしょ・・・的な・・・

古儀系でも、若干違うが、この機根説はあると『密教辞典』には書いてある。

これはイカンな・・・現在の雰囲気に合わん〜!


・・・続く・・・

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント