【神社仏閣】宇都宮・興禅寺(その1)

P1013082.JPG
(以下、Wiki先生)

興禅寺(こうぜんじ)は、栃木県宇都宮市今泉三丁目にある臨済宗妙心寺派の寺院である。
山号は神護山。本尊は釈迦如来。
勧請開山は高峰顕日(仏国国師)、開山は真空妙応禅師、開基(創立者)は宇都宮貞綱。
寺域は河北禅林と呼ばれる。


P1013356.JPG
興禅寺は、宇都宮氏8代目当主である宇都宮貞綱が、かつて黒羽雲巌寺で第五世住職をしていた真空妙応禅師のために、1314年(正和3年)、地蔵堂があったこの地に寺院を建立して興禅寺としたのが始まりとされる。
真空はその後、宇都宮貞綱の弟・宇都宮泰宗の子である宇都宮貞泰に招かれ、伊予国大洲に冨士山如法寺および横松山西禅寺を開山したとされる。
室町時代には宇都宮氏の興隆とともに隆盛を誇ったが、1549年(天文18年)、喜連川五月女坂の戦いにおいて第20代当主宇都宮尚綱が敗死すると、これに乗じた壬生勢が宇都宮城下に乱入して占拠、この折の戦火で焼失してしまう。第21代当主宇都宮広綱によって復興するものの、第22代当主宇都宮国綱が豊臣秀吉によって領地を剥奪されたのに伴い、当寺も一時廃寺となった。


P1013337.JPG
江戸時代に入って奥平家昌が宇都宮城主となるとその勧請を受けて復興され、家昌・忠昌の奥平家父子2代が菩提寺としている。
なお、江戸時代の仇討ちの一つで知られる浄瑠璃坂の仇討は、忠昌の子である昌能の在藩中における当寺での刃傷事件(宇都宮興禅寺刃傷事件)が発端となっている。
その後は、明治維新時の戊申戦争の戦火や太平洋戦争において多くの堂宇を焼失、戦後再建し現在に至っている。


P1013325.JPG
宇都宮でも、昔から大きな寺だったよう。
今でも、境内以外に土地があるとか。
境内も広い。
空襲で焼けたと聞くが、大きな木もあり、住宅地の中にあって、善い雰囲気を醸している。

P1013319.JPG
今回、仏教会の川施餓鬼の集合場所だったので、ついでに、写真を撮らせていただいた。
光線の具合が良く、G99しか持って行かなかったことを後悔したが、どうしてどうして、ナカナカ良く写っている。
14-140mmのレンズもかなり良く写るレンズだと思う。

P1013318.JPG
とにかく、色んなモノがあるお寺なので、面白い。

P1013314.JPG
光線が良くて、特に影が良い。

P1013294.JPG
アチコチに書かれた文字ひとつとっても、色々と味わい深いものがある。

P1013301.JPG
ここの施餓鬼が終わったばかりだったのだろう、取りに来るのを待つ塔婆が並べられていた。

P1013304.JPG


P1013309.JPG
こういうのが、禅宗寺院っぽい。

P1013307.JPG
2枚上の写真のアングル違い。

P1013261.JPG


P1013283.JPG
グルグル回すと「六波羅蜜」即ち「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若」が変わるのね。

P1013268.JPG
本堂内部。

P1013260.JPG
上の方にある写真の光線が当たってるもの。
同じ物でも、光線や撮り方で変わる、という見本。

P1013282.JPG


P1013251.JPG


P1013246.JPG


P1013244.JPG


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのコメント