あと2~3年で死ぬなんて、考えられない


・・・でも、考えなきゃイカン!
命には限りがある、ということを。

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61歳の先輩ボーサンの遷化、でした。
昭和30年生まれとな。ちょっとしか違わない。

あと2~3年で死ぬなんて、とても考えられない。

帰りの車の中で、以前、脳梗塞で倒れられたことがあった・・・と先輩より聞いて・・・思い出した。
それで、住職を代わったのか・・・。先代が遷化され、住職となって数年だった。

今回も、倒れて入院して、一ヶ月だったとか。
思い残すことも、言いたいことも山ほどあったろうに・・・と想像する。
どんな思いだったろうか?

去年、近いお寺の後輩が亡くなった。
脳腫瘍を手術し、思うに任せない生活と、いつまた倒れるやもしれない、という不安の中で、何を思っていたのだろうか?

その前も、一回り下の後輩が亡くなった。
何年も寝たきりで、話すこともできず、なにもできない毎日の中で、何を思っていきていたのだろうか?

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そんな経験を何度もしながら、自分は、まだ、テキトーに生きている。

やるべき事を山積みにして、今日やるべきことを先延ばしして、時間を無駄にしている。

以前、リアルに、自分が死んでしまった、という夢を見た。
そこで、酷く後悔していた。
それは、ワタシに「ちゃんとやるべき事をせよ」という「しらせ」だと思った。

そんなことも忘れて、ただただ、いい加減に生きている。

色んなことを「先延ばし」にしながら、話を聞いておくべき人もいたのに、何人も先立たれている。
あの人には、色々聞いておくべきだった・・・という後悔。

愚かにも、そういうことを、漠然と繰り返している。

どうにもイカン。このバカは、いつまでもバカだ。

何度もなんども葬儀をして、故人を見送っている。
その都度、「限りある命」を意識しているはずなのに・・・愚かだ。

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本日の葬儀の先輩も、倒れて、住職を譲って、療養に専念していたのだろう。
おそらく、ままならない健康と向き合っておられたのだろう。

「後」を任せる住職(=息子)を見ながら、気持ちを託していたのだろう。

幸いにして、ウチも、息子が頑張ってくれている。
これは有り難い。

息子を見ながら、己の衰えを自覚している。
・・・自覚させられている。

伝えるべきは伝えて、あとは、息子の自覚に任せるのみ。

そうなれば、もう、ワタシの役目は終わったようなものだ。

そこまでは、健康にありたい。

キチンと生きる力が欲しい。

ただただ、健康が欲しい。

ただただ、願う、のみ、である。






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