宇宙戦艦ヤマト2202~愛の戦士たち~終わる・・・!

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中学の時の同級生のお母さんが亡くなられたという知らせを受け、葬儀の打ち合わせをした2月18日の晩、ワタシは、東京にいた。

宇宙戦艦ヤマト2202~愛の戦士たち~
最速先行シークレット上映会、というのを見るためだった。

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3年近くかかった? 「2199」から考えれば、もっともっと長い旅路が、遂に終局を迎えた。

「2199」が終わった時に、「続き、あるよね?」・・・「きっとあるよね」・・・が、「やっぱり、あったですか」になって・・・

始まったときから、どういうラストになるのかが、気になっていた。
気になりつつ、見ていた。

今のスタッフが、あの「さらば宇宙戦艦ヤマトー愛の戦士たち-」を、どう作るのか?
「2199」は、とても良く出来ていた。
元の作品のおかしなところを上手くまとめて、キチンとしたリメイクになっていた。

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「2202」は、最近のガンダムを構成している人が全体を構成しているらしい。
もともとの「愛の戦士たち」は、とにかく、例のプロデューサーの「愛だ」という思い込みで、強引に作ったようなもの。
バタバタ死んで行くラスト、最後の特攻だって、強引な展開だった。
おかしな所は多々あるが、それも「2199」同様に潰していったが、そのSF的設定も、強引な感じがする。
知らないウチに、SFの「ウソの付き方」も、随分と多様化して、複雑になってしまったようだ。
正直、ついて行けない。

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「愛だ!」という、半ば強引なワードで、ただ突っ走った前作の、まず「愛」ということの定義から始まった。

現代に蘇らせるのに、その「愛」の定義も曖昧なままでは済まされない。
その「愛の定義」は、実はまだ、ワタシには理解できていない。
「強大な敵」も、「テレサ」という存在も、前作はただ「いきおい」で作ったような所がある。

「2199」が、設定やストーリーの不具合を潰していったように、今作も丁寧に作り込んでいる。
いささか、作り込み過ぎの感もある。

その細かいところはさておき・・・・

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最速先行シークレット上映会に続いて、今日、「初日」に行ってきた。
そこそこ人が入っていた。

実は、冒頭に書いた友人が訪れ、午前中しばらくぶりにゆっくり話せた。

彼とは、中学2年からのお付き合い。
高校は違ったけれど、家にはよくお邪魔した。
学生となってからは、彼の下宿・アパートにお邪魔して、よく、アニメのことなど語ったものだった。
当時は、アニメブームのはしり。
彼は、SFマニアだった。小説をよく読んでいた。

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かつてお世話になった、と一言では言い切れないくらいお世話になったお母さんの訃報を受け、打ち合わせをして「ヤマト」を見る。
感慨深いものがあった。

そして、今日、であります。

気持ちは大学生だった頃に戻り、そんな私らが、夢を見失いかけている昨今・・・
泣かせる台詞があった。

・・・泣いた。

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40年近く前の作品を、時間と空間を超えてリメイクしている。
ヤマトが時間を超えるように、私らも、一緒に時間を旅する。

そこには、過ぎてしまった時間がある。
どうあがいても戻らない時間がある。
忘れてしまった夢も、捨ててきた夢も、置いてきた現実もある。
老いてきた自分も、ここに在る。

おそらく、ワタシと同じか、ちょっと下の年齢の制作者が、今、「ヤマト」を作るという作業の、結論が「コレ」だったのか・・・と思う。

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人の出会いも、今、こうして作られたヤマトを観ることも・・・縁。

友人との出会いも、お世話になったお母さんとの別れも、ヤマトと友人との再会も・・・

全ては「縁」。
人は、縁によって生きている。

それは偶然にも思えるが、気づけば必然であった、とも思える。
奇跡のような偶然もあるし、気づかぬような縁もある。

全ては縁。
その繋がりは・・・「愛」。

人は愛によって生き、それは、縁で繋がっている。

愛は縁であり、縁は愛である・・・

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出会いと縁は、偶然であり、必然でもある。

全ては「生きている」ということの証し。

「愛」は、人が生きているということの証明。

愛は・・・・

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