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zoom RSS 撮影禁止の新たな概念・・・(その2)

<<   作成日時 : 2014/12/03 00:00   >>

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実は、このタイトルで書き進めようとしたのは、いわゆるスマホによる写真の、底辺への広がりがもたらす新しい撮影禁止の概念・・・ということになるはずでした。

コンパクトデジカメが出て、写真のハードルが一気に低くなりました。
誰でも、簡単に、ある程度のキレイな写真を撮ることができる、という、その「ある程度」のレベルが上がり「撮る」ということに対するハードルが下がりました。

そのデジカメが、アレよと思う間にケータイになり、誰もが「ケータイの一機能としてのカメラ」を、いつでも持っている物、という風に変わりました。
今や、それがスマホとなって、ちょっと前のデジカメと同等の写真が撮れるようになりました。

写真を撮る技術が要らなくなって・・・「写真を撮る理由」も大きく変わったのです。

写真は「特別な日に限って身構えて撮る」という物ではないよ、という風に変わりました。

それは「写真」というモノですらなくなり「写メ」というものになってしまった、という感じですね。

女性、特に、若い女性など「カワイイから」で、カメラ(ケータイ)を向けて写真を撮って・・・
ちょっと気になるモノは何でも撮っておく、という風に使い、食べる物でも何でもかんでもカメラに納めて・・・いや、スマホに納めて・・・

その写真をいつも持ち歩く・・・という「見方」まで変わってしまったのです。

写真の大きな変化です。エボリューション!なのであります。

・・・それが、正常進化かどうかは別として・・・

そういう・・・

「誰もが、気軽に、いつでもどこでも写真を撮る」という行為が・・・
「信仰としての撮影禁止」・・・即ち「尊い存在を安易に撮るな」・・・という意味での撮影禁止、という概念が必要になるのかも知れない。

それは、前にも書いたように「写真を撮ると魂が抜かれる」というレベルの意識の影響か、もともとあった概念でもあり、撮影禁止の理由のひとつであったと思いますが。

見て、感じて貰えればいいのですが、それをお手軽写真に撮っても、宗教的感動は無いと思う、というような思い、ですね。

それは「安っぽい、いい加減な写真」になんか撮るんじゃないよ・・・という意味もあったりするかも知れません。
ちょっと気になる物を何でもカンでも取り敢えず撮っておくという感覚でスマホを向けないで欲しい、と、私なんかも思います。

そういうものに、みんながみんな揃ってカメラを向ける、という光景も、かなり異常な光景に違いない、と思えます。

幼稚園の運動会や発表会などで、親たちの殆どがカメラやビデオで撮ることに夢中になってしまって、ファインダーやモニター越しにしか子供たちを見ていない、ということもあります。

それに逆らって、撮影禁止の幼稚園もあると聞きます。
「自分の目で見てあげてください」ということで。

そういう価値観を強制されるのもイヤだな・・・と思いますが・・・
「撮らなきゃならない」という強迫観念というか、義務感というか、使命感というか、そんなものに縛られてしまうのも、どうか・・・と思います。

気軽に撮れるビデオがあって、カメラがあるから撮る。・・・いや、撮らねばならない。
そういう意識がノーミソの中にドッカリと居座ってしまっている感じ。

いつでも持っているスマホはカメラでもあるから、自分で撮って自分で持っていたい。
アイテムが有ることで、それにに振り回される、ということがあるよな〜〜〜


・・・そんなことを考えていたわけですが・・・

現在の京都などにおける寺社の撮影禁止の事態は、そんなモンではなかったということです。

「オレはとにかく良い写真を撮りたいんだモンね」的、傍若無人なカメラマンの激増が、事を重大な問題にしていたのですね。

それに較べれば、スマホ撮りの人たちなんてカワイイもんかも知れません。

ちょっと立ち止まって、チョチョイっと撮ればいいだけですから。

最近の高感度性能が良いデジカメのメリットは、三脚を使わなくても済むケースが断然増えた!ということにあります。
高感度性能の良さは、デジカメの最大のメリットだと思います。

だいたい、三脚を使って撮らねばならないような作品的写真は、普通に観光に行って、チョイっと簡単に撮れるモノではありますまい。

写真を撮る者としては、そりゃあ、与えられた条件の中で、ベストを尽くす、ということは、まあ、写真に限らずいえることですが・・・

京都などの極めて有名な観光地の、例えば紅葉などを撮るにしても、最良の紅葉の塩梅、最良の天気、最良の光線(時間)など・・・ちょいと行って叶う訳がありません。
そこに人がワンサカいるのですから、作品など撮れる訳が無い、と思った方がよろしいのではないでしょうか。
・・・私はそう思うのです。
なので、自分の記憶の助けに、思い出に、撮ることはあっても、多くは「この条件はベストではないな」と思ったら、真剣に撮ることはいたしません。

写真集や、絵はがきを買います。

最近は、仏像の絵はがきを買うことが多くなりました。
絵はがき集や写真集もよく買います。

そこに、自分には撮ることができない「ベスト」があると思うからです。

「それでイイのだ」と思っています。

写真集を認める価値観は必要だと思います。
キチンと撮られたベストな作品は、価値があると思うと同時に、自分では撮れない写真を認め、購入する、ということ。

そういう考えを持ってもイイと、いや、その必要があるのではないか?・・・と思うわけです。

来ていただいて、見ていただいて「いいな〜♡」と思っていただきたい、というのが、寺社の基本姿勢なんだと思うのです。
それが「撮影禁止」という強硬手段に出ざるを得なかった・・・ということは余程の決意だと思う訳です。

見ていただくことは構わないというか、見ていただくために作られた庭だったりする訳ですから、それはWelcome。

しかし、写真を撮りたい、という目的だけに囚われるカメラマンは、その庭の存在意義からしても「良い気持になって欲しい」と思って作られたであろう、その庭の本義ではないものでしょう。

ましてや、庭を傷つけて平気、というのでは、排除されても仕方がありません。

Twitterの書き込みにあるように、案外、年配のベテランに多かったりするのかも知れません。

フィルムの時代から写真をしていて・・・

「オレは、昔っから写真をやっててね、ベテラン。そんじょそこいらのデジタル世代なんかとは違うんだもんね。アンタラとは違う写真を撮るんだよ、オレは」

・・・なぁ〜んてなヤツね・・・。

・・・あれ?・・・もしかして、オレ? (^^)/














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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
撮る側のマナーの問題が昔から存在してますからね、、、
えげつない方がいますから、まあ禁止したほうが簡単に解決して楽だということでしょうか、。

何時も三日ボーズさんの写真に対する姿勢思考に感心感動しております、勉強させてもらっています、ありがとうございます。。。
007
2014/12/04 05:52
実際問題として、撮影禁止は厳しいですよね。三脚禁止ならまだしも・・・
お寺の撮影なら、どうしても必要な場合だけ、許可を取りますが、例えば、総本山智積院の法要などは、メンドクサイので無許可ですが(いちおう撮影禁止ではない)音が小さいカメラは必要だと思っています。
ボーズ頭で、輪袈裟をかけていれば、一般の人には関係者だと思っていただけるだろう、という配慮はしているつもりです。
三日ボーズ
2014/12/04 13:41

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