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zoom RSS 仏様と写真と撮影禁止と・・・

<<   作成日時 : 2015/12/17 00:06   >>

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さて・・・しつこく、また考えます。

例えば、スマホで仏様を写した時、その画面の中にいらっしゃる仏様を、我々はどう考えればよいのでしょうか?

こういうことは、あまり考えた人はいないのでしょうが・・・よくよく考えてみれば、これを定義できておりません。

これが、定義できていなければ、信心からの撮影禁止を説明することはできません。


仏様を撮るという行為そのものを否定するならば、露天の仏様を撮ることをも否定されなければならないはずです。
鎌倉の大仏様も、大谷の観音様も、牛久大仏も、撮影はまかりならん、ということになるはずです。

純粋に「仏様の写真を撮る」ということの善し悪しを考えるならば、撮ってよい仏様と、撮ってはイケナイ仏様がある、ということはおかしなことでしょう。

許可を受ければ良い、許可を受けなければダメ、ということも、上記の視点で考えれば、おかしなことです。
「許可」とは何なのでしょうか?

「信心からいけないことだ」と思う、ということから考えれば、許可云々はあくまで人の問題。
単なる事務的な手続きに過ぎません。
この点を真剣に考えている人もいないのでしょうね〜?

このことは、許可している人間にも考えている人は少ない、というか、おそらく、いないと思います。


最近、テレビを見ている時に、思うのですが、テレビで「特別に許可をもらって写した」仏様を、私らはどう見たらいいのか?・・・こんなことを考えた方はいらっしゃいませんか?

例えば秘仏を撮影し、テレビで放映してしまう・・・ということをどう考えましょうか?
そのテレビ画面に映った仏様とは、信心という観点から見て、どういう存在なのでしょうか?

テレビという物を通して見た仏様は、信心の対象とはなりにくい、のではないかと思います。

博物館で見る仏様もそうです。
私らは、つい手を合わせてしまいますが、博物館では手を合わせる人はほとんどおりません。

それは「鑑賞する物」となっているからだと思います。
信心という観点から見ても、おそらく、運び出す時に、俗に言う「魂を抜く」作法をしている筈です。
ですから、博物館にある仏像は「仏様」というより「仏像」と言った方がいいような、鑑賞する物になっているのです。

これは、例えば、国立劇場などで開催されている「声明公演」とも似たものがあると思います。
あそこでも、ボーサンが出てきても「合掌して迎える」人はおりませんし、終わると「拍手で送られる」という存在になっています。
「お声明を鑑賞したしますのよ」というお客さんばかりで、そこに信心はありません。

そこにあるのは、肝心の信心が抜けた、鑑賞される素材としての仏教、でしかありません。

テレビに映る仏様を信心で見られる人も、そりゃぁいらっしゃるでしょうが、やはり、テレビという機械を通って映し出される画像としての仏様を見ても、それは「ありがたいもの、尊きもの」として見ることは、なかなかできません。

ですから、そんな仏様を不意にテレビで見せられても、どう捉えて良いかと、悩むのでありますよ。

実は、この点を考えた人はいないのでしょうね。
写す方も、許可する方も。

たとえば、許可する理由として、どういったことがあげられるでしょうか?
そこに「宣伝になる」ということもあるのではないでしょうか?
いや、その要素が大きいと思います。
それも、仏様やお寺と縁を結んでいただければありがたい、という「方便」と捉えることもできますが、そういうことをテレビを通してやることは、いかがなものか・・・というものだと思います。

前にも書きましたが、今日も、テレビで高野山が写っていたのですが・・・
奥の院の手前で、ボーサンが「これから(橋)先は絶対的な聖域なので、カメラはここまで」と言っていました。

この「聖域だから」「カメラはダメ」ということの結びつきがよくワカリマセン。
どうして「聖域だから」「写真を撮ることがダメ」なのか?・・・この合理的な説明は、多分言ってるボーサンもできないでしょう。
「聖域」と「写真」がなんで対立するものなのか?・・・よくよく考えても、ワカリマセン。

それは「ダメだから、ダメなんだ」ということに尽きると思います。
それは「信心」による、という、繰り返し言っていることです。

高野山がオカシイのは、橋を渡ってから写真を撮ることがイケナイことである、ということが、実はまったくオカシナことを言っている、ということに気付いていないことです。

「聖域を撮ってはいけない」というのであれば、橋のこっち側から奥の院方面を撮ることを、やめさせるべきではないでしょうか?
コッチ側から聖域とされる「そのもの」を撮ることはOKということの合理的な理由が、逆にワカリマセンでしょ?

あるいは、聖域に入ったら、写真を撮るような気持ちは持たず、お参りに専心すべし、ということもあるでしょうが、それは、あの「絶対にダメ」という言葉からは感じられません。

これは、スマホ以前から、昔からそういわれていることですから、前に書いた「お気楽にスマホなんかで撮るな」という意味では無く、どっちかというと「写真を撮ると魂が抜かれる」という、明治時代の感覚ですね。

また・・・

私は、最近、写真は撮れない「仏像」のポストカードを買うのですが、その仏像は、気持ち(信心)の中で、どう扱ったらいいのか?・・・ということも考えます。

おそらく、その場でなくて、仏像だけを撮っている写真は、それを撮るときには「魂抜き」をしているので、観賞用の「仏像」になっているはずですが、その場にある仏様を撮ったものは、おそらく「魂抜き」はしていないでしょう。
その「写真」をどう考えたらいいのか?・・・と思った人は・・・いない・・・でしょうね〜。

その写真を、私らは「開眼」することが出来ちゃったりするわけですが、それも、どう扱ったら良いものでしょうか?

雑誌に載せられた仏像なのか、仏様なのか?・・・・そういったものも、さて、信心からは、どう扱ったら良いモンでしょうか???

こんなヤヤコシイことを考えている人は・・・やっぱ、おらんでしょうな〜〜(^^)


ちなみに、私が本山の金堂とかで撮っているのは「法会」であって、あくまでも、ご本尊様の前に帰依する人を撮っているのであり、例えご本山様が写っていても、それは、主体ではなく、あくまで、帰依し集う人を撮っているのであります。

それは一貫しておるわけです。

写真家の撮る写真と、本山の委託カメラマンや、シロウトに毛も生えていないような本山職員が撮る写真との違いもワカランヤツにはワカランレベルの高ぁ〜〜〜い話ですが、ね。(^^)/





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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
撮影禁止ッて、、、
写真が良く分からない人がやる行為なんですね、、、

昔婚礼写真をF100で撮影中、、、
神殿にレンズを向けたら、アルバイトの神主さんが烈火のごとく怒りました、、、
「こらっ!神様の写真を撮るな!!」と、、、
思い出しました、。
007
2015/12/17 09:43
それで、思い出しました。
小僧の高校の野球部が神社に必勝祈願に行った時、写真を撮っていいか?と聞いたら・・
「私たちを撮らなければいい」と言っていました。
要するに、神域を撮るな、ということでしょう。
神様とは姿の無いものなので、よけいに、そういう意識があるのでしょう。
それは否定できませんね。信心なので。
三日ボーズ
2015/12/17 10:02
難しい話は正直よく分からないですが、、、

仏像だけでなく、御朱印の写真を撮ってTwitterやブログにアップしている人も多いですよが、ネットを見ていると、「御朱印の写真は撮るものじゃない!」と言う考えのお坊さんとかも居るみたいです。そういう人はきっと、仏像の写真を撮ることにも否定的なのかなあ。。。

御朱印はどう捉えればいいのか? これもわたしにはよく分からないのですよねえ。。。単なる参拝記念のスタンプとは思っていませんが(笑)、どこまで厳しく考えるべきなのか? と思うと、結構複雑になりそうです。ご本尊さまの分身だ、という人もいます。

しかし「撮るべきじゃない」とか「ネット上にアップするべきではない」とか言われると、「なんで? 別にいいじゃん。。。」と思ってしまいます(^^;)
フラン
2015/12/17 13:00
御朱印に書かれた梵字や仏様の名前は「ご本尊と同じ」という方もいますが、では、それを僧侶以外が書いていいのか? 僧侶以外が書いてもそう言えるのか?
・・・という問題があったりします。
まあ、書いて貰ったひとはそう思っていだいてもいいですが、我々の側からすると、ちゃんと考えると、ややこしくなるので〜す(^^)
護摩札の梵字はご本尊と同じ、と言います。
それは、火にかざして加持しているからですが、加持も開眼も供養もしていない御朱印は、さて、どういうものなのか?
・・・これも、真剣に考えている人はいないのでしょうか、ね?

でも、私が書いた御朱印がネットにアップされるのは、イヤだなぁ・・・
・・・ヘタだから(^o^)
三日ボーズ
2015/12/17 20:22

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