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zoom RSS 興福寺「涅槃会」へ・・・

<<   作成日時 : 2017/02/16 19:25   >>

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2月15日涅槃会は、大雪の高野山に行きたかったのですが、取材としては終了、という感じでありました。
今年は南都に向かい、かねてより聴聞したかった法会に赴きましたです。

興福寺の涅槃会は、「楽」が入るということで、聴きたかったもののひとつ。ずっと気になっていました。
「舎利和讃」も、気になってました。どんなものか・・・と。

法要の開始を待っていると、来る予定では無かった、法会の女人Caster6さんが、隣に坐ってきました。
思わぬデート♡が嬉しい、ワタシでした。
この法会の情報も、この方よりいただいておりまして、予備知識は、まあまあ、ございました。

以下、興福寺HPより・・・

興福寺で言えば、涅槃経の講讃を主とする法要を天平勝宝年間(750)頃から行なっておりました。貞観2年(860)尾張出身の寿広により舞楽四箇法要の大法会の式にあらためられ、常楽会(涅槃会)と言えば興福寺のことを指すようになりました。現在でも規模ははるかに縮小されましたが、その名残が法要に残っています。毎年2月15日、10時より本坊の北客殿で行なわれます。誰でも参拝でき、甘酒の接待もしております。

・・・ということ。甘酒、美味しゅうございました。
「おろし生姜」を入れるのが「!」でございました。
関西では、それが当たり前とか。軽いカルチャーショック、というものがございます。

興福寺では、現在、金堂の再建ちう。
この涅槃会も、本坊の中という小さなスペースで行なわれています。

金堂完成のアカツキには、是非とも、「シン・コンドウ」にて「大法会」、よろしくお願い申し上げます。
m(_ _)m

釈迦涅槃像は各地にあり、お釈迦様の涅槃ということが、仏教の重要なポイントになっています。
佛歴がお釈迦様入涅槃の年から始まるわけで、仏教は涅槃から始まったと言えましょう。

秋篠音楽堂にて2005年に行われたイベントの解説には・・・

我が国において、涅槃会と称する法会がいつごろから行なわれたのかは明らかではありませんが、興福寺においては、「弘仁記伝。涅槃像一躯、臥し奉る涅槃会・・・」と『興福寺流記』の東金堂記事散見され、弘仁期(810〜823)にはすでに涅槃因んだ法会が営まれていたものと思われます。
貞観2年(860)に、興福寺修円の弟子であった寿広が、それまでの涅槃会式を盛大な管弦法要に改めた常楽会を始行し・・・


・・・とあり、その歴史の深さと、往事の姿に思いを馳せたくなります。

ここで読まれる「舎利三段講式」は貞慶さんのものでしょうか?
舎利和讃は明恵上人のもので、しょうか?


さて、「舞楽四箇法要の大法会」の名残りの「楽」が入ります。
この雅楽の皆様が、とっても大ベテラン、の雰囲気。
「南都楽所(なんとがくそ。南都がクソ、ぢゃないよ)」の皆様でした。

その楽の流れる中、導師・式衆入道場。

総礼(そうらい)、導師登礼盤(どうしとらいはん・とらいはん)、式衆着座の後、唄(ばい、散華(さんげ)。
散華に、「楽」が重なります。

これが、我が方としては、見たいケンゾー・・・いや、未体験ゾーン。

おそらく、平安の貴族の世界に通じれば、これは、あり得ること。
雅な宮中音楽である雅楽と、声明を合わせる、ということは、当然の成り行きとも思えます。
声明の楽理も雅楽のものですから、合うはずなのです。
ただ、呼吸が難しいんだと思いますね〜。

ここで唱えられた「舎利和讃」は、我が方で唱えているものと歌詞はまったく同じ。
明恵上人のものですな。

ただ、その最後に偈誦の・・・

「如来證涅槃 永断於生死 若有至心聴 常得無量楽」は、我が方の「舎利和讃」の最後に着いている文言。

次の「倶尸那城・・・」の4行の偈は、涅槃講式の冒頭「総礼」で用いられる部分。
次の「佛此夜滅度・・・の4行は・・・どこにある?

「舎利和讃」の節が、問題。
微妙に似ています。

・・・が、さて、これを「元」と言えますかどうか?

単純なメロディ故、変化しやすい、というめんもあるのではないか?と思います。
このメロディがあって、それが、我が方に伝わって、音楽的にきっちりして、おそらく都節の影響もあって、今のものになり、それが豊山にも伝わった。
高野山には、四座講式と共に、伝わり、高野山独自の変化が加わった、と言えましょう。
高野山と我が方が同じものを、「元」としている、ということは分かるのですが、それが、この南都の舎利和讃とは思えません。

そうか・・・

涅槃会自体は、弘仁期には始まっていたとしても、それは、当然ながら「講式」を用いたものでなく、それは、解脱上人まで待たなければなりません。
そして、解脱上人とほぼ同じ時代で交流もあった、明恵上人が、解脱上人にインスパイアされて作られたのが、四座講式。

その「講式」が法会に用いられ、明恵上人の「舎利和讃」が導入されたのでしょうから、同じものが元になっていて、それが、同じ時期に広まって、各々の場所で、変化した、と考えられますね〜。
南都が古い、と思ってはイカンですな。

しかし、この法会では、この「舎利和讃」にも「楽」が合わせられます。
少なくても、鎌倉期以降、ということになりますが、これは「我が方」には無いものです。

実に味わいがある。
これを合わせるというのも難しいと思いますね〜。

おそらくは、舎利和讃ができてから、それが伝わって、興福寺ではそれに楽を付けた、というものだと思います。

あ、そうそう・・・「般若心経」が案外、カルチャーショックだったりして・・・

・・・ウンコーカイクウドー イッサイクーヤーシャーリーシー シーフーイークー クーフーイーシー シーソーゼークー クーソーゼーシー ジューソーギョーシー トーヤー フーニョーゼー シャーリーシー・・・ですから。

なんで??

わからないことは多い、法会でありました。

とにもかくにも、やっとの事で、気になっていた法会を初めて聴聞して、得るモノは大きかったですね〜。

この後、法会の女人・Caster6さんの案内で、スムーズに法隆寺へ移動。
アリガト、です。m(_ _)m


(写真は、法要終了後、涅槃図の近くに行って見てください、と言われ、集まる聴衆。他に、興福寺の写真を全く撮ってなかったワタシ・・・なのでした〜ナンテコッタ、パンナコッタ・・・)



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