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zoom RSS ムラサキ・ソウジョウ、ゲットだぜぇ〜〜

<<   作成日時 : 2017/07/22 00:00   >>

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我が宗では、「僧正」から「紫」のコロモになる。
先日、その辞令が来た。

・・・と言っても、「アンタは僧正に相応しいから今日から僧正だよ〜〜ん」とか言って本山の方からくれるわけではない。
それなりの行位を積み、お金を払って、はじめて「いただける」もの。

ただただ、「本山にお金を払う」ということがひたすら無駄に思えるし、位なんてど〜だってイイじゃん・・・というのが基本的な自分の考えであります。

ボーズとしての自分の評価は、檀家さんがしてくれるもの。
それを何も知らない本山から下される、というか、その前にこちらから「願い出る」ということに、心底違和感を感じる。

前にも書いたけれど、親だから子より偉い、ということではなくて、偉いと思われるような親にならなければいけない、という思いがある。
ボーズとしても同様。

ある知り合いのボーサンが「先輩に言われたよ。坊主は衣の色だぞ、って」と言っていた。
ワタシは個人的に、そうは思わない。
その先輩が仰るのは、ボーズの世界での出世、ということなのだろうが、そんなことはどうでも良い。
というか、出世などするわけがない。
「この世界」ではどうでも良い。
やはり、檀家さんの評価がすべてだと思う。


我が宗では、紫の位になるには、伝法潅頂(でんぼうかんじょう)と伝法大会(でんぼうだいえ)という2つを受けなければならない。
合わせて「両大会(りょうだいえ)」という。

伝法潅頂というのは、弘法大師が唐の恵果阿闍梨から密教を授かる儀式をうけられた。
その恵果阿闍梨(=師)→→弘法大師(=弟子)という、密教相承の儀式を、ワタシが「師」となり、「受者」に授けることで、自分も阿闍梨となる、という儀式。
これは感動的だった。

もうひとつの伝法大会は、「論義」であります。
教義についての論義をする。
これは、おそらく、鎌倉期には形式化した形跡もあるけれど、江戸初期には、徳川の命により、今一度、ある程度はキチンとやられたのではないか?とも思える。
・・・しかし、すぐに、形式化してしまったとも思える。

この2つが「僧正」になるためのプロセスになっている。
近年の若い衆は、プラス「単位」が必要、という愚策を本山は持ち上げた。
これを決めた本山のアンタらは、それだけ相応しい知識をもってるんかい?・・・と言いたいところだ。
まったく、ふざけている。
私らは、法臈20年(ボーズになって20年)で、それが、単位に充当され、新たに単位は要らない。
これも変な話だ。
それも馬鹿にすんな、ということで、200単位近くを取った。

今回、仕方なく「位」を上げたのは、いい加減、周囲に迷惑をかけるから、ということもある。

施餓鬼の法要は、年功序列で、位は関係無く並ぼう、ということになっていて、共通のコロモを作っている。
しかし、お祝いの法要など(落慶法要など)は、色衣(しきえ=相当の色)を着るのが習い。
そうなると、年齢と衣の色と配役で、ワタシの居場所が難しくなる、というのを3回くらい経験しているので・・・
それはイカンぞ、ということであります。
そんなことで迷惑かけてはいかんでしょ〜ということです。

ワタシが住職となって、父が長老となりました。
たしか、10年くらい前に、この「長老」という制度がウチの宗派にもできた、ということだったんじゃなかろうか?
今でも、「師僧替え」の書類は「師僧が死亡したので・・・」という事になっていて、書式が昔のままだったりする。

父がまだ生きているんだから、その間は自分は父と同じ色のコロモは着ない、というものだとも思っている。

たとえば、本山に成田山や川崎大師などの大本山のトップが集まるとき、それぞれの貫首様は「翡(=赤)」のコロモでも、管長猊下がいらっしゃる場では、一段落として「紫」を着るという習わしになっている。
それと同じ。

今度の施餓鬼では、さて、どうするか?
そこに長老がいても、着るのは改良服という黒衣だから、ワタシが萌黄(=緑)にする必要はないのだろうか。

ワタシが今回、位を上げたのには、もうひとつ理由がある。

今は、息子を見習いとして葬儀に同席、読経させているのだけれど、ふたりして「緑」というのは、やっぱり変か?・・・と思ったからだった。

二人並んだら、やっぱり、違う色のコロモが良いのだろう。
・・・ということであります。

今回「いただいた」位も「権少僧正」で「権」がつきますゆえ・・・
まだ、ホントの僧正では無く・・・
まあ、「少僧正」までは上げないとオカシイ、ということになるでしょう。

・・・でも、位はそこまで・・・ですな。
それ以上は、いい。
それ以上は、お金の無駄。


・・・実は、まだ、紫を着られないでいる。

これも以前書いたけれど、自分には小学校の頃の「大人になりたくない」という気持ちが、未だに影響をしているところがある。

偉くなりたくない、というのもソレ。
「成長する過程にいたい」というようなことなのかな?・・・と、自分の心を分析する。

それが・・・「自分が偉くなるのでは無く、そう評価されるようになるのが、本当だろう」・・・という気持ちになるのかい?・・・と自分に尋ねたい。

今は、息子にとって、チャンとした親、ちゃんとした師僧たる存在になれるか?

・・・そういう緊張感の中にいる。

息子は、着々と、こなしている。たのもしい存在となりつつある。

しっかりせねば。






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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
衣については同感です。この前、宗費査定がありましたが、ちょっと納得いかないことも内々のお話でありました。当方の地区は過疎地です。本山にはやはり毎回?ってのがあります。
大ちゃん
2017/07/23 08:43
・・・「毎回」とは?

どの宗派に聞いても、兼務の寺院が圧倒的に多いようです。
過疎地で頑張ってるお寺に対して、本山への負荷が大きすぎると思います。
ま、偉い人たちは、恵まれた環境にいるかたばかりで、ワカランのでしょう。

それにしても、長老の「礼禄」が住職と同じというのは実は知りませんでした。
長老なんて「ごくろうさま」でタダでイイじゃん、と思いますが。
そういう訳で、ウチでは、今年、宗費×3年分払ってます。
おまけに、ワタシの昇補と息子の補命で、大変な額を納めました。
参ったです。
三日ボーズ
2017/07/23 08:58
長老に「礼録」?本当ですか(^_^;)
私も知りませんでした。おちおち隠居もできないなんて
結局なんでもかんでも(^_^;)お金なんですね
大ちゃん
2017/07/23 10:33
もったいない、と言って長老にならない方もいらっしゃします。
僧正の礼禄も、そこから急激に上がるんですね〜。
過疎地のことなんか考えてないですわ。
ウチの方でも、結構なお歳なのに萌黄の方がいらっしゃいます。
兼務で、普通に勤めていては「行」にも行けませんし、礼禄も高すぎて、払うのがキビシイ、という方々のことを考えなきゃイカンですわね〜、本山。
そういう方々こそが大切だし、逆に優遇されて然るべきだと思います。
そういう思考が無いんですわな〜、本山。
三日ボーズ
2017/07/23 17:06
近くの法類の住職さんが今回長老になられました。
いろいろ大変なご事情があったように聞きます。
やっとのことで跡継ぎをつくられました、
ほんとに過疎地域の寺院は大変なんです。
大ちゃん
2017/07/23 19:59
新長老が、来年で住職になって50年なので、護法功労賞を奪っては可哀相だし・・・ということもありました。
長老の礼禄が宗費一年分というのは、やっぱり、度が過ぎると思いますね。
どういう考えで決めたのか?
本山の、世情・実情からの乖離を思わざるを得ません。
三日ボーズ
2017/07/24 22:26

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