あるお婆ちゃんの死・・・

それは、いつも寺に親しみを持ってくれているお婆ちゃんでした。

自宅から寺までは結構な距離があったのですが、何か野菜ができると・・・
元気な声で「オショさん、これ食べて」と言って自転車で届けてくれました。

小さい身体なので、ひ孫が小学生の時に乗っていた自転車でした。

お婆ちゃんの名前は「マサ」さん・・・

「マサさん、いくつ?(自転車で)良く来るよね」と、いつも女房と話していました。

そのお婆ちゃんが、ボケちゃって、施設に入ったと聞いたのは、いつだったでしょうか・・・?

・・・以来、お婆ちゃんの、元気な「オショさん、これ食べて」の声は聴けなくなってしまいました。

11月の末、娘さんから・・・「母が目を閉じました」という電話をいただきました。

!!!

・・・「嗚呼、逝かれたのか・・・」

大正7年生まれ。96歳。

結婚された時、既に日本は戦時下であり、恋愛結婚の旦那さんを戦地に送るも・・・
ご主人は、間もなくニューギニアで戦死。

極々短い新婚期間から、未亡人ですよ。
大変なことだったでしょう。
そんな話を、亡くなられてから知りました。

その後、女ひとりで農業をし、一粒種の娘さんを育てあげ、一人娘から、孫・ひ孫と増えていって、そんな子供たちに囲まれた幸せな晩年だったのだろうと思います。

病床には、ひ孫がご主人の遺影を写メ撮ってプリントしたものが、置いてあったそうです。

苦労する人生とは、正にこのこと・・・だと思いますが、そんなことなど感じさせない明るいお婆ちゃんでした。

このお婆ちゃんを見ていると・・・

自分より先に生まれた人は、自分より苦労している、という当たり前と言えば当たり前のことを感じます。

単純に生活の表面的なことだけ見ても・・・生活は、ドンドン便利になっています。
特に、私が子供の頃から今までの間というものは、人類が初めて経験する急速な進歩だったのだと思います。
電気が生み出され、電化製品の登場と進化は、正に日進月歩で生活を楽にしてくれています。

社会の仕組みだって、良くなっていると言えるでしょう。

生活面でざっくり見れば、早く生まれた人は遅く生まれた人より苦労している、のです。

この、マサさんの戦中戦後の苦労には計り知れないものがあります。

あの時代を生き、戦後の苦労を耐え抜いた人たちが沢山いたということが、私なども、実感として分かりません。
ましてや、今の子供たちには想像すらできないかも知れません。

マサお婆ちゃんは、沢山の子・孫・ひ孫に囲まれて、亡くなりました。
そして、その多くの涙で見送られたのです。

ホンの僅かの、その人生から見れば、一瞬とも思える愛する人の、たった一人の忘れ形見を育てる苦労が、多くの孫・曾孫となって実を結んだのたと思います。

苦労は、多くの血のつながりの広がりという幸せを生んだのです。

お婆ちゃんの苦労は、今は、その明るさ元気さとなって、確実に、子供たちに伝わっているのだと思います。
みんないい人。良い子たちです。

お婆ちゃんの人柄は、ちゃんと、子供たちに伝わっています。
お婆ちゃんの苦労は、そういう形で実を結んだのです。

葬儀の時に、多くの人が感謝の気持ちで涙を流してくれる・・・有り難いことだと思います。
私も、そうありたいと思いますが、自然にそうなるってことは難しいもの。

生きてる人の心の中という「もうひとつのあの世」では、マサお婆ちゃんは、もう成仏しているのです。

・・・そう思います。

あの世で待ってるご主人は、若い兵隊さん。
96歳のマサお婆ちゃんを分かるかなぁ・・・?

・・・あ、まずいよ・・・兵隊さんで、靖国神社じゃ・・・行くトコ違うじゃん。

孫・ひ孫たちと靖国神社へお参りも毎年のように行っていたとか・・・。

靖国は兵隊さんだけが神様に祀られる所。
マサお婆ちゃん行けないじゃん・・・(>_<)

そういう意味でも、造られた神社、靖国神社はオカシイ存在だよな~

・・・と、意外な結論で終わります。m(_ _)m

お婆ちゃんの冥福を祈ります。・・・合掌。






ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 5

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック