倫敦巴里

アクセスカウンタ

zoom RSS あと2〜3年で死ぬなんて、考えられない

<<   作成日時 : 2017/10/20 00:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 4 / トラックバック 0 / コメント 2


・・・でも、考えなきゃイカン!
命には限りがある、ということを。

画像

61歳の先輩ボーサンの遷化、でした。
昭和30年生まれとな。ちょっとしか違わない。

あと2〜3年で死ぬなんて、とても考えられない。

帰りの車の中で、以前、脳梗塞で倒れられたことがあった・・・と先輩より聞いて・・・思い出した。
それで、住職を代わったのか・・・。先代が遷化され、住職となって数年だった。

今回も、倒れて入院して、一ヶ月だったとか。
思い残すことも、言いたいことも山ほどあったろうに・・・と想像する。
どんな思いだったろうか?

去年、近いお寺の後輩が亡くなった。
脳腫瘍を手術し、思うに任せない生活と、いつまた倒れるやもしれない、という不安の中で、何を思っていたのだろうか?

その前も、一回り下の後輩が亡くなった。
何年も寝たきりで、話すこともできず、なにもできない毎日の中で、何を思っていきていたのだろうか?

画像

そんな経験を何度もしながら、自分は、まだ、テキトーに生きている。

やるべき事を山積みにして、今日やるべきことを先延ばしして、時間を無駄にしている。

以前、リアルに、自分が死んでしまった、という夢を見た。
そこで、酷く後悔していた。
それは、ワタシに「ちゃんとやるべき事をせよ」という「しらせ」だと思った。

そんなことも忘れて、ただただ、いい加減に生きている。

色んなことを「先延ばし」にしながら、話を聞いておくべき人もいたのに、何人も先立たれている。
あの人には、色々聞いておくべきだった・・・という後悔。

愚かにも、そういうことを、漠然と繰り返している。

どうにもイカン。このバカは、いつまでもバカだ。

何度もなんども葬儀をして、故人を見送っている。
その都度、「限りある命」を意識しているはずなのに・・・愚かだ。

画像

本日の葬儀の先輩も、倒れて、住職を譲って、療養に専念していたのだろう。
おそらく、ままならない健康と向き合っておられたのだろう。

「後」を任せる住職(=息子)を見ながら、気持ちを託していたのだろう。

幸いにして、ウチも、息子が頑張ってくれている。
これは有り難い。

息子を見ながら、己の衰えを自覚している。
・・・自覚させられている。

伝えるべきは伝えて、あとは、息子の自覚に任せるのみ。

そうなれば、もう、ワタシの役目は終わったようなものだ。

そこまでは、健康にありたい。

キチンと生きる力が欲しい。

ただただ、健康が欲しい。

ただただ、願う、のみ、である。






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 4
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
以前、お墓の形式を相談をしてお世話になった者です。夜も遅い時間でありながら、ご親切に受けて頂き本当にありがとうございました。
悩みがあった父は2年前に他界いたしましたが、当時、癌で入院していた私は、父の葬儀にも出ることが出来ませんでした。
自分の死を間近の現実として考えることは辛いことですが、とりあえず、「オリンピックを元気で観る」ことを目標にしています。
自分が亡き後のことがいろいろ心配なので、少しずつ整理を始めています。
これで万全と思えることは無いと思いますが、少しずつ出来ることをしていきたいと思います。
方丈さんのおつとめの1つが、後への継承でもありましょうから、御身大事になさってくださいませ。
失礼いたしました。
カラス
2017/10/20 10:12
お父様の死と、ご自身の病気と、大変大きなものと向き合っておられること、他人が想像できるものではなく、まして、ネットなどでは、到底わかり得ないものでしょうが、そういうお話しを聞くと、我が身のいい加減さを見直さねば、という気持ちになります。
件の先輩ボーサンも、自身が倒れて、寺のあれこれを勤めることができないということで、交代をしたものと思います。
交代から2年で逝ってしまわれました。
どんな思いだったか?
これも想像を絶するものでありましょう。
自分亡き後を考える・・・辛いことですが、死を考えるということは、翻って「生」を考えるということでもあるでしょう。自分の生を見つめることだと思います。
自分の生を伝えることでもありましょう。
「生・老・病・死」は、ひとそれぞれ。同じものはありません。
自分の「老・病・死」を見つめる気持ちがあれば大丈夫。
一日一日を大切に!
↑↑自分に言い聞かせてます(^_^;)
三日ボーズ
2017/10/20 13:19

コメントする help

ニックネーム
本 文
あと2〜3年で死ぬなんて、考えられない 倫敦巴里/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる