「アンチ佛式葬」について考える

先日の「アンチ仏式葬」云々の件・・・

正直、
いまや
ここまで世論が
アンチ仏式葬だと
ゼロから論を
考えなければ
ならなくなりました。


この稚拙な独断的書き込みが意味するものは何なのだろうか?

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何度も書いているけれど、こういう意識の根底には、社会の「核家族化」というものの影響が大きいと考えられる。

要するに「お父さんとお母さんから始まる家」ということだ。
核家族というのは、大正時代に急速に増えたのだ、という話もあるが、やはり圧倒的に増えたのが戦後だろう。
焼け野原となった東京などに、日本の主に商業と工業の復興を目指して田舎から人が集まった。
やがて、その人たちは、家庭を持ち、都市部に家を造った。
そこから所帯数が増えたのは主に核家族によるということになる。

そういう家は、例え実家が仏教徒であっても、仏壇を作ることは先ず無いだろう。
新しく「核家族」として始まった家では、「先祖」という概念を持ちにくい。

そして・・・「宗教」も、無い。

「宗教」の「宗」は、「ウ冠」・・・つまり「家」に、「示」・・・つまり「神などを祀る」ということ。
江戸時代の寺請制度によって、これは概ね「仏教」になっている。

仏教以前から日本人が大事にしてきた先祖という概念が、仏教と結びついて、先祖の供養を仏教によって成す、ということになっていた。

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寺請制度は、ほぼ無理遣り、なんぴとも寺の檀家なにらなければならない、という強制力の伴ったものだったが、それよりも大事な「先祖」というものが優先されていたので、仏教とはいえ「宗派」の教義というものはないがしろにされていたように思える。
ウチの寺にも、江戸期に、何人か禅宗系のボーサンがいた形跡がある。
(一時期、そういう戒名が付けられている)

日本の寺と檀家さんという関係は、教義を以て成り立っているものではなく「ご先祖様」という日本人が強く持つ概念が優先されてきたものだった。
だから、仏教と言っても、信心はあっても、その教義には興味が無い、ということになってしまった。

まずここに、日本のいびつな信仰の形、というものがある。
これが、底辺にある。

日本の信仰は、上から強制されたものだったと書いたけれど、勿論、江戸時代から急に強制されたワケでは無い。
もともと色んな信仰はあった。
その延長線上に「寺請制度」ができた、ということなので、誤解無きよう。
殆どは、既に寺の檀家だったけれど、江戸時代になって、それが強制された、ということ。

そして時に、ウチの寺のように、宗派の違うボーサンが住職になることもあったということだ。

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・・・さて、話は戻って「核家族」である。

「文化」を意味する英語「culture」は、「耕す」という意味のラテン語「colere」に由来する。
代々土地を耕すことで文化が育まれる。
土地に住み着いて、代々生きてくることで文化が成り立ち、育ってくる。

「信仰」というものは、習慣・慣習といったものの類いといえる。
その家に代々伝えられるものであって、子供の頃から「身についている」というものでもある。

先祖代々の土地、代々の家があって、そこに家族が入れ替わってゆく、そこに、文化が育まれ、伝えられて行く。
そういうものが日本人の根底にある。

核家族は、その根底を崩してゆく。
そういう文化という基盤が無い家庭が作られ、ただひたすら、増殖する。
お父さんお母さんから始まる家に育ったこどもが、また、お父さんの母さんから始まる家庭を作る。
文化の伝承の無い家に生まれ育った子供が、また、文化の伝承の無い家を造るわけだ。

そういう子供たちは、それが当たり前だと思っている。
おそらく、この「アンチ仏式葬」のツイートを書いた人も、そういう人なんだと思える。
この問いかけに答えている人も、多くはそういう人たちだ。

日本の文化という側面から見ると、自分たちが、それに沿っていない存在だという認識がないのだと思う。
特にTwitterなどで、自己を主張するような人には、そんな家督制度に基づくと言えそうなものを認めるようなことはできないのだろうと思う。

島田裕巳という、自称「宗教学者」は、宗教にとって一番大切なこの「民俗、文化、慣習」を抜いて仏教を文章だけで考えているという人だと言える。

それが、今、圧倒的多数派になった、ということなんだと思う。

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文化、慣習というものは、代々その家に伝えられるものであった。
おばあちゃんから嫁へ、あるいは子供へ、孫へと伝えられる。
おばあちゃんと一緒に仏壇に手を合わせているうちに、それが身について行く、というもの。
それが「宗教」。
それが日本の「信仰」なんだと思う。

葬儀も身についたものであったはずだ。
地域の連携の中で、お互い様で協力をする。
私らは子供の時には、どこどこで葬式があるというと、失礼ながら喜び勇んで行ったものだ。
出棺の際に、お金を撒くので、それを拾いに行くからだ。

そうやって、小学生の時から葬儀に接していた。
次第次第に、その意味が分かってくる。
そして、自分の祖父母の葬儀となり、家族の葬儀というものを体験する。

そういう中で学んで行くものだったんだと、省みて思う。

そういう学びをせずに大人になってしまう人が多い、ということ。

ただ「昔は良かった」ということを単純に言ってるだけではない。
ただただ、そういうものだった、ということだ。

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以前、新聞の投書に「お経の翻訳機の開発・設置を」という文章が載った。
当ブログでも記事にしたが、この件で一番の問題点は、この投書の主が「82歳」だったということだ。
「お経の意味が分からない」というけれど、そういう前に「アンタは、その歳になるまで、何を考え何をしてきたのか?」という、この人自身の人生を問いたい。
お経云々よりも、先ず始めにそこが大問題である。

82歳まで、そういう学びをしてこなかった、ということが問題なのであって、己のその問題に気づかずに、葬儀で訳のワカンナイお経を読まれても意味が無いとか言ってる場合では無い。

自分の不勉強(この歳になって、こういうことを言うようでは不勉強だ!と言っていいだろう)を棚に上げている場合じゃ無い。

こういう感じ・・・「学びの無さ」といったものが、件のツイート主や、それに答えている人たちからも感じられる。
宗教というものを学ぶ機会を得ずに大人になってしまった、という感じがしてならない。

これが、現在の日本の社会なのだ。
それが、現代日本の宗教観なのだと思う。

そもそも「宗教観」というものすらない人が、ものすごく多い、ということになってしまった・・・
本来は、身についているべきものだった宗教というものを身につけずに大人になってしまって、中途半端にも満たない知識で、勝手に葬儀や死後を語っている、という人々の何と多いことよ!

日本人が一番大切に思い受け継いできた「ご先祖様」という思いさえ、失いつつある。
いや、失ってしまった人が多い、ということなんだろうと思う。

・・・続く・・・









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