お盆の始末(その3)

P1028835.JPG
二日連続で書いた記事が消失するということがあり、めげておりましたが、気を取り直して書きます。

今年の棚経は、副住職の手伝いによって余裕ができて、色々考えることが多いお盆でした。

ウチは新盆の家にだけ行ってるのですが、まあ、お盆の飾りの100%が中陰壇になってます。四十九日の間使う三段の祭壇です。
あるいは、それと同じもので、黒塗りになっているのは、葬儀社のレンタルのようです。
そう、盆飾りにも葬儀社の進出が目立って多くなってきました。
その祭壇を見ていると、お盆も変わってゆくのか・・・いや、既に変わってしまっているのか・・・という思いを新たにします。

149925986593964263178.jpg
これが某葬儀社の飾り。
以前にも書いたのですが、お盆飾りのアイテムを勝手にアレンジして別物を作っちゃってる。

竹は四隅に立て(できれば5本。1本を向こう側に真ん中に)、そこに縄を張ることで、結界とし、その空間にご先祖様が帰ってきてとどまる、ということになる。
2本立てて縄を渡して、シンメトリーに何か下げたら神様みたいじゃん〜。
これをやるなら、竹は無い方がいいくらいだ。

ほおずきと素麺が下がってる。
ほおずきは提灯に見立てた物。
素麺は、テレビで「ウシとウマに着ける手綱であり、お土産を縛るひも」と言ってたですが、私は、そうではなくて、これも施餓鬼ではないか?と思っています。
餓鬼は喉が細いから素麺とかうどんなら喉を通るだろうという、水の子と同じ意味合いだろう、と考えています。
どちらにしても、茹でていない素麺をあげるのはおかしいと思うワケです。

そして、一番の問題は十三佛。
当然、浄土宗系では使わないのは知ってると思うので、浄土系の場合は阿弥陀様にでもするのでしょうか?
阿弥陀様がご先祖として一緒にここにいるというのは、浄土系としても違う、と言うだろうと思う。

この十三佛は何者だろう?
開眼はしていないはずだ。
あるお施主さんに聞いたら、祭壇は返して、プラスチックの竹は処分するんだそうな。
「十三佛は?」と」聞いたら「処分して良いって言ってました」だと?!・・・それはあり得ない!

これは確認が必要ですね〜。困ったことです。

開眼していないならば、それは単なる「絵」だけれど、お施主さんは「仏様」と思うだろう。
当然仏様として商品になっていると思える。この存在は困ったものだ。

私らも、行って開眼はしない。(棚経に開眼に必要な法具等を持って行かない)
他のボーサンに聞いても同じ。

この存在の意義・意味と、扱いについて、抗議する必要があるだろう。

そして、この業者は、ご本尊様を仏壇から出して盆だなに飾り、仏壇を閉めてしまっている。こまったモンだ。
ご本尊様は仏壇(仏様の世界にイメージ)にいて、故人が帰ってくるもの。
「会社休んで温泉旅館に行って、その部屋に社長がいたらヘンでしょ?」と冗談で話す。

十三佛を置く葬儀社は他にもある。どういう理由からだろうか? 逆にこの根拠を知りたい。
十三佛は、お盆とはカンケイナイ。

140712757053366089228_P8040085b.JPG
これはあるお寺で、本堂に「見本」として置いてある物。

間違いとは言えないが、もともとは、平らなちゃぶ台のような物に置く。
三界万霊を平等に扱うもので、ご先祖様も餓鬼が来ても、同じ高さ、という概念から外れて、これが中陰壇だという印象もあって、故人を祀る祭壇、という印象になってしまう。
100%がこの飾りになってしまい、その前でお経を上げながら、変わってしまう・・・という気持ちになっていた。
仕方ないことなのか?

こういう祭壇で、尚且つ、マンション住まいというケースも結構あった。
マンションとなった時点で、施餓鬼の概念は成り立たないように思う。
餓鬼は縁側辺りから上がってくるものだから、だ。

こういう昔からの考え方が当てはまらないケースをどう考えるか?・・・ということも必要になろう。

実は、私が棚経で読んでいるお経は「施餓鬼」のお経なのだ。「略施餓鬼」というお経。
「施餓鬼法」という導師作法の中から、抜き出して唱えるようになっているもの。

もう随分前に、あるウチの宗派のボーサンが・・・
「お盆にお檀家さんにウチに行って、ご先祖様の前で「汝等鬼神よ・・・」というお経を読んでるというのはオカシイと思うんですよ。新しいお盆の次第を作る必要を感じてます」と言っていたのを思い出す。

餓鬼等に対して「さあ食べなさい」と言ってるお経で、ご先祖様に対して言ってる訳じゃ無い。
ご先祖様を供養するのは当たり前で、それ以外の餓鬼等にも供養するという「万霊供養」という気持ちに意味があるんですよ、と教えて下さったのは、仏教会でお世話になってる曹洞宗の方。
「どうして、お盆なのに施餓鬼なんでよ?」という問いに、答えて下さった。尊敬してます。

今度また、何かの機会に色々訪ねてみたいと思ってる。
その方の解釈が参考になるのだ。

試しにおぼんについてネットでググってみると、みんなそれぞれ色んなことを言ってる。

葬儀社も、石屋さんも、ボーサンも、色んなことを言ってる。
出典の分からないことが、コピペで広まってるのかな?・・・ということも多い。

例えば、ボーサンだって、色んな宗派の人が、勝手なことを言ってる。
特に、浄土系、中でも真宗・浄土真宗の人の言ってることにヘンなのが多い。
宗派が公式に言ってることも、おかしなコトが多い。
日蓮正宗のような折伏的なものでないにしても、自分たちの独自性をアピールするために、排他性を持っている感じがする。
「真宗では・・」という人が多い。
これは「世間ではそういわれて(行なわれている)ようですが、それは間違いで、我々の言うことが正しいのです」という意味合いで言われている。
それが間違っている、という概念はないので、何言っても聞かない。
閉鎖的な所で、外の世界を知ろうとしない人が多く、そういうことを元にして言っても、理解できない人が、多い感じ。

Twitterもそうだけれど、ネットで意見しても、まず聞き入れられることはない、ということは、重々承知の上で、あまりにヒドイ思い違いなどは指摘させていただくことにしている。
・・・んで「やっぱりダメか」・・・ということになる。
ボーサンというのは、いずれもが一国一城の主なので「己が正しい」と言う思いが強い。
それは、Twitterでも、ブログでも、文章を読めば分かるし、ネットで否定されると、自分の全人格が否定されたと思う人は多い。
匿名のくせに、なぜかそう思うんだな〜。

それは、匿名で、心の底を曝け出しているから、そこを否定されるのはアリエナイってことになるからだろうと思う。
そこに気づかず、Twitterなどしている人が多いように思う。

聞く耳持たないのはわかってる。でも「それは違う」と言いたい・・・という時がある。
言ってみて「やっぱり」で、撃沈する。
ま、聞く耳持たないのは仕方ない。間違いを教えてあげても気づかないまま・・・ということだ。仕方ない。

葬儀のしきたりとかもそうだが、お盆は関しても、宗派色というものはあまりなく、地方色と言うことの方が影響は大きい。
よく話すのは、青森の人と、関西の人が結婚して、栃木に住んだら、しきたりとか習慣とかがゴチャゴチャになってしまう、ということ。
そうやって、独自の、あるいは勝手な解釈が入ったりしながら、伝承は微妙に変化する。
ネットだと、それがより早いモノになる、という感じがする。

民俗学でたどって行くと、いくつかの共通項とかから、何となく「おおもと」が見えてくる事があるが、なかなかそこにたどり着くのは難しい。
けど、オモシロイ。

そういうものを端から「古くさいもの」として良く考えないで勝手な解釈をみんながしていると、伝承はドンドン変化してしまう。
そして、気がついたら、まったく別物になってしまった、というコトになる。

今まさに、お盆がそういう状況におかれているんだと思う。
餓鬼に供した物と、先祖があの世を行ったりきたりした乗り物を「食べましょう」などと言われてしまったら、お盆は、まったく違うことになってしまう。

葬儀社の飾り付けが、お盆飾りセットが、ネットの情報が・・・勝手に「これからのお盆」を作ってしまう、ってことなんだよな〜〜〜

これが、困ったことナンだよな〜・・・

それに、我々はどう対処してゆくべきなのか?

葬儀の形がいつの間にか変わってしまい、今でも、勝手に変えられている過程にある。
葬儀以外の風習も、色んな形でチョッカイだされて変えられてしまう・・・っていう感じ。

困った、こまった・・・・。








ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

お盆
2019年08月21日 16:54
関西より西のお盆は、十三佛を掛け 百字の偈を唱える所が多いです。昔は 棚経の名の通り、家に上がらず 外の精霊棚で施餓鬼供養をしていたようですが、時代と共に 今では お盆は お仏壇や祭壇での先祖供養になってしまっています。
2019年08月21日 19:07
仏事に関して素人故にこういう分野へのコメントは控えてきましたが、、、
(カメラ記事は少し分かるけど)。

日常でない仏事は、頼む側は素人で知識無いからそのままの形を受け入れて、済ませると”やれやれ”で?終わりです、、、資金のみ出すだけで深く考えません、。

だから利益目的で新規参入をした業者に対しても”それらしくあれば”一般人は気にしないのですね、、、”正式な仏事”の本、」ってありましたか、。
そこまで深く考えないし、感心も無い?のでしょうか、、、
やはり正式がヨロシイようで、、、
そういう事を感じました、。
三日ボーズ
2019年08月21日 20:19
お盆さん・・・
関西方面の十三佛というのは誰かから聞いておりましたが、その根拠になる考え方はご存じでしょうか?
仏教会でも話題にしたことがあったのですが、明確なものがわかりませんでした。
「百字の偈」ということは、真言ですか?
精霊棚は、ウチの方では縁側に作っていたところもありました。
地方によっては、餓鬼棚と先祖を祀る盆棚と別の所もあるようですし、新盆は外、というところもあるそうで・・・色々ですね〜。
三日ボーズ
2019年08月21日 20:24
007さん・・・
最近は、葬儀社の営業もあって、それならば・・・と業者にお願いする人が多くなっています。
お願いする方は「業者に頼めば大丈夫だろう」ということで頼むわけですが、我々からすれば、お金取ってやるなら、ちゃんとやろうよ、という感じです。
「これでいいんでしょうか?」と良く聞かれますが「ダメです」とは、絶対に言いません。
いままでは、これで済ませてきましたが、今年は業者にちょっと抗議しようと思っています。
正式というのが、これまた難しいようで、色んな人の見解・思い・勘違い等々がない交ぜになっているのが現実で、正式といえるものは提示できません。