赤ちゃんの葬儀

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ここんとこカメラのコトばっか書いておりますが・・・ハッキリ言って、現実逃避でございます。
ちょっとアレコレ忙しい。

日曜日の朝イチで、赤ちゃんの葬儀をしました。
生まれてすぐ亡くなった赤ちゃんの葬儀は何度かやっておりますが、双子の赤ちゃんのひとり、というのは初めてであります。
施主さんにとっては、お目出度いのと悲しいのが一緒、ということでありますが。

葬儀社が入るでもなく、お父さんが小さい棺を抱えてきて、本堂で葬儀して、そのまま火葬場へ行く、という。

以前も、火葬場で火葬する前に読経して欲しいというので行った時、お父さんが迎えに来てくれたのだけど、その車の後部座席に赤ちゃんの棺が置いたあった。
涙がにじんだですよ。

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こういう時に思うのは「引導って必要なの?」ということ。

引導というのは、亡くなった人に戒を授けて出家さるという儀式。
生まれてすぐの赤ちゃんは正に純真無垢。
汚(けが)れていないし、何もしていないのだから、行動・思考に汚れがある訳じゃ無い。
無明であることもない。
だから戒も出家もカンケイナイ。
・・そういうものだろう、と、思う。

神道では、生まれてからある期間はまだ神様の領域にいる、と聞いたことがある。

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棺に入った赤ちゃんの顔がお地蔵様に見える。

赤い頭巾を被ってよだれかけをしているお地蔵様というのは、逆に、お地蔵様を赤ちゃんに寄せているわけだけれど・・・
まさに、そのお顔なのでありますよ。

普通、真言では、位牌の戒名の上に大日如来の梵字「阿字」を書くのでありますが、子供の戒名は、お地蔵様の梵字「カ字」を書きます。
子供の場合、導いてくださるのがお地蔵さまだから、ということですね。
「賽の河原地蔵和讃」というのがあります。
「ひとつぅ〜ぅぅ 積んでは母のォ〜ため〜」というものです。

賽の河原というのは、人が死んで冥土の旅に出ると渡るとされる三途の川の河原のこと。

三途川の出典は『金光明経』に「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」にあるという。
この地獄・餓鬼・畜生を三途(三悪道)といい、これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる。

しかし・・
俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)の「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭。見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」に基づいて行われた十王信仰による。
「三途川」の名の由来は、この「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。
これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、というもので、地獄の沙汰どころか、三途の川も金次第か・・・と嫌になる話ではあります。
三途川の渡し船の料金は六文ということで、葬儀の際には棺な中に(紙の)六文銭を入れて持たせるというのはコレですな。

いずれも、中国で出来たもので、仏教には無い考え。

子供が先立つことは「親不孝」と考えられていた。
儒教の考えから、賽の河原では、親に先立って死亡した子供が、その親不孝の報いで苦を受ける場とされる。
そのような子供たちが賽の河原で、親の供養のために石積みの塔を完成させると、供養になる。
しかし完成する前に鬼が来て塔を破壊し、再度や再々度塔を築いてもその繰り返しになってしまうと言う。

日本の俗信として「女性は死後、初めて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡る」というのもある。
なんだそりゃ?・・・でありますな。

親よりも先に死ぬと、賽の河原に行き、石積みをする。
この賽の河原のありさまは、鎌倉時代の法相宗の僧侶、貞慶(じょうけい)が作ったというのを知った。ホントけ?

《法華経》方便品にある〈童子戯れに砂を聚めて塔を造り,仏道を成ず〉から構想された鎌倉時代の偽経《地蔵十王経》や解脱上人(貞慶)作という《地蔵和讃》,また江戸時代の《賽の河原地蔵和讃》などにより,地蔵信仰のたかまりとともに,中世以降とくに江戸時代に普遍化した俗信である。《賽の河原地蔵和讃》は〈死出の山路の裾野なる賽の河原の物がたり〉で,十にも足らない幼き亡者が賽の河原で小石を積んで塔を造ろうとするが,地獄の鬼が現れて,いくら積んでも鉄棒で崩してしまうため,小児はなおもこの世の親を慕って恋い焦がれると,地蔵菩薩が現れて,今日より後はわれを冥途の親と思え,と抱きあげて救うようすがうたわれている。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

・・・伝「貞慶・作」という「地蔵和讃」は調べてみたい。

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結局、理屈ではヘンだよな〜・・・と思いつつ、決められた引導の作法をする。

やはり、棺を前にすると、この引導作法というものが重要なんだ、と思えてきて、気持ちが入る。

身・口・意の「三密」。

体で印を結び、口で真言を唱える。
このことで理屈ではなく「意」心がこもる・・・そう思える。

お祝いと弔いが一緒なのだけれど、どうすればいいか?

・・・50日過ぎたら忌明け(神社では50日)で、そこでお祝いすれば良い、ということにする。

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これは、確か還暦になった産婦人科の先生(親類)が、寄付して下さったもの。

「随分、殺しちゃったからさぁ、極楽に行けないような気がして・・・」ということで。

そういう「仕事」もあった、ということ。

生まれて欲しかったのに生きられなかったいのちと、望まれなかった命と・・・







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この記事へのコメント

タロウカジャ
2019年12月04日 01:57
小さな旅人が、輪廻転生で生まれ変わられるのでしたらもう一度思う存分生きてください。
南無阿弥陀仏
三日ボーズ
2019年12月04日 22:16
オン カ カ カ ビ サンマエイ ソワカ