初詣

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宇都宮では初詣は、神社なら中心地にある二荒山神社。
お寺なら多氣山、という感じだろうと思う。

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さてさて、神社に行ってお寺に行かぬ訳にはいかぬやろ、ということで、その多氣山へ。

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今年から副住職が手伝いに行くことになった。
一日中、祈願の連続。
ワタシも学生の時に一度、犬山の成田山名古屋別院に行って経験した。

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真言ボーズとしては、こういう祈願三昧というのこそ相応しい、と思うので、こういう経験は大事。

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とにかく、沢山の人の気持ちが1カ所に集まっている、という感じがする。

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そういえば、初詣なんて〜ものは電車ができたことで始まったもので、そんなに歴史がある訳じゃ無いとか、バカな自称宗教学者の島田裕巳が言ってたりする。
ついでに二礼二拍一礼のお参りの仕方も、歴史があるわけじゃ無い、と得意気に吹聴しているみたいだけど、明治からだって150年経てば立派な歴史。
宗教に関して、明治以降に変化したり、出来たりしたことは多い。
実は、明治という時代がよくわからないのだ。

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「初詣」というものが、大袈裟な物になったのは、確かに、交通機関の発達による。
京急が川崎大師への初詣、というのを企画したことに始まるのは、島田裕巳に言われなくたって知られたことだろう。
しかし、初詣ということが行われていなかったわけではない。
明治になるまでは、今より神仏が身近であった。
毎月の縁日など、お参りは多く行われていたはずだ。

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江戸時代までは、歩いて行ける範囲にしか行けなかった。
当たり前のことだ。
それに、幕府の規制があるから、旅をするのも自由ではなかった。
ただ、お参りということだと許されたから「講」というものが発達した。
お金を積み立ててみんなでお参りするツアー旅行の原型のようなもの。
成田山とか、善光寺、お伊勢参り、落語にもある大山参り等々・・・

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交通機関の発達で「神社仏閣のブランド化」というようなものができてきた。
同事に、核家族化によって、宗教というものから縁遠くなった家が増えた。
この相互関係によって、非日常のお参り=初詣狂想曲のようなものができてきた、ということだろうとワタシは考えている。

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賽銭のキャッシュレス化、ということも年末に話題になって、それについての記事を書いたけれど、こうしてお参りの人を見ていると、はやり「新しい歳への希望と期待」という気持ちでお参りしているんだろうな〜、と思う。

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未来は分からない。
一寸先が闇なのかどうか?・・・分からない。
分からないから、神仏の託宣が欲しくなる。
番号で引く御神籤で良いのか?・・・ホントなら、生年月日とか聞いて、風水等によって見るべきだろう、とか思う人はいないのだろう。
みんな「自分がどういう結果を引くのか?」ということも含めての「運」として、それをこういう所で得ることで「確かな運」と捉えるのだろう。

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明日も、いや、次の瞬間の自分も分からないから、不安になる。
不安を解く術は無いかと神仏に願う。
私自身は、占いには興味が無い。
それが自分の本当の運命なら、占いで知ったところでどうなるものではないだろいう。
それを知って修正できるならそれは運命では無い、と思うから。
時の流れを受け入れるしかない、と思っている。
未来が分かったとしても、知ることに意味は無い。

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しかし、災いがあるのは困る。
だから、神仏の力で良いベクトルの力を加えて欲しいと思う。
それが、祈願。

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昔、永六輔さんが「お賽銭を入れて、お願い事をしたのは、契約したということなのに、それが叶わなくても誰も文句を言いませんね〜」とか、ワケノワカンナイことを仰ってた。
色々造詣が深い方なのに、こと仏教に関しては無知な方だった。実家はお寺なのに。
「門徒物知らず」か?(^_-)

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1年の初めに「この1年、良いことがあって悪いことが無いように」ということを思う。
それを神仏の見えない力に仮託する。
それによって守られる、という気持ち。
我々も、仏様の功徳の力を信じて、祈願する。

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