写真集を買う・・・鬼海弘雄『PERSONA』

鬼海弘雄さんの写真は、子供が紙袋の仮面を被っている写真を雑誌で見て印象に残っていた。
ダイアン・アーバスのような印象。

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渡部さとるさんのYouTube「2B Channel」で、この写真集を取り上げていて、もうどうにもこうにも欲しくて堪らず、ヤフオクで落札。
とっても高い買い物になってしまったけれど、アマゾンに出品されていた物よりずっと安かったので。
同時に、最新刊『PERSONA 最終章』も、ヨドバシに注文する。

当時は、写真集を買うということもしてなかったし、そういう時に1万の本は買わなかったねぇ・・・と後悔。

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「PERSONA」・・・「登場人物」・・か。「外的人格 《仮面をかぶった人格》」は心理学だったか。

鬼海さんは、山形の県庁に勤めるが「実務能力が全くなかった」そうで、県庁を辞め「自分はあまりにも役立たずだから、役に立たないことをやってみようということで、一番役に立たなそうな学問として、哲学科を選んだ(渡部さとるさん弁)」んだそうな。
それで法政大学の哲学科に入って、哲学者の福田定良さんに出会う。
鬼海さんが「写真家になりたい」と言ったら、福田先生が「これでハッセルブラッドを買いなさい」と言って30万円をくれたそうだ。
給料がまだ数万円の時。
そのハッセルで撮り始めたのが、この作品。
ハッセルのボディもレンズもひとつ。
「このカメラ、このレンズで撮れる物を撮ろう」と決めたのだという。
ハッセルは、当時、超高価なカメラで、レンズ1本買うにも高価だったので、増やすのも大変だったという事もあったろうと思う。

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期せずして「サイン本」。
宛名が無いから、写真展などで「サイン本」として販売したものだろうか?

日本カメラ博物館HPより
・鬼海弘雄作品展 「王たちの肖像2020年6月30日(火)~8月2日(日)(以下、解説より抜粋)

鬼海弘雄氏は、法政大学文学部哲学科で哲学者の福田定良先生に師事し、卒業後、肉体を酷使するトラック運転手や造船所工員の仕事をするうちに写真に出会いました。
遠洋マグロ船員で見習い漁師として航海を終えた後、写真プリント技術習得のために暗室マンとなり、その後フリーのカメラマンとなりました。
浅草寺境内でのポートレイト、巡ったインドや東アジア、そして、東京の街を独自の視点で写して写真集などで発表し、国内外の高い評価を受けています。


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あ、始めは「壁の前」じゃな無かったんだ・・・

この写真集にある写真は、すべて東京・浅草の浅草寺境内で撮られている。
40年以上の歳月を撮り続けている。その写真をまとめた物だ。
「ダイアン・アーバスの写真を見て写真家を志した」と渡部さとるさんもおっしゃってるので、ダイアン・アーバスさんの影響、スタイルの踏襲、あるいはリスペクチということで良いのだと思う。
特にポーズは取らせずに、正面から作為の無い感じで撮る。
写真家としてのテクニックは見せずに撮る形故に、その「人物そのもの」を撮った、という写真になる。

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ここにある人物が、よく見ると、みんな「一癖も二癖もある」という感じに、見える。
ハッキリ言って、そこにいたら「見なかったことにしよう」と思いたいようなヒトも多い。
ましてや、声をかけようとは思わない、思えないような人が多い。
鬼海さんは、浅草寺に通って、ソコに来る人を見て、声をかけて撮る。
一日に2人撮れれば良いと思っているそうだ。
急がない。声をかけても撮れない場合も多い。
一人につき4枚くらいしか撮らないので、1本のフィルムに2〜3人ということになる。
「量産」している訳では無く、2〜3人の積み重ね、というわけだ。
まさに、地道な作業。

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左「物静かな労務者」。右「何年振りかで会った物静かな労務者(15年後)・・・というキャプションがある。
この間に「15年」の開きがある。

このキャプションが良い。
これが加わって写真を何回見ても飽きないものにしていると思う。
突き放すでもなく、客観視するでもなく、思い入れるわけでもなく、淡々と記録している。
しかし、どことなく「クスッ」とさせられる。
それも、受け狙いでもなく、ただ、被写体に寄り添っている感じがある。

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舞踏家。ボクシングトレーナー。

返事の丁寧な、池袋のクラブ・ウエイター
真新しいスニーカーを履いている男
四十八回救急車で運ばれたと語る男
うぐいす色の着物だという人
「かったるく撮るな」と釘を刺す十九歳の青年
苗木を栽培している老人

・・・このようなキャプションが付く。
なんとも味わい深い。

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この写真が凄い。
左、中国製カメラ「海鴎」を持った青年
右、四十歳になったという中国製カメラを持っていた人(15年後)

よく見ると、カメラが変わっているが・・・それにしても、この変貌が凄まじい。
この人の15年間に一体何があったのだろう?!・・・と、考えてしまう。
「撮られたことがある」と話していたことから、家に帰って顔を拡大してプリントしたら、同じ所に傷があったんだそうな。

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同じ人を撮った物もある。
15年経っても変わって無いような人もいれば、劇的に変わる人もいる。

実は、これは一貫した撮影スタイルが紡ぎ出したのだ。

・・・ということは、次回。m(_ _)m



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この記事へのコメント

タロウカジャ
2020年07月10日 13:18
事務処理能力がないので役人を辞めて大学で哲学を学ぶ、卒業後は肉体を酷使する職業に従事する。写真家を志して暗室マンになる。
独立して市井の人々を撮影する。
アンタ変わってあげると言われても途中で挫折すると思います。
人生の重みを感じます。
三日ボーズ
2020年07月10日 19:52
広告やグラビアなどのカメラマン以外に、写真家と言われる人たちの中には、形としては趣味の延長のようなものでも「何を撮るのか」ということが明確で、その着眼点と表現方法がマッチした希なる才能が評価される人がおります。
その生き方そのものが作品を生んでいる、という人もあります。
鬼海さんは正にそんな方です。