人の行く末・・・(その3)

初めに書こうと思っていたものから、ドンドン離れてゆくマンです。

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覚鑁上人が真言宗に浄土思想を取り込んだ。
その著書『五輪九字明秘密釈』をもう一度よく読む必要があるだろう。
ここで、機根に応じて順次往生と、現身往生があると説いた。
現身往生は、三密行を修めることで可能となる。
現身往生を即身成仏と同義とする見方もあるが、ワタシは違うと思う。
「往生」というのだから、文字通り「往って生まれる」ということなのだから、やはり「どこかへ行く」というイメージになる、これは「即」ということではない。
ここで、弘法大師様の「三密加持による即身成仏」という概念が崩れたと言えるのではないだろうか?

本来、大日如来はこの世界そのものであって、姿形があるものではない。
我々も、その一部であるのだから、我々も仏の一部である=仏である、という考えが成り立つ。

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しかし、仏教がインドに広まると、色んな神のような存在が取り込まれて、仏の世界の一員となる。
それが描かれた曼陀羅では、大日如来も一尊として、中心に描かれる。
そうなって、大日如来のイメージも小さくなったのかも知れない。
人の姿をした一尊というものになって、阿弥陀様とかと同じように自身の世界・密厳浄土というものを持つ存在となっていったのかも知れない。
この世界すべてが密厳国土という大日如来の世界というか、大日如来そのものなのだから、その中に、また具体的な偶像を持った大日如来の密厳浄土があるということなのだろうか?
ここのイメージを確実に言える人がいるだろうか?

『五輪九字明秘密釈』の中にある極楽浄土のイメージは、曼陀羅すべてが大日如来であり、その真ん中に自分が立って西を向けばそこに阿弥陀様が顕現する、それも密厳国土の中なのだから、阿弥陀様の浄土へ行く、という考え方も成り立つ、というか、それでいい。

そう考えると、真言といえども「阿弥陀如来の極楽浄土が行き先」ということで良いのだと思う。
そこに密厳浄土というものを言い出すとややこしくなるのだと、ワタシは思う。

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覚鑁上人の最盛期は、二十五三昧式から100年以上が経っているから、臨終に際しての方法もあれこれ出来ていたものと思える。

伝・覚鑁・著『一期大要秘密集』には、臨終の用心というものがある。

1.身命を惜しむべき用心
  寿命の限りが決まらないうちは、いたずらに身命を棄捨せず、仏法に祈り、医療を加え、安身延寿の方術を為せ。

2.身命を惜しまざる用心
  宿曜禄命を卜い、算道達摩に明かして命期を量り知らば、一向に菩提の行をすべし。

3.本住処を移す用心
  若し未だ出家せずんば、早く鬢髪を除け。・・娑婆の穢所を捨てて極楽浄土を得ることを表する故なり。

4.本尊を奉請する用心
  幡、もしくは五色の糸を、亡くなりそうな人の顔を西に向けて寝かせ、前に仏像を置く。幡を像の手の指にかけて、病人をして幡の足を把らしむる。
  その後、東に向けて、手に五色をかける。西に向かうのは引接、東に向かうのは来迎なり。
  焼香を絶やさず(香煙のうえに諸仏が影向する)、その命期を待つべし。

5.業障を懺悔する用心
  惑業は是れ、大菩提の障りなり。必ず懺悔すべし。阿字の義を念じ、光明真言を始め諸真言等々を誦するべし。
  滅罪の説、深く信じて疑うことなかれ。
  (この後、長くヤヤコシイ論を展開する)

6.菩提心を発す用心
  『菩提心論』を引いて、各種菩提心を起こすべし、という。また、各種阿字観・月輪感をするべし。
  (ここにまた多くの文を書いて説明する)

7.極楽を観念する用心
  ここに「弥陀即大日」の観が書かれている。
  密厳とは極楽の総体、極楽とは密厳の別体なり・・云々

8.決定往生の用心
  最終臨終の用心なり。目を本尊に向けて、五色を取れ。若しは本尊の印を結び、真言念仏の三密怠らざれ・・・
  ・・と、具体的に、臨終の際にどのようにするかが書かれている。

9.没後追修の用心
  命終して、その顔に悪相(十五相ある)がでているときは、まさに地獄・餓鬼道・畜生道の三悪趣に墜ちているから、その苦を救うために回向をせよ。

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どうも、この『一期大要秘密集』は、覚鑁上人が最晩年に自身のために書いたものではないだろうか?
途中から、弟子たちに向かって語っているように思えてくる。

ここには、浄土教への意識が強くある。
ちまたに広まり、高野山にも「念仏聖」が入っている。

この時代、人々の関心は「死後」に向かい、また、覚鑁上人もそこを心配している。
即身成仏が死後のものではなく、真言の教義によると、死後は考えないということ、そこに気づかれて真言教義との摺り合わせを苦心惨憺されている、という感じがする。

この「用心」が9項目あるのだって、浄土の「九品」を意識しているのは明らかだし、全体に「二十五三昧会」も意識しており、そこに密教的観念を取り込んでいるようだ。

覚鑁上人の浄土観というものも検証してみようと思ったものの、あまり感心できないものだった、ということが分かってしまった。


・・・続く?・・・


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