晩秋の寺に雨が降るのだ・・・

寒暖晴雨の変化が激しい。
暖かいかと思えば、寒くなり、晴天が転じて雨天となる。

境内の葉っぱもおおよそ枯れ葉となって、地に落ち、掃かれ、捨てられる。

かつて野坂昭如さんが歌った「花ざかりの森」(能吉利人・作詞、桜井順・作曲)という唄に・・・
春は夏に犯されて
初は秋に殺される
秋はひとりで老いぼれて
嗚呼、冬がみんなを埋める
・・・という、凄い歌詞がある。
「四季」をこんな言葉で歌っているのは、凄いと思っている。

これも、前に書いた、スマホでは撮れない写真だと思って・・・いると、こういうのが撮れちゃうアダプタみたいなのが出ちゃったりする。

とりあえず、色んな撮り方をしてみる。

こういうときに、オリンパスがいい。
69mmマクロの画角は換算120mmだけど、被写界深度は60mmなので、その案配がいい。
防塵防滴もいい。

このテの写真には「正解」が無いように思えてならない。

とろこで、世間では「Go To Travel」キャンペーンの一時停止ということになってきた。
京都・嵐山・渡月橋に集まるヒトビト、という絵柄を見ていると、ダメだな日本人・・・という気がしてくる。
根本的に「Go To ・・」という「お得感」を前面に出した煽動は、ろくなもんじゃなかった。
ロクなもんじゃ無いヒトビトが動いちゃった。

個人的には、その前に「新型武漢コロナ」というものの、危険性などを再考するべきだと思う。
結局、どういう見解によって世間が動いているのかがワカラナイ。
数字を見たって、インフルエンザの方が恐い。
もしかしたら、感染力も同じ位なのかも知れない。
高齢者が重症化しやすいのはインフルだって同じ。
ただいたずらに、無闇に恐れているだけ、という気がする。
恐れる「根拠」が明白になっていない。
当初の、ワカラナイ状態だった時と、認識はあまり変わってないように思えてならない。
この間、多くの研究が成され、多くの論文が出ている。
それらをキッチリ把握している人がどれだけいるのか?
そういうのを見ずに、当初の、ワカラナイ状態のまま、進歩無く、今も騒いでいるように思えるのだ。

そんな状態のまま、ただダラダラと過ごしているような気がする。
もっと理論的になれ!

ここにきて急に続けて葬儀が入ってきた。
やはり、参列者が少ない葬儀が続いている。
今度、東京から来た施主さんが、実家で自宅葬をやるという。
ついに、簡単な葬儀の行き着く先として、自宅葬が復活したか?!・・・と思う。
祭壇も簡単にして、家族など数名で。
実際、参列は4名の予定という。ホールでやると寂しいから、ということらしい。
でも「東京の人」というのが、ちょっと引っかかってしまう・・・

葬儀の形態を通常に戻すということは、なかなかできないのだろう。
コロナ禍が収まりつつある、という時がきたとして、さて、どこがそれをやるか?・・・ということだ。
「普通にしていいですよ」と、誰か偉い人がマスコミで言ってくれないと、できないかも知れない。
それが、一年になるのか? もっとかかるのか?
そうこうしているウチに、簡単な葬儀というものが「普通」になってしまうかも知れない。

葬儀社も収入が減っているという。
そりゃそうだ、だろうが・・・もっと厳しいのは、ケータリングなど。
特に、通夜の席に寿司を出していた寿司屋さんが困るだろう。
実は、以前出前をお願いしていた寿司屋さんが、目の前にできた回転寿司に押されて苦しくなり、惣菜などを売ったりしていたが、そのうち葬儀社から通夜振る舞いの依頼がくるようになって、多忙になり、お店をやるよりも「ソッチ」で成り立つようになっていたよう。
そこなど、どうなってしまうのか?
そういう関係あるところが、大変になる。
本当に、困ったことだ。

近い所では、明日、遊行寺へ行くのだけれど、大丈夫だろうか?
12月に入ると、作曲家・桑原ゆう さんの公演がある。
中止にならないことを祈るばかり。

今年一年、寺の役員会を開催しなかった。
8月の施餓鬼も、参列は役員さんだけだったが、1月の初観音護摩も、同様になる。
本来なら、こういうときこそ!・・の祈願なのだけれど、致し方ない。

天平時代、日本に多く作られたのは薬師如来だ。
これは、中国から見て、東方に位置する日本は、中国から見た薬師様の浄土・瑠璃光浄土だからだ、という説がある。
しかし、何よりも、病気平癒が一番だったのだろうと思う。
斑鳩・法隆寺・金堂の「東の間」に安置される薬師如来坐像の光背に、自らの病気平癒のために建立を発願した用明天皇の意志を継ぎ、推古天皇と聖徳太子が創建したといわれている。(疑問は示されているが)
薬師寺の薬師三尊もそう。
平安初期の天台・真言のお仕事は「国家安穏(=玉体安穏)」を祈願することだった。
そうそう、最澄さんが刻んだという根本中堂の本尊も、薬師如来だ。
ホントに、こういう時だからこそ、皆さんを集めて祈願するべきが、我々の勤めでもあるのだけれど・・・残念至極。
でも、まあ、やらないワケじゃ無い。
お札を書いて、祈願はするのだけれど・・・






この記事へのコメント
私の住む街も 個人経営の寿司屋と中華料理店が代替わりせずに
どんどん消えていきます。 モールの台頭で個人商店が消え
どこの街に行っても同じ店揃え そして人口減少とともに何も無くなってゆく
さもしい国にしてしまいました。
荒らしまくった挙げ句草木も生えない荒涼たる砂漠のようになってしまうということが、周辺の市にありますね〜